2011-11-01から1ヶ月間の記事一覧
知らぬ間に お兄ちゃんのお下がりジャンバーを着たまま じいじと、のまうまハイランドへ。 動物の大好きな Hina で〜す。 大きな シャボン玉が出来るといいね。 いーっぱい遊んで お馬さんに バイバイして お家に帰ります。
11月29日は、寒くなる前に 四国霊場 第62番 宝寿寺〜伊予最後の札所 第65番三角寺迄 ゆっくりと計5ヶ寺を参拝の予定。 その前に藤山公園で大西小学校の学年別持久走大会 ( 2年生の Rikukun は 9時過ぎの予定 ) が有り じいちゃんが、 車でママを 公園まで。 …
藤山公園から 10持頃帰って来たので、10時19分、どんよりとした雲り空を四国霊場 第62番宝寿院へ向かって出発、10時36分 今治湯浦 IC〜10時45分伊予小松IC迄 \250-、 国道11号を左へ、10時58分 宝寿寺駐車場へ着く。 本堂、大師堂とお参りを終え 10時30…
香川県から妹夫婦が 松山へお墓参りに。帰りには 今治の我が家に寄ってくれました。お疲れのところ Kengisan は来た早々に パソコンの前に、実は以前パソコンが壊れ データーが全て 初期状態になり 其の時も大変お世話になりましたが。今回は故障しても慌て…
松山へ Hayasi 家のお墓参りの途中、北条道の駅の辺りから眺める水平線は浮島現象に近い状態 ( 冬の寒い日などに見られる蜃気楼の一種、海上の大気と海面の温度差で光が屈折して出来るそうです ) バイパス近く迄行ったが、時間もたっぷりとあるので道の駅ま…
大明神墓地からの景色は 遠くまではっきりと素晴らしい眺めでした。 半世紀前 ( もっとかな ) は砂浜で夏は泳ぎに。Hayasike の墓も海の近くにありました。 海岸線の開発で この大明神墓地にお墓を移しました。 又々 Nobubachan 大失敗、前に来た時に線香立…
白鷺湖。 石手ダム。 ダム湖の茂みからオシドリが出てきました。 距離が遠過ぎて、このカメラではこれが限界。 五明川に架かる黒田橋。 黒田橋を渡ると今治方面へ。 東川大橋より 石手川下流を。 東川大橋から 石手川上流を。 流れの音に誘われて下まで降り…
大井八幡大神社 ( 七五三詣り ) Hinachan の七五三、本当は 数え歳の昨年だったのですが。 落ち着きのない Hina と Riku でしたが 宮司さんの 打つ太鼓の音で 静かに。 祝詞 ( のりと ) 奏上。 斉主が祝詞を奏上し神様の守護により願い事が成就するよう祈願…
お食事会・ハーモニカ・歌・ダンス他今日は 生憎の雨、11時30分から 2度目の お食事会 ふれあい・いきいきサロンの日 本日の メニューは 炊き込ご飯、オカラの煮物、お吸い物です。 食事をしながらの 楽しい雑談。 ハーモニカの演奏で、「ふるさと」を合唱。…
四国八十八ヶ所第六十番 横峰寺 奥の院 星ヶ森 突然9時過ぎに、これから 61番の香園寺にお参りに行くと言う、じいちゃんは 第61番 香園寺から 第62番宝寿院、第63番吉祥寺、第64番前神寺の4ヶ寺を 参拝予定だったのですが 先ず 先月の17日 横峰寺へお参りの…
四国八十八ヶ所 第六十一番 栴檀山 教王院 香園寺 第61番ふだしょ香園寺は、聖徳太子が創建した歴史ある寺で、 天平年間 ( 729〜749 ) には 行基、大同年間 ( 806〜810 ) には弘法大師が来錫。 一時は七堂伽藍、6坊を備えていたが、長宗我部元親による兵火…
四国八十八ヶ所 第六十一番 香園寺 奥の院 参道の入り口を忘れて行ったり来たり。 最近は どこへ行っても皇帝ダリアを見かけます。 松山自動車道のガード下をくぐり 暫らく進むと。 香園寺奥の院参道に。 香園寺 奥の院 香園寺奥の院本堂。今日は留守のよう…
だいぶん前から電子レンジの あたためボタンが入ったり入らなかつたり、危険なので 早速 satousan の御好意に甘えて Kanachan 達とデオデオへ、新しい電子レンジが 届きました。 良い場所に収まりました、 大切に使わせていただきます有り難うございました。
マイントピア別子 ( 2011-11-13 ) 10時30分頃、福山の kanachan から 今 家を出たので12時頃に 着きますと連絡有り。 本当、ぴったり12時に到着、新築祝いのお返しを持って来てくれました。 軽い食事を取つて新聞やテレビのニュースで、このところの陽気で桜…
四国霊場 第五十四番 近見山 宝鐘院 延命寺 奈良時代 行基が不動明王を刻んで開いたとされる延命寺。 その後荒廃した寺を弘法大師が再建。信仰と学問の中心道場とした。 仁王門。 仁王門 左側に 梵鐘 ( 近見二郎 ) 延命寺山門。 山門から本堂へ一直線にの延…
