2011-06-01から1ヶ月間の記事一覧
新四国曼荼羅霊場 第八十四番 小池山 弘坊寺略縁起 日和佐は海亀の産卵で有名である。弘坊寺は海亀産卵で有名な大浜海岸に 徒歩5分のところに位置している。 弘坊寺は美波町役場近くにあり「 法印さん」の寺で親しまれている。江戸末期に験効を あらわした…
大浜海岸 ( 2011-05-092 ) 11時35分、第83番 神宮寺を後に 県道35号を進み 神野町信号を県道24号へ、更に 11時45分 国道55号 ( 土佐東街道 ) へ入り山裾を縫いながら 鉦打トンネルを抜け、 更にもう一つのトンネルを抜け、11時52分久望トンネルを 11時55分最…
新四国曼荼羅霊場 第八十三番 大轟山 神宮寺略縁起 当山の創建は神社の歴史に依るが、山号等から推察して別当寺として 始まったものと思われ、阿波誌等に神宮寺と称したのは明暦年間 ( 約350年前 ) 中興開山宥儀法印以後と書かれており、神仏習合時代には…
ちょうど10時、第82番札所 龍光山 長谷寺 ( りゅうこくざん ちょうこくじ )に着きました。 新四国曼荼羅霊場 第八十二番 龍光山 長谷寺略縁起 市街地より半時間四季を楽しむ静かな山村に座すと観音様と居るが如く 自分自身に手を合わせたく成る様な気がする…
小松島市から県道33号を進み 野上橋を渡って徳島市へ、多家良町の信号横の ガソリンスタンドを左に折れ 県道209号を進み、やがてヘアピンカーブの 長ーい 参道が続き 8時46分 駐車場に着きました。 新四国曼荼羅霊場 第八十一番 中津峰山 如意輪寺略縁起 中…
やっと最後の1日になりました。本日は、第八十番札所地蔵寺から 結願の 第八十八番黒滝寺の 9ヶ寺の予定です。 妹の作った 心尽くしのお弁当を持って 5時43分 3泊も お世話になった Takata 家を後に 5時55分 三木さぬきICから高松自動車道へ、6時17…
新四国曼荼羅霊場 第二十四番 無量寿山 宋林寺 山門をくぐるとまづ目につくのが白くて大きな観音様です。 作者は長崎平和像の故北村西望氏、万民の願い世界平和を祈って、 昭和五十四年平和観音として建立されました。 観音経に「衆生が困難にであい、無量の…
新四国曼荼羅霊場 第二十三番 七寶山 琴弾八幡宮略縁起 社伝の「七寶山八幡琴弾縁起」によると、大宝三年、海浜に一艘の 船が現れ船中より玄妙な琴の音が発し「是れ八幡大菩薩なり」との御託宣。 お船お琴を山上に引き上げさせ宝殿に安置。以来琴弾八幡宮と…
新四国曼荼羅霊場 第二十二番 瑠璃山 密蔵寺略縁起 聖宝理源大師が開かれ、ご本尊薬師如来は恵心僧都の御作と伝えられ、 財田薬師 ( たからだやくし ) と愛称されており、厄除け・病気平癒・寿命長寿に 霊験あらたかです。 昔はこの地から1km程奥に本篠城が…
新四国曼荼羅霊場 第二十一番 北田山 伊舎那院略縁起 聖徳太子の開基にて、中興は聖宝理源大師、本尊は太子信仰の如意輪観音 を奉祀し、子安・子授け観音として霊験極めてあらたかなり。 往古は、讃岐十五ヶ院の一院として、末寺二十四ヶ寺を数え、旧嵯峨御…
鴨池海岸から 自宅前を通り過ごし藤山公園へ。 トンボを追っかけたりオタマジャクシをすくったり Hinachan と お散歩でした。
じいちゃんは 殆んど毎日 Hinachan に せがまれて お散歩です、 ばあばは 忙しいので行きません。曼荼羅寺も 残すところ 13ヶ寺 急いで まとめていると 鴨池海岸に 紫陽花の花が 綺麗に咲いているからと言うので 重い腰をあげて・・・・・ Hinachan は ちょ…
新四国曼荼羅霊場 第二十番 七寶山 延命院 略縁起 寺史に弘法大師の開基と伝えられる古刹。本尊に釈迦如来を安置し 脇侍に普賢延命菩薩と胎動界大日如来が合祀されている。 天正年間、長曽我部元親の兵火にあい灰燼に帰し、その後国主となった生駒・京極 両…
Takata 家を 8時2分出発、8時12分 高松東 ICから 高速高松自動車道へ、 ゴールデンウイークの真っ直中県外ナンバー ( 奈良・岡山・大坂・下関・沖縄・三河 石川・名古屋・富山・横浜・鹿児島・滋賀 次々と追い越した車です ) の多い事、 8時39分 さぬ…
新四国曼荼羅霊場 第十八番 七寶山 善性院 略縁起 奈良朝、僧行基によって、開創。本尊に薬師三尊を詞り、達磨 ( タクマ ) の里に 政治、経済の中心地として栄えた。七寶山脈を連ねる荘内半島の頣に位置した高尾山麓 にあり、浦島太郎の伝説、紫雲出山 ・ 生…
