新四国曼荼羅霊場
後先に なつてしまいましたが、再び 四国曼荼羅霊場へ戻り、枝垂れ桜の 第27番 新長谷寺から 約6.1㎞、第28番札所 豊岡山 三福寺へ。 新四国曼荼羅霊場 第二十八番 豊岡山 三福寺 略縁起 はじまりは、弘法大師四国巡錫の砌、当地に立ち寄られた時、人々は大…
新四国曼荼羅霊場 第二十七番 豊岡山 新長谷寺 略縁起 西国第八番霊場、長谷寺の本尊を造刻するにあたり、こころみ ( 試 ) に 造られた六尺二分の尊像です。西条藩、松平公の祈祷院としても栄え225段の石段を 登ると 広い境内には数百株の桜、 つつじ、牡…
第26番真観寺から 第27番札所 新長谷寺へは、トンネルを抜け 山を越え 松山自動車道下の県道126号までは元来た道を戻ります。 銅山川に架かる瀬川橋。 法皇トンネルに通じる 平野橋。 法皇トンネルを越える前に 少しの間 金砂湖畔公園を散策。 因みに 金砂湖…
第25番札所から 第26番札所への道中、山頂から見の 素晴らしい景色、 トンネルを抜けると、また違った自然の美しさを楽しみながら ( 先ずは 参拝が優先 写真は帰りに ) 霊場へ。 新四国曼荼羅霊場 第二十六番 豊岡山 真観寺 ながせ橋を渡ると 真観寺は、もう…
昨日 ( 4月9日 ) は 愛媛県 最後の札所 第54番泰平寺から 第48番稱名寺まで 我が家 ( 今治 ) へ向かって7ヶ寺。 今日 ( 4月10日 ) は 愛媛県最初の札所 第25番光厳寺から 萩生寺まで 6ヶ寺の 霊場を参拝の予定です。 先ず朝一番に九王集会所で 統一地方…
新四国曼荼羅霊場 第四十八番 臨江山 稱名寺 略縁起 創建は平安時代という。嘉祥三年 ( 850 ) 宗貞上人の開基で、 本尊阿弥陀如来は、仏師春日基光の作と伝えられている。 伊予岡八幡宮の別当所。貞永年中に源範頼の墓を築く。 説に範頼は源頼朝の六男にして…
新四国曼荼羅霊場 第四十九番 伊予稲荷神社祭神は宇迦能御魂大神、伊邪那美命、爾々藝命久々理比売命、大宮能売命である。 今から凡そ千二百年前、第五十二代嵯峨天皇の御代、弘仁十五年二月初午の日に、 国司伊予守越智宿禰為澄が勅を奉して、山城の国伏見…
新四国曼荼羅霊場 第五十番 護国山 高昌寺 略縁起 嘉吉元年 ( 1441 ) 開創の曹洞宗の寺にて、本寺は山口市下小鯖の泰雲寺。 当時の門葉 ( 末寺 ) は近隣に24ヶ寺を有す。 みどころとしては、伽藍構造は本山永平寺に似ている為、ミニ永平寺と言われ、 特に…
新四国曼荼羅霊場 第五十一番 禹門山 龍澤寺 略縁起 禹門山龍澤寺は末寺五十六ヶ寺に及ぶ曹洞宗総持寺派中本山の巨刹である。 創基は今から六八〇年前 中尾坂城主平采女正吉貞の発願により 徳翁正呈禅師が 開山し古奈良谷にあった。その後島津七代目元久の長…
新四国曼荼羅霊場 第五十二番 霊光山 永照寺 永照寺縁起 この野村町の奥の院にあたる十夜野の聖地 ( 霊光山 永照寺 ) は 延歴十数年頃に大師がお釈迦様の正法を説き、四国の各地をまわり野村地方を 巡錫になっている途次、日もとっぷり暮れたので何処かで民…
4月9日土曜日、 曼陀羅寺 南予方面 宇和島市の第54番泰平寺〜中予地方の 伊予市 第48番稱名寺まで 7ヶ寺参拝から ちょうど1ヶ月になつてしまいました。 新四国曼荼羅霊場 第五十三番 潮光山 善福寺 略縁起 銘木山田桧を背に、境内には桧皮葺きの優雅な本堂、…
3泊4日妹夫婦宅のお宿を借りて 残りの33ヶ寺を満願 お陰さまで第88番 黒滝寺にて 満願の証をいただき午後9時15分 無事帰宅。
高知県の第55番〜第62番は 4月1〜2日で参拝、今回は 宇和島市の 第54番札所 神田山 泰平寺から 伊予市の第48番臨光山 稱名寺の7ヶ寺を逆巡りで参拝。 泰平寺は 2月20日南楽園へ梅見物に行った折り 曼陀羅寺のガイドブックに 宇和島市内に第54番札所泰平寺が…
新四国曼荼羅霊場 第四十一番 摩尼山 光林寺略縁起 大宝元年 ( 701 ) に、文武天皇の勅を受けた徳蔵上人は、法相宗と 三論宗の寺として、光林寺を開山しました。 大同元年 ( 806 ) 圓識上人代に現在の真言宗になったと伝えられています。 元中二年 ( 1385 ) …
第40番札所 別宮大山祇神社から、9.1km 車で約20分第39番札所 五臺山 竹林寺へ。 新四国曼荼羅霊場 第三十九番 五臺山 竹林寺 略縁起 この寺は天武天皇の御宇、越智大領小千守興が願主となり、僧観量 によって開基された。 はじめ毘盧遮那仏を本尊とし、真如…
