新四国曼荼羅霊場
新四国曼荼羅霊場 第十番 自性院 略縁起 微雲窟自性院常楽寺、微雲窟と言うのは弘法大師さんが入定している所で、 微雲管と同じ所です。 不動明王が本尊なのに、正面は弘法大師像が安置されて いますのは、昔は四国霊場八十六番志度寺の御影堂 ( 大師堂 ) の…
新四国曼荼羅霊場 第九番 霊雲山 玉泉寺 略縁起 弘法大師の開基にして ( 日切御旧跡、俗にお休み場と言う ) 大師堂には お休みしているお大師さまのお姿を安置され、霊雲山地蔵院玉泉寺と称し 四国八十七番之奥の院です。 弘仁五年 お大師さまが、当山は地蔵…
新四国曼荼羅霊場 第八番 花生山 西教寺 本堂の屋根に、三猿の彫刻があります。 これは病苦を去る ( 猿 ) ・ 心配事を去る ( 猿 ) ・ 災難を去る ( 猿 ) の三猿です。 西教寺奥ノ院には、弘法大師が彫刻した磨崖仏があります。 当時一夜建立の祈願をかけて彫…
新四国曼荼羅霊場 第七番 白鳥神社 略縁起 その昔、日本武尊は九州そして東国を征定しての帰途、伊勢の能ぼ野で 亡なられた。天皇は尊を厚く葬られたが、尊の神霊は白鶴となり、西方に飛び立ち、 この地に飛来され、社を建てられ、様々な人の祈願がなされ、…
新四国曼荼羅霊場 第六番 葛城神社 創建は 950年前とつたえられています。御祭神は一言主命 ( ひとことぬしのかみ ) です。 「目の神様」として有名で、眼病平癒、視力回復の特別祈祷もしています。 境内には、めがね塚・包丁塚があり、使用済みの眼鏡などの…
新四国曼荼羅霊場 第五番 丹照山 長寿寺 略縁起 長寿寺は寛永年間、増泉上人が阿弥陀如来を本尊に堂宇を建立開基したと 伝えられている。山号を、丹照山と称す。「丹」は 薬の名に用いられますが、その薬は 不老不死の妙薬をさして言う。故に延命長寿の祈願…
新四国曼荼羅霊場 第四番 海門山潮明寺 略縁起 当時は撫養町岡崎にあつたが戦国時代戦火に焼かれ 森志摩守 ( 阿波水軍土佐泊城主 ) が現在地へ移し森家の菩提寺とした。 今も境内墓地に殿様の墓として数百年も昔の観音開きの扉がついた 森志摩守累代の墓があ…
新四国曼荼羅霊場 第三番 海辺山 不動院略縁起 後西院天皇の御世、寛文年間 ( 1661 ) 僧有真が当地巡錫の際、 三好長治公の念持仏であった不動明王を本尊に安置。 家老泰野助太夫の子成長の願に寄り一寺を建立した。また明治三十四年に成田山の 御分身を観清…
新四国曼荼羅霊場 第二番 豊山 長谷寺 みどころ 歴史ある撫養街道沿いにあります。境内の中心には、樹齢600年と伝えられる 鳴門市の天然記念物のイチョウがそびえ、参拝者たちに緑陰のお接待をしています。 本堂には地元の画家達の描いた花鳥風月の天井画、…
新四国曼荼羅霊場 第一番東林院 略縁起 天平五年 ( 733 ) 行基菩薩の開基にして、古来阿波の八門主寺院の 一つにして末寺十六ヶ寺を有す。 昭和五十九年度の弘法大師御入定千百五十年記念の本坊新築に寄り住時の 威風を偲ぶに至る。また、別名種蒔弘法大師と…
新四国曼荼羅霊場 第七十八番 日照山 東宗院 略縁起 眉山の山裾、ロープウェイの右に広がる寺町は、徳島の観光名所と なつている。二十七の寺社で構成され、宗派関係なく塀続きで建っている。 東宗院はその中にあって歴史は古く、寺町以前は勝瑞にあり、藩主…
新四国曼荼羅霊場 第七十九番 浄栄山 東照寺 略縁起 当山は元、不段寺と号し、延命地蔵菩薩を本尊として、寛永二年宥昌上人に より開山されました。その後若き日の大師が、室戸の崎にて御修行の砌に刻まれ、 その地に安置し祀り継がれた十一面観音様が、縁あ…
新四国曼荼羅霊場 第七十七番 宝珠山 万福寺 略縁起 貞観年間、天台座主智証大師開基、古くは天台真言兼学の四国総管領寺で あった。中興は山城醍醐寺より入山した定相大僧正。徳島七福神として有名な弁財天は 弘法大師作と伝えられ、人々の尊崇あつく信仰さ…
新四国曼荼羅霊場 第七十六番 雲龍山 観音院 略縁起 奈良時代の神亀年間、勅願僧勝道上人によって開創された。 のち弘法大師四国ご巡錫の砌、吉野河川浄砂を採って加持し、万霊妙供の秘法を 修す霊場とした。 又、往古より、秘佛奥野観音と唱え厄除息災の霊…
