第1回 西国三十三観音巡り 風猛山 粉河寺 ( 2016-03-01 )
【 粉河寺縁起 】
国宝[ 粉河寺縁起絵巻 ]によると、宝亀元年 ( 770 ) 、粉河の猟師・大伴孔子古
( おおとものくじこ ) が風猛山で獣を追っていると地面が光を放っている場所を見つけ
庵を建てたが、安置する仏像がない。 そこへ童姿の行者 ( 童男行者 ) が現れ
7日の間に 仏像を作ることを約束した。 7日目に 庵を開けると 行者の姿はなく
千手観世音像が立っていた。孔子古はその観音像を大切に祀ったという。これが
粉河寺の始まり。寺は鎌倉時代に最盛期を迎えるが、豊臣秀吉の紀州攻めにより
堂宇伽藍の大半を焼失。 現在の諸堂は 江戸中期に紀州徳川家の保護によって
再建されました。
西国三十三観音霊場巡拝のご縁をいただいたのが、紀三井寺と ここ粉河寺です。
⇒ 2011年5月21日、高野山へ御礼参りの途中粉河寺へ参拝。
今回は、主人の写真と一緒にお参りをしました。
交通案内図。 ⇒ 拡大。 ( 粉河寺パンフレットより ) 境内絵図。 ⇒ 拡大。
粉河寺大門 ( 重要文化財 ) 江戸時代。
規模の大きい三間楼門で和歌山県では高野山・根来寺に次ぐ威容を誇る。
寛永四年 ( 1706 ) の建立、総欅造り。 粉河寺パンフケットより
大門 [ 粉河寺 ] の 扁額。
金剛力士像。
金剛力士像は仏師 春日の作と伝われ、尊像の用材は桂の巨木。
童男堂 ( 県指定文化財 ) 延宝7年(1679年)の建立とされ、千手千眼観世音が
姿を変えたといわれる童男大士が本尊として祀られている。
出現地。本尊 千手観音の化身 童男大士 ( 童男行者ともいう ) が柳の枝を手に
白馬に乗って出現したと伝えられる。
正面に童男大士 ( 童男行者ともいう ) 像。
童男大士は現世利益の仏として特に病気平癒の霊験あらたかにして、祈願成就
すれば、この池に放生をする風習があるそうです。
念仏堂。光明殿ともいう 阿弥陀如来を安置す。江戸時代後期の建造物総欅造り。
粉河寺 阿弥陀如来坐像 ( 露座仏 ) 市指定文化財。
市指定文化財 粉河寺御池坊庭園 ( 非公開 )
中門 ( 重要文化財指定 ) 天保三年 ( 1832 ) の建立で 四天王を祀る。
山号の 扁額 「 風猛山 」 は紀州十代藩主 徳川治宝候の直筆。
国指定 名勝 粉河寺庭園 桃山時代の石庭。
崖地を巧みに利用してつくられ枯山水鑑賞式蓬莱庭園とよばれています
本堂 ( 重要文化財 ) 。 八世紀 ( 770年 ) の創建以来数度の造営と改造を
繰り返し、現存の本堂は 享年五年 ( 1720 ) に再建された。江戸時代中期の
欅材による代表的な建築で 西国三十三ヶ所の中では最大である。
他に類例を見ない 特異な形態で、一重屋根の 礼堂と二重屋根の 正堂とが
結合した構成を持つ複合仏堂の形式である。 ( 粉河寺パンフレットより )
拝殿上の懸仏 ( かけぼとけ ) 本尊・千手観世音菩薩
本尊真言・・・・・・・・おん ばざら だるま きりく
札所等・・・西国三十三観音霊場 第三番札所
名称・・・ 風猛山 粉河寺( ふうもうざん こかわでら )
本尊・・・千手千眼観世音菩薩
宗派・・・粉河観音宗
開基・・・大伴孔子古 ( おおとものくじこ )
創建・・・宝亀 元 ( 770 ) 年
所在地・・・和歌山県紀の川市粉河2787
粉河寺 散華 TEL・・・0736-73-4830
鐘楼堂。奥の赤い鳥居は産土神社、その右奥は十禅律院。
⇒ 2011年5月21日、芍薬の花につられて十禅律院参拝 。
六角堂 ( 西国三十三観音を安置 ) と左に湯浅櫻 ( 紀州湯浅の住人藤原宗永が
当山本尊千手観音のおつげによって 本堂の 巽 ( 東南 ) の方に植えたもので
これを湯浅櫻という。 立て札の説明より
阿弥陀如来坐像。