新四国曼荼羅霊場 第十七番 八幡山 仏母院 略縁起 弘法大師御母君、玉依御前のお屋敷跡跡であり、御母君がお大師 さまを身篭られた所と伝えられる。 大師母君、玉依御前の草創なるにより寛永十五年 ( 1638 ) 嵯峨御所により 「仏母院」の院号を下腸された。 …
金比羅宮に通ずる国道207号は 車でごったがえし 中々前に進みません、 2時50分、近くの駐車場にくるまを止め 第十六番番札所松尾寺へ。 新四国曼荼羅霊場 第十六番 松尾寺略縁起 開山は、飛鳥時代末期、役行者と云われ、霊験あらたかなることが天下に広まり…
ちょっと 横道に外れました、また曼荼羅霊場に戻ります。 第14番札所 観音寺の参拝を終え 次の霊場第15番藤井山 顕正寺からです。 新四国曼荼羅霊場 第十五番 藤井山 顕正寺 略縁起 今から約四百年前、慶長二年 ( 1597 ) に藩主生駒親正公が丸亀城の 築城に…
「 Kanako zakura 」 ( 2011-06-18 ) 3 東広島市から竹原市街を通り懐かしい黒浜社宅前を、今は廃止になった元中四フェリー 乗り場 ( 今治からバイクを乗せてよく来たところ ) 前を通り バンブー公園へ着きました。 14年前 Masaki to-san が植えた誕生記念…
「東広島フジグラン」 ( 2011-06-18 ) 2 2時過ぎ フジグランの、どんとで 遅いお昼を、Hinachan も 美味しそうに食べています。 でーっかい アルパカの 縫いぐるみ キリンさんみたいに、お首が 長ーいね。 お姉ちゃん達 masaki to-san の 父の日プレゼント…
「日本庭園 三景園」 2011-06-18 写真を撮っている間に 2人は もう 菖蒲園 真ん中に有る 藤棚下の休憩所で 待っています。 何をしているのかな、そーと 近付いて・・・・・・・・・ おやおや、アメちゃん1個で 遊んでるよ。 お姉ちゃんに もらつた アメちゃんが気に…
「日本庭園 三景園」( 2011-06-18 ) 正門。此処へ来る途中 パラパラと雨が落ち出しました。傘は入口の傘立てに 正門を入ると、大きくて綺麗な鯉が泳いでいます、孫たちは餌やりに夢中です。 餌やり 楽しかったね。 これから スタンプラリーにでかけます 先ず…
2009年3月に スタートした 高速 千円も6月18日・19日の 土・日で終了、最後に しまなみ海道を渡り福山の Kana chan と Yurino chan に 逢いにいってきました。 待ち合わせは三原の フジグランで9時半 ( Hiroko ka-san が 近くの体育施設 リジョンプラザで …
新四国曼荼羅霊場 第十四番 綾良山 観音寺略縁起 瀬戸大橋を望む五色台西麓に位置し、寺伝によれば千百五十六年、 保元の乱に破れ讃岐へ流配となり、非業の最後を遂げられた崇徳上皇因縁の 「血の宮」創建を発祥とする崇徳上皇鎮魂、得脱祈願の道場でありま…
新四国曼荼羅霊場 第十三番 圓通山 鷲峰寺 略縁起 天平勝宝六年 ( 754 ) 唐国揚州鑑真和尚の草創。その山容がインドの 霊鷲山に似ている所から釈迦如来像 ( 元本尊 ) を刻み堂を建て、鷲峰寺と名付ける。 以来千二百五十余年の法灯を伝える。四国霊場八十二…
新四国曼荼羅霊場 第十二番 五地山 菩提院略縁起 天平元年 ( 729 ) 三月、僧行基がこの地に来て浄地を選び伽藍を建立して 人々に仏の教えを説き済度したのが当寺の起源であると伝えられています。 弘仁十三年 ( 822 ) 弘法大師がこの伽藍に来て秘密灌頂の道…
新四国曼荼羅霊場 第十一番 讃岐国一宮 田村神社 神社は讃岐國一宮として往古より信仰が厚く、創建は和銅二年 (700) に社殿創建と あるが渇水地たる讃岐に水の恵みを与えていたとし、田村定水大明神と称せられ、 創建以前にもその信仰は古来より続いていたと…
最初の参拝は 2003年4月4日 瀬戸内観光のバスツアーで、2度目は 2009年5月14日 じいちゃんと ( この時も Takada 家にお世話になりました ) 車で参拝、 2年前の記憶を思い起こし ( 結願の大窪寺まで 後 2ヶ寺、時間の余裕が無くて、 慌ただしく参拝と納経、大…
新四国曼荼羅霊場 第十番 自性院 略縁起 微雲窟自性院常楽寺、微雲窟と言うのは弘法大師さんが入定している所で、 微雲管と同じ所です。 不動明王が本尊なのに、正面は弘法大師像が安置されて いますのは、昔は四国霊場八十六番志度寺の御影堂 ( 大師堂 ) の…
新四国曼荼羅霊場 第九番 霊雲山 玉泉寺 略縁起 弘法大師の開基にして ( 日切御旧跡、俗にお休み場と言う ) 大師堂には お休みしているお大師さまのお姿を安置され、霊雲山地蔵院玉泉寺と称し 四国八十七番之奥の院です。 弘仁五年 お大師さまが、当山は地蔵…