第12回 西国三十三観音巡り 第十六 番 音羽山 清水寺

   第12回 西国三十三観音巡り 第十六 番 音羽山 清水寺 ( 2016-02-17 )



本堂・舞台(国宝)[ 江戸初期 1633( 寛永10 )年再建 ]
清水寺本尊十一面千手観音秘仏 ) を祀る正面十一間 ( 約36メートル )、側面九間
( 約30メートル )、高さ18メートルの堂々たる仏殿で、優美な起り反り曲線を見せる
寄棟造り・檜皮葺の屋根や軒下に吊る蔀戸など、平安時代の宮殿、貴族の邸宅の面影
を伝え、四囲の音羽山の翠緑と見事に調和しています。


   
 清水寺の開創は1,200余年前、奈良時代末の778(宝亀9)年であります。夢告をうけた
延鎮上人が音羽の滝を尋ねあて、行叡居士に逢い、その際授けられた霊木で観音像を
彫造し、滝上の草庵に祀ったのが始まりです。 その2年後、滝の清水と上人の教えに
導かれ深く観音に帰依し坂ノ上田村麻呂公が、仏殿(本堂)を寄進建立し、本尊十一面
千手観音を安置しました。「清水寺」の寺名は音羽の滝の清泉にちなみます。


         
         茶わん坂 ( 清水寺の塔が見えます )
         市営駐車場へ向かう途中バスの窓から風景です。


    
    清水道へ。

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 三年坂 ( 産寧坂 )       東山散策道路 京の坂みち 三年坂より高谷寺に至る

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    経書堂 ( きょうかくどう )
 清清水道の途中、清水道五条坂、三年坂 ( 産寧坂 ) の合流点の北側にある。
 清水寺塔頭の来迎院の仏堂で、能の「 熊野 」( ゆや )に「 経書堂はこれかとよ 」
 という台詞で登場します。


    


    
    大日堂。
 経書堂の東方、清水道の途中の北側にある。清水寺塔頭真福寺の仏堂である。
 ここに安置されていた大日如来像(重要文化財)は宝蔵殿に移されています。


         
         大日如来像。


    
    宝徳寺。  本尊・・・阿弥陀如来


    


    


    


   


    
    仁王門。( 重要文化財 )
 境内入口に建つ朱塗りの門。三間一戸楼門、入母屋造、檜皮葺きで、正面左右に
 鎌倉時代末期の金剛力士 ( 仁王 )像を安置する。 室町時代の建立で、馬駐 ( うま
 とどめ )、鐘楼とともに寛永6年 ( 1629年 ) の大火をまぬがれました。


    
    馬駐 ( うまとどめ ) 重要文化財
 切妻造、瓦葺きの簡素な建物。その名の通り、参詣者が馬を繋いだところで、
 室町時代の建立。


    


        
        西門 ( 重要文化財
仁王門をくぐって右方の小高い位置に建つ。寛永8年 ( 1631年 ) の建立。切妻造、
檜皮葺きで、形式的には八脚門だが、正面に向拝、背面には軒唐破風 ( のきから
はふ ) を付し、内部には床板と格天井を張る特殊な形式の門である。全面朱塗り、
軒下の組物や蟇股(かえるまた)などは極彩色とするなど、門というよりは神社の拝殿
のように見え、特殊な用途をもった建物と推定されている。


   
三重塔 重要文化財
 この塔は 当山ご本尊観世音菩薩の御霊験によって嵯峨天皇の皇子ご生誕あり
承和十四年 ( 847年 ) 葛井親王が勅名を奉じて創建されたと伝える。
 現在の塔は寛永九年 ( 1632年 ) の再建で、日本最大級の規模を持ち、三間四方、
高さ二九七メートルに達す。昭和六十二年 ( 1987年 ) 文化庁の助成をえ、京都府
起用育委員会に委託して、解体修理、彩色復元の落慶をみた。
一重内陣の中央に大日如来坐像を安置し、四面の壁に真言八祖像、四天丸柱に
密教的な仏画を描き、柱雲天竜、天井その他は飛天、華型 幾何模様が極彩色で
前面荘厳されている。
なお今回の修理で全重を総円塗りに戻し、他塔にその類例を見ない 各重の丸桁
( がんぎよう ) ・ 台輪 ( だいわ ) ・ 長押 ( なげし ) などの各種極彩色文様を
すべて寛永の昔に復元した。
  一重で見ると軒下の丸桁の両端は 「 摩竭魚 ( まかつぎょ ) 」  中央は 「 金剛盤に宝珠 」
  中段の台輪の両端は 「 出八双卍崩 ( ではっそうまんじくずし ) 円竜 」  中帯は 「 向い蝶 」
  下方の長押の両端は 「 入八双若芽唐草 」  中帯は 「 四弁花竭磨繋 」 の紋様になっている。
          北法相宗 清水寺             三重塔 説明板より