新四国曼荼羅霊場 第七十五番 如意山 地蔵院 眉山の西麓に位置し、門前の名方池では、古くから流水灌頂が執り行われてきた。 縁起は、弘仁年間 ( 810 ) 弘法大師の開基。県下では大覚寺派唯一の別格本山で 藩政期は蜂須賀公が外護し、累代城主の位牌を納めて…
新四国曼荼羅霊場 第七十四番 日晴山 宝蔵寺 略縁起 嵯峨川の清流に育まれた浄地に、元和年間、僧芸清が一宇を建立。 本尊地蔵菩薩は、地域の信仰を篤め至心に念ずれば必ずや慈悲の験に浴するという 現今は 「一願地蔵 」として善男善女の心の拠り処である。…
新四国曼荼羅霊場 第七十三番 上ノ一宮 大粟神社 略縁起 神山町の神社は、二ノ宮を中心に構成し、社格の高い一ノ宮が欠落している 古代、五穀の発祥は粟から起こり、徳島も「粟」が転じて「阿波」になったと考えられる ように、大粟神社の創建には夢がある。…
新四国曼荼羅霊場 第七十二番 宝珠光明山 妙法寺鮎喰川の上流。地形的には、徳島県のほぼ中央部に位置し、前面には、雲早山の 霊気を拝し、往古は雨乞いの寺として多くの信仰を集めていた。 境内には、非常な水脈を有し、お大師水として県外より霊水をもとめ…
新四国曼荼羅霊 場七十一番 速成山 報恩寺 略縁起 弘仁年間 弘法大師四国御巡錫の時、当地で一人の少年を得度させ、 僧侶として進むべき道を教えると同時に、愛染明王像を刻まれて、愛情の守仏と して与えました。のち少年は立派に成長して大師の恩に報いる…
新四国曼荼羅霊 第七十番 五剣山 東福寺 略縁起 神亀元年忌部大祭主玉渕宿称が忌部神社の法楽として、法福寺を建立。 さらに東福寺、西福寺を建て忌部別当寺としたいう。また、寺伝に弘法大師巡錫の時 南山に宝剣の天中より下るを見て不動明王を刻み、弘仁三…
新四国曼荼羅霊場 第六十九番 龍頭山 神宮寺北に吉野川、南に霊峰剣山を戴くつるぎ町。半田は町の西に位置するが、 吉野川沿いに走る国道から、その町並みは見えない。国道と平行する峠を越えると、 ]町が開ける。半田は盆地の町である。 神宮寺は町並みを一…
新四国曼荼羅霊場 第六十七番 萬念山 瀧寺 略縁起 三野町の起りは古い。和名抄にも初見し、往古は加茂野宮を中心に 発展した瀧寺も此の頃に創建された。寺号は山裾に轟く龍頭の滝に由来す。 瀧寺の本尊を「目引き観音」と敬う。容姿端麗であるが故に愛称され…
新四国曼荼羅霊場 第六十八番 宝壺山 願勝寺 略縁起 歴史は古く奈良時代にさかのぼり、最初維摩寺と号したが平安後期には 藤原信西の娘阿波内待の願により願成寺と改める。以後代々の国守の尊崇をうけ 蜂須賀氏入国の節には方八町御免地、郡中出家取り締り役…
新四国曼荼羅霊場 第六十五番 紫雲山 願成寺略縁起 古く奈良時代行基菩薩により開創され、戦国時代には四国中央部を支配した 武将大西覚養公一族の信仰した城郭寺院である。建造物は本堂、方丈、山門、経藏、 庫裡、客殿等があり、山門には仁王像が立ってい…
新四国曼荼羅霊場 第六十六番 南前山 地福寺 略縁起 本尊大日如来を祀り、当地方の最高峰日ノ丸山の中腹に位置し、 弘法大師の開山と伝えられる古刹であります。 寿永年間、源平の合戦に敗れた平国盛が、安徳帝を奉って当寺に逗留の伝説が あります。南北朝…
新四国曼荼羅霊場 第六十四番 七宝山 蓮華寺略縁起 奈良朝神亀年間、行基菩薩巡錫の砌、南山の山腹に小池ありて蓮華の 咲くを見、聖地とし一仏を刻し草堂を建てたのが蓮華寺の源であると伝えられる。 中世に至り、本堂は池田城代中村美作守の建立に始まり、…
新四国曼荼羅霊場 第六十三番 瑠璃山 長福寺 略縁起 天平年間、行基菩薩が諸国巡錫の砌、この地を訪れ雷雨にあって老婆の家を 訪れた時、大変雷を恐れている姿を見ると老婆が「どうかこの地に雷難がないように してください。」と願うと、行基菩薩は、祈念し…
新四国曼荼羅霊場 第三十番 白王山 萩生寺 略縁起 健久年間( 1190〜1199 ) に、後鳥羽上皇勅願によって建立された古刹で、 本尊聖観世音菩薩は仏師快慶の作と伝えられております。 はじめは、中萩の治良丸本田の地に創建されましたが、天正十三年豊臣秀吉の …
新四国曼荼羅霊場 第二十九番 龍宝山 明正寺 略縁起 当黒島の地は、延喜格式にも記載されています。 1200年前、斉明天皇、大田姫 ( 大海人皇子の妃 ) が、船で九州行幸の途次、 黒島沖で大田姫産気ずかれ、黒島の地に上陸、黒島神社に祈念、 大海人皇子の第…