新四国曼荼羅参拝のきっかけは 昨年12月12日 何と無く今治市朝倉の 満願寺へ寄った時に 始めて神仏合体の 新四国曼荼羅霊場のある事を知り ガイドブックを取り寄せ 予備知識を 得るために 愛媛近郊の 曼陀羅寺を参拝、4月1日から寶印をいただきながら 新四国…
新四国曼荼羅霊場 第四十番 別宮大山祇神社 略縁起 当神社は、和銅五年 ( 712 ) 大領の越智玉澄公により、伊予一の宮 大山祇神社の地御前 ( 別宮 ) として創建された。現拝殿は、天正三年 ( 1575 ) 来島城主の来島 ( 越智 ) ( 村上 ) 通総が再建したもので、…
後先 ( あとさき ) になりましたが 4月6日第31番札所 王至森寺〜第32番札所 満願寺参拝の後、 第33番札所 佛生山 清楽寺に。 新四国曼荼羅霊場 第三十三番 佛生山 清楽寺 略縁起 天平年中、聖武天皇の勅願により國主越智玉澄が創営、行基菩薩開基す。 弘仁年…
新四国曼荼羅霊場 第三十四番 石鉄山 妙雲寺 略縁起 天平五年 ( 733 ) 役の行者の弟子石仙道入の開基である。弘法大師が 四国巡錫の折、当山にて修行されたと伝えられている。又剣山城主黒川氏が 天文七年 ( 1538 ) 蔵王権現を奉納、小松藩主の祈祷寺あり扁…
高知県長岡郡の第61番札所 定福寺を 3時30分出発、3時53分徳島県へ入る。 新四国曼荼羅霊場 第六十二番 光明山 特性院 略縁起 当山は四国観光地、大歩危小歩危の近くに位置し、春はつつじ、 秋は紅葉、吉野川船下りの名所になっています。古くは、大歩危小…
岩崎彌太郎生家を20分余り見学、12時35分 次の霊場 長岡郡大豊町 第61番粟生山 定福寺へは約79.7Km 高知自動車道の長いトンネルの中で カーナビが迷ってしまい 降り口の大豊ICを通過 徳島との県境 新宮 ICで降り、大豊 ICまで引き返す。 新四国曼荼羅…
高知市で ただ 1つの曼荼羅寺 第59番札所薬師寺を後に 国道55号線を香南市を通り 抜け安芸市に 約40.9Km 幅の狭い道路 対向車を交わしながら 静かな山間に佇む 第60番札所 吉峰山 閑慶院に。 新四国曼荼羅霊場 第六十番 吉峰山 閑慶院 略縁起 創建年代は明ら…
約1時間余り 高知城を見物、午前8時20分 第59番札所 薬師寺へ向かいます。 新四国曼荼羅霊場 第五十九番 岩谷山 薬師寺 略縁起 高知市の東部に位置した介良の里には源氏の若大将希義の悲惨な物語が ある。平治の乱に敗れて土佐へ流された希義は、兄頼朝が…
曼荼羅寺参拝の第 1日目最初の霊場は、高知県 第55番札所 鳳彩寺へ、 午前8時30分自宅を出発 8時48分今治湯の浦IC〜松山本線〜大洲IC〜 宇和島インターを 10時過ぎに下り 国道56号線を高知県に11時29分、 気温は 19℃ 爽やかです。 新四国曼荼羅霊場 第五…
新四国曼荼羅霊場 第五十六番 浄瑠璃山 石見寺 略縁起 本山石見寺は、真言宗豊山派 浄瑠璃山 東光院と号し、弘法大師の 開山と伝えられ、薬師如来を本尊とする古刹である。往古は四国八十八ヶ所 霊場の随一だったと伝えられる。 又、一条氏の時代には この寺…
午後4時11分、約1時間26分をかけて、須崎市大間 第57番札所観音寺へ到着。 新四国曼荼羅霊場 第五十七番 無量山 観音寺 略縁起 飛鳥時代摂津に四天王寺を創建 ( 推古元年 ) し百済へ帰国の仏師・工匠が 須崎大房浦に一手寺を建立、正観音を安置し、海上安…
第57番 観音寺り 第48番峰興寺までは 約4.2km 5時迄に到着する筈でしたが。 新四国曼荼羅霊場 第五十八番金峯山 峰興寺 略縁起 当寺は、徳川家康の異母弟、松平定行公を開基とし、三河國から 密山演静禅師を迎えて開山したと云う。 元は松山にあり藩主の菩…
高知城 花回廊 ( 2011-04-02 ) 「 〜和で綴る花と灯り〜高知城 花回廊 」残念ながら昨夜のライトアップは 見逃しましたが 2日目霊場参拝前に高知城へ行ってみました。 4ヶ寺参拝、高知市内のホテルを探し やっと 高知会館に着いたのが10時前 ホテルの窓から …
お昼前に お花見から帰る。じいちゃんも12時過ぎに帰り 昼食を済ませて 新四国曼荼羅寺 愛媛県残りの2ヶ寺 第42番札所 法仏山 遍照院 第43番札所 青龍山 連生院へ。 新四国曼荼羅霊場 第四十二番 法佛山 遍照院略縁起 開基、本尊、弘法大師。 厄除け大師遍照…
新四国曼荼羅霊場 第四十三番 青龍山 蓮生寺 略縁起 当山は、延長元年 ( 923 ) 眞如親王が温泉御入湯に来られた折、この 「花垣里」に一堂を建立して善弘寺と称した。後、河野道信が再興して蓮生寺 と呼ばれるようになった。その後、天正十三年 豊臣秀吉の四…