西国三十三観音霊場・第九番 興福寺 南円堂 ( 2015-06-10 )
【 興福寺歴史と縁起 】 南都七太寺の一つ興福寺は 天智八 ( 669 )年、藤原鎌足の
病気平癒を願い妻の鏡女王 ( かがみのおおきみ) が 山階寺 ( 京都市山科区 ) を
建立したのが始まり。和銅三 ( 710 ) 年、藤原不比等が 平城遷都にともない、寺を
京都から飛鳥の地を経て現在地に移転、「興福寺」と改名された。
南円堂は、弘仁四 ( 813 ) 年、藤原冬嗣が父 内麻呂の追善供養のため建立され
寛政元 ( 1789 ) 年再建。平成9 ( 1997 ) 年に大修理を終えた南円堂は 現在5代目。
五重塔と東金堂はどちらも国宝。
東金堂。
どっしりとした風格の東金堂は聖武天皇が元正天皇の病気平癒を願って建立した御堂。
五重塔。猿沢の池からの優美な姿が有名だそうです。
向かって左側、興福寺中金堂は 平成再建工事中 ( 平成30年落慶予定 ) です。
南円堂。春日大社に向かって建つ南円堂は、直径15mの一重本瓦葺き、
頂に宝珠がそびえる朱塗りも鮮やかな八角堂です。
南円堂 本尊・・・・・不空羂索観世音菩薩 ( 運慶の父康慶作 ) かんのんみちより
本尊の不空羂索観世音菩薩は高さ3.36m、鎌倉初期作の木像坐像で国宝。
文治5 ( 1189 ) 年 仏師運慶の父 康慶によって造られた。
羂索とは綱を意味し、左手に持つ慈悲の羂索で人々の苦しみを救うことを示し
すべての願いを空しいものにはせず ( 不空 ) 、願いを叶えてくれるという。
本尊 御真言・・・・・おん はんどまだら あぼきゃ
じゃやてい そろそろ そわか
札所等・・・西国三十三観音霊場 第九番札所
名称・・・興福寺 南円堂 ( こうふくじ なんえんどう )
本尊・・・不空羂索観世音菩薩
宗派・・・法相宗
開基・・・藤原冬嗣
創建・・・弘仁4年 ( 西暦 813 )
南円堂 散華 TEL・・・0742-24-4920
三条通り、猿沢の池へ下りる。池の向こう側から五重塔を撮りたかったのですが
皆さんとはぐれ迷子になっては大変なので諦める。
三条通り、猿沢商店街。
興福寺国宝館。
バスは国宝館前に駐車、出発時間迄には少し余裕があるので国宝館へ。
興福寺は、和銅 3年 ( 710 ) に飛鳥から現地に移築造営
されて以来、焼失と再建を繰り返しながら、1300年もの歴史を
刻んでいます。現在は、享保2年 ( 1717 ) の大火で焼失した
中金堂の再建事業進行中 ( 平成30年落慶予定 )。
昭和34年に開館された国宝館は、平成22年にリニューアル
され、国宝45点、重要文化財19点を公開されている。
また 天平彫刻の傑作 阿修羅像を始めとする八部衆や十大弟子像ほか躍動感
あふれる鎌倉彫刻などが展示。
なかでも国宝館の中央に聳え立つ興福寺 食堂 ( じきどう ) 本尊千手観音立像の
前に立つと感動し身が竦む様でしたが ( 千手観音の手はどの様に付いているのか
バッチリと観察、後方の手は光背 ( こうはい )にくっついていました )
国宝館は撮影禁止 ⇒ 興福寺 食堂 ( じきどう ) 千手観音立像 かんのんみちより