新四国曼陀羅霊場 桜 第61番 定福寺 ( 2011-04-02 ) 3

岩崎彌太郎生家を20分余り見学、12時35分 次の霊場 長岡郡大豊町 第61番粟生山
定福寺へは約79.7Km 高知自動車道の長いトンネルの中で カーナビが迷ってしまい
降り口の大豊ICを通過 徳島との県境 新宮 ICで降り、大豊 ICまで引き返す。


      新四国曼荼羅霊場 第六十一番 栗生山 定福寺


 略縁起 神亀元年 ( 724 ) 聖武天皇の勅願により、僧行基の創建。仁平年間
( 1151〜4 ) に、本尊阿弥陀如来が造仏される。
安永八年 ( 1778 ) 藩主山内豊擁公によって本堂再建。宝物殿に安置の藤原時代
笑い六地蔵尊は、日本で唯一。南北朝時代聖徳太子は、四国で最古である。
県指定の文化財十二躰。江戸時代より信仰されている、いのちつぎ粟生聖天の
ご利益は大きい。境内の浄土池には、千三百年の眠りより覚めた大賀蓮の花
( 七月中旬〜八月下旬 ) が神秘に咲く。
霊峰梶ヶ森 ( 1400m ) は、当山の奥の院で、弘法大師若年の修行場である。


 


   
定福寺石標。                    参道


 
振り返ると素晴らしい景色がひろがっています。


   
石段を上っても 上っても 奥行きのある 大きな寺院です。


 
御縁坂を上ると個性のある 仁王門です。


    
仁王様に「願かけわらじ」を掛けて健やかな体と心を授かりましよう と書かれています。


 
山門をくぐると 右手には、 初七日不動明王から 釈迦如来文殊菩薩十三仏
導かれて極楽浄土へと誘われます。 ( 十三仏像から 最後に千手観世音菩薩像 )


 
にこやかな お顔の 七福神


 
右の門を入ると宝物館、納経所。


   
左側は 蓮池の庭園が ( 夏になると優雅な大賀ハスが咲いている事でしょうね )


 
本堂へ続く石段の横に咲いている ヤブ椿に心癒やされて。


   


   


   
   御本尊は・・・・・阿弥陀如来


   
本堂には素晴らしい仏像と両界曼荼羅が掛けられ圧倒されそうでした。


     
納経所で 御住職から この葉書と 錦のお札を いただきました。



    
定福寺本尊 御影      寶印 ( 2011年4月2日 )     寶印 ( バインダー )


 御詠歌・・・・ さながらに 極楽浄土 粟生山 くめどもつきぬ 慈悲の ましみず
 札所等・・・・ 新四国曼荼羅霊場 第61番札所
 名称・・・・・ 粟生山 定福寺 ( あおうざん じょうふくじ )
 本尊・・・・・ 阿弥陀如来
 宗派・・・・・ 真言宗 智山派
 所在地・・・・ 高知県長岡郡大豊町粟生一五八
 ☎・・・・・・ 0887-74-0301


 
 大師堂 ( 持仏堂 ) でお参り。


 


   
明日 4月3日は、先代の御住職と先々代の御住職の 御法事で、お支度の最中でした。


    
この 修行之像は 先代の御住職 義光和尚が彫られた仏像だそうです。


 
 木像六地蔵 ( 笑い地蔵 ) 宝物館も見せていただきました。


  
笑い地蔵、NHKさんが ( 番組は忘れましたが ) 取材に来られたとか。


    
 聖徳大子立像。             木像十一面観音立像。


    
 木像毘沙門天立像。              弘法大師坐像。


    
 義光和尚作 平和観世音菩薩。             稚児像。


   
本堂から裏山に続く道端は山草の道。


   
お忙しい中を 御住職が案内してくださいました。


   
ふくじゅそう                  春らん


   
しらねあおい                  やまるりそう


   
しようじょうばかま                 おどりこそう


   
生憎 留守でしたが、むささびのアパートも。


   
いかりそう                     みやこわすれ


 


 


 
何時までも眺めていたかったのですが、今日予定の もう1ヶ寺 徳島の第63番札所
光明山 持性院へ出発します。
( とっても あたたかい心をいただきました有り難うございました )