   
   随求堂 ( ずいぐどう )
仁王門から参道を進んだ正面に位置する。もとは塔頭慈心院の本堂で、慈心院を中興
した僧・盛松により、享保20年(1735年)に建立された。本尊の秘仏・大随求菩薩像は
八臂の坐像で、享保18年(1733年)の作である。脇侍として吉祥天立像と毘沙門天立像
重要文化財 )を安置していたが、後者は宝蔵殿に移されている。堂の地下の暗闇を
歩く 「 胎内めぐり 」 が行われています。


     


    
    鐘楼(重要文化財
 江戸初期 慶長12年 ( 1607年 ) 再建、切妻造り、本瓦葺で、重い鐘をしっかりと
吊るために六本柱、四方転びの技法を用い、柱に貫を上中下三段・三重に通して
固めてあります。牡丹彫刻の懸魚や菊花彫刻の蟇股に桃山様式の特徴がみられ
ます。梵鐘は室町時代の老鐘に代わり、「 平成梵鐘 」 が平成20年に清水寺門前
会によって奇進されたました。


   
   中興堂 ( ちゅうこうどう )


   
   経堂 ( 重要文化財
 三重塔の隣に建つ入母屋造、瓦葺きの五間堂。寛永再興時の再建。 内部には
 釈迦三尊像 ( 脇侍は文殊菩薩普賢菩薩 ) を安置する。  堂は工芸品などの
 展示場として使用されることもあります。


   
    涅槃会  大涅槃図公開 ( 拝観無料 ) 時間 九時 〜 四時


      


   

          
        


   


   


   


    


   

   
         


   


            
             十一面千手千眼観世音菩薩 ( 御前立 )
十一面千手千眼観世音菩薩は、本堂内々陣の厨子内に安置され三十三年に一度
御開帳されます。普通一般の四十二臂千手観音とは違い、最上の左右二臂を頭上
高く挙げて化仏を戴く独特の「 清水型 」 千手観音で、格別霊験あらたかに聞こえる。
なお千手観音は 『 法華経普門品 ( 観音経 ) 』に加えて『 千手陀羅尼経( 大悲呪 ) 』
などに説かれる抜群の法力を示現される観音中の観音さまです。


    


        本尊御真言・・・・・・・・・おん ばざら たらま きりく



 札所等・・・西国三十三観音霊場 第十六番札所
 名称・・・( 音羽山 ) 清水寺 
 本尊・・・十一面千手千眼観世音菩薩
 宗派・・・北法相宗
 開基・・・延鎮上人
 創建・・・延暦年間 ( 782〜806 )
 所在地・・・京都府京都市東山区清水1-294

   清水寺 散華      TEL・・・075-551-1234


   


        


    


   


        


   


        
        地主神社( じしゅじんじゃ )
 神社や寺院が建立される際に、その土地の地主神を祀るために建立された神社。
 神社の境内に末社として建てられている場合や、寺院に隣接して立地している場合
 がある。寺院に隣接している地主神社は、本来は隣接する寺院の一部( 鎮守社 )で
 あったのが、明治の神仏分離で独立した経緯のあるものがほとんどです。



   
 お勤めの後、奥の院から写真 ( 清水の舞台 ) を撮りたかったのですが人の波に
 押されて奥の院下の石段をおりる。


   
   奥の院舞台下。


   


 


        


   


   
   音羽の滝
 三筋の霊水は大昔より音羽山中より湧き出る清水であり、創建以来一度も枯れる
事なく、今日に至ります。観音様の功徳水でである金色水とも呼ばれて、延命長寿、
諸願成就のご利益があるといわれてきました。 ( 霊水 冥加料 五百円 ) またここは
開山延鎮上人と開基行叡居士が出会つた当山の起源の場であり、現在では不動明
王をご本尊としてお祀りいたしております。
毎月二十八日の不動縁日には朝七時より山内僧侶が揃い、信者と勤行を致します。
是非とも早朝の荘厳な雰囲気の中、共にご参拝頂ければ幸いです。  合掌
                        音羽の滝説明板より


       


 



   


 
 奥之院 ( 重要文化財 ) 江戸初期 1633( 寛永10 )年再建
本堂・舞台と同じく、寄棟造り、檜皮葺屋根は美しい反り曲線を描き、軒下の随所に
極彩色文様の跡が残っています。   秘仏の本尊千手観音は、現存する最も古い
三面千手観音坐像です。現在、清水寺奥之院 ( 重要文化財 )は修復工事中です。


   


   


         
         十一重石塔。
放生池の前にある「十一重石塔」 江戸時代 (1634年 ) に本堂ほか諸堂の再建記念
に建立されました。その左に大久保芳広が建立した「筆塚」があります。


          []
           「 筆塚 」 大久保芳広建立。


   


         


     


   


    
    ひとりはぐれていまいました。


   


   
   仁王門前へ。


    
    約1時間30分 ( お勤めも入れて ) 慌しい清水寺参拝でした。


    
    観光バスで一杯の市営駐車場です、バスを探すのに一苦労・・・・・・・
    

    
    何と !! 一番わかりやすい所に駐車していました。