四国霊場 第五十五番 別宮山 金剛院 南光坊 縁起は1300年前、河野氏の始祖・越智玉興の弟・玉澄は、文武天皇の勅願を 受けて、瀬戸内大三島大山積明神に勤請。法薬所として24坊を建立した。 銅和5年 ( 712 ) にその別宮を越智郡日吉村に移転し別当寺院として…
四国霊場 第五十六番 金輪山 勅王院 泰山寺 弘仁6年 ( 815 ) 弘法大師がこの地わ訪れた際、地元の人が゜「人取り川」と 恐れる蒼社川が豪雨のため氾濫。 そこで大師は堤防を建設して土砂加持の秘法を七座厳修されたその満願の日 延命地蔵が空中に出現。大師…
四国霊場 第五十七番 府頭山 無量寿院 栄福寺 嵯峨天皇の勅願により、弘仁年間 ( 810〜824 ) に弘法大師が開いた寺。 周辺で海難事故が相次いでいる事を知り、府頭山の山頂で海神供養の 護摩供養を厳修。その満願の日に、海の中から阿弥陀如来が出現。 そこ…
四国霊場 第五十八番 作礼山 千光院 仙遊寺 「おされさん」の愛称で親しまれる仙遊寺は、天智天皇 ( 662〜672 ) の勅願により 国主・越智守興が堂宇を建立。海抜約300mの作礼山の山頂にあり、 本尊の千手観音菩薩は海から上がった竜女が彫り上げたという。 …
四国霊場 第五十九番 金光山 最勝院 国分寺 風光明媚な唐子山ふもと、天平13年 ( 714 ) 、行基が 7堂伽藍を備えた豪壮な 大寺院として開いた。第三世住職智法立師の時代には 弘法大師が来錫し、 長く留まって五大尊の絵像一幅を残した。その後、焼失と復興を…
四国霊場 石鎚山 ロープウェイ 第69番国分寺を後に 次の霊場 第60番札所横峰寺へ参拝の予定だったのですが・・・ !! 今治街道 ( 196号線 )を 西条市河原津海岸手前辺りから 渋滞に巻き込まれ のろのろ運転。今朝は早く起きて第54番延命寺〜第59番国分寺迄の …
四国霊場 第六十番 石鉄山 福智院 横峰寺 西日本最高峰・石鎚山の中腹にある霊場。白雉2年 ( 651 ) 役行者小角は 石鎚山頂で目にした蔵王権現を石楠花の木に刻んで小堂に安置した。 大同年間 ( 806〜810 ) に訪れた弘法大師も、星祭りの修行の結願の日に 蔵…
四国霊場 第六十一番 栴檀山 教王院 香園寺 用明天皇の病気平癒を祈って聖徳太子が創建したという歴史のある寺院ですが。 建物はモダンで、本堂・大師堂も 大聖堂の中に納まつています。 石標。 子安橋 ( こやすはし ) 香園寺前駐車場。 子安大師堂。左は聖…
四国霊場 第六十二番 天養山 観音院 宝寿寺 天平年間 ( 729〜749 ) 大己貴尊のご神託を受けた聖武天皇は、 諸国に一の宮を建立。宝寿寺は伊予国一の宮のご法楽所として建てられた。 大同年間 ( 806〜810 ) には弘法大師が来錫。 その後、幾度も河川の 氾濫に…
四国霊場 第六十三番 密教山 胎動院 吉祥寺 四国で唯一、毘沙門天が本尊。米持ち大権現とも呼ばれ、農家の信仰が篤いという。 弘仁年間 ( 810〜824 ) この地を通りかかった弘法大師は、光を放つ槍を発見。 その木に一刀三礼して毘沙門天と脇仏の吉祥天、善尼…
四国霊場 第六十四番 石鉄山 金色院 前神寺 明治時代以前は石鎚山の別当寺院であつた。奈良時代の初期に役行者小角が 開いたと言われている。もとは成就にあり、桓武天皇 ( 781〜806 ) が病気平癒を 祈願、見事に成就したため、七堂伽藍を建立した。 弘法大…
四国霊場 第四十六番 医王山 養珠院 浄瑠璃寺 奈良東大寺大仏開眼に先立ち 和銅元 ( 708 ) 年、行基が布教のため訪れ 本尊の薬師如来と脇仏の 日光・月光菩薩、十二神将を刻み安置し、開基。 大同2 ( 807 ) 年に弘法大師が訪れ再興し本尊・薬師如来の別名 …
四国霊場 第四十七番 熊野山 妙見院 八坂寺 寺の開基は 役行者小角と伝わる、701年 文武天皇の勅願により 伊予国司越智玉興が伽藍を建立するために 八つの坂を切り開いたので この寺号が付けられた。その後弘法大師が訪れ四国霊場とした。 駐車場の奥には、…
四国霊場 第四十八番 清滝山 安養院 西林寺 741年聖武天皇の勅願により行基が本尊十一面観世音菩薩を刻み開基。 後に弘法大師が 現在の場所に寺を移し再興する。 門前の太鼓橋を渡り石段を下りると仁王門に出る。境内が道路より低いため、 罪ある者が仁王門…
四国霊場 第四十九番 西林山 三蔵院 浄土寺 天平勝宝年間 ( 749 〜757 ) 孝謙天皇の勅願により恵明上人が創建。 寺内66坊、末寺7ヶ所を有する大寺院だったが、 後に弘大師が巡錫したときには荒廃していた。 天徳年間 ( 957〜961 ) 踊念仏を空也上人が寺を訪…