第2回 令和3年4月8日 ( 木 ) 菊間地区他 ( 13ヶ寺 )
85番・長本寺、87番・千手観音堂 ~ 1番・円城寺 ~ 2番・常光寺 ~
4番・瀧観音 ~ 6番・明浄寺 ~ 7番・真福寺 ~ 11番・献珠院 ~
10番・地蔵堂 ~ 13番・掌禅寺 ~ 15番・長法寺 ~
17番・遍照院 ~ 20番・円福寺 ( 約30km )
今回の第二回 旧野間郡新四国八十八ヶ所めぐりは 菊間地区の13ヶ寺をすべて
第一番札所円成寺ご住職 内藤卓洲さんがご一緒してくださいました。
8: 58 大西支所出発。 ( 参加者13名 )
9: 00 車中にて大西町史談会 村上勝正会長の挨拶。
〇平成27年に「 日本遺産 」に認定された、本四国八十八ヶ所 ( 四国遍路 ) は弘法大師空海が開いた、平安時代前期の弘仁6 ( 815 ) 年に始まるが、その行程は1400kmに及ぶため、一般庶民にはむずかしく、江戸時代後期には生活に余力ができ、信心の厚い人たちに手軽にお参りができる、ミニ四国八十八ヶ所が各地に設けられた。 〇その一つである旧野間郡新四国八十八ヶ所は、天保2( 1831 ) 年に、菊間町種に始まり菊間町内を回り、大西の海岸寄りを通り、波方町、波止浜、乃万を経て、太西町の山側、菊間町種を一巡する。約108kmの行程で開設された。 〇内訳は寺院が29ヶ寺で、現在住職が管理されているのは26ヶ寺である。このうち宗派は最も多い真言宗が16、曹洞宗7、天台宗2などである。残りの堂宇は59ヶ所で、多いのは薬師堂16、観音堂13、地蔵堂11、大師堂8、阿弥陀堂4ヶ所などである。本尊は観世音菩薩23、地蔵菩薩19、薬師如来19、阿弥陀如来9、弘法大師8、釈迦如来3、不動明王2などである。 〇創立が昭和53年4月の大西史談会は平成31年3月に創立40周年記念事業として、冊子「 旧野間郡新四国八十八ヶ所めぐり 」を「 がんばる地域活性化協議会連合体 」と共同で刊行し、それを記念に、去年この札所めぐりを実地する予定であったが、新型コロナの影響で、1年遅れの今年3月、4月、5月 の3回に分けて行うことになった。この八十八ヶ所で、住職が管理されている26ヶ寺はすべて巡礼するため、各寺院へは史談会 がお参りすることを事前に電話連絡をすることにした。残念なことに、開設以来既に190年が経過し、廃堂は10ヶ所に及んでいる。
〇3月11日 ( 木 ) に第1回目として大西地区を中心に、参加された第1番札所円成寺ご住職内藤卓洲さんに合わせ、マスクをして般若心経をとなえながら、いずみ観光のマイクロバスで25名が、15ヶ所を巡礼した。道すがら、乃万地区などで石造物 ( 五輪塔・、宝篋印塔 ) を見て回った。
〇3月11日は、たまたま東日本大震災から年目に当たったため法隆寺において、午後
2時46分から1分間全員で黙とうを行い、犠牲になられた方々への追悼を実施した。
以上 ( 車中での村上会長のお話より )
第八十五番札所 長 本 寺
第八十五番札所 長本寺
山号 宝珠山 地蔵院 長本寺
宗派 真言宗 豊山派
本山 長谷寺 ( 奈良県 )
本尊 地蔵菩薩
住所 〒799-2301
今治市菊間町佐方2304
旧佐方村一宮上賀茂神社の別当。ご本尊の地蔵菩薩は元久二年 ( 1205 ) 国主河野
伊予の守通信によって奉納された。
慶長十五年 ( 1610 ) 因島水軍の村上義光 ( 吉充 ) この地に移り住み、長本時のご
本尊地蔵菩薩を信仰し、代々村上氏の菩提寺として寺田を寄進するなどして興隆
に尽くしたと伝わる。ここには多くの一族の位牌が祀られている。
現在の本堂は昭和四十五年 ( 1970 ) に建立されたもの。
9: 12 長本寺参道口に到着。
鬼瓦がかけられている長本寺山門
瓦で作った龍の扁額
長 本 寺 由 来
真言宗 豊山派 宝珠山 地蔵院 長本寺
当山は佐方村一宮上賀茂神社別当である。本尊地蔵菩薩は土御門院詔仏師安阿弥の
彫刻で国守河野伊予守通信元久二年閏七月廿八日奉祀した。
村 上 水 軍 と の 関 係
因島村上水軍統師村上備中守義光 ( 備後青影城・青木城・向島城・余崎城・鞆津城
・伊予無宗天城等六ヶ城主 ) は、慶長五年関原役後、毛利氏に隋い長州八田間を領
していたが故あり所領を返上し、慶長十五年芸州竹原珍海山法成寺和尚の仲介によ
り時の城主加藤嘉明と和睦し客分として旧領無宗天城を望む当野間郡佐方保に居を
定めるに至った。
この時随従する者 ( 高木・瀬良田・馬場・菅・大島・湯山・末永・大名門・天野・
磯兼・大舘・宮塚・園・稲井 ) 等であった。
嘉明の会津転封後、帰農し代々庄屋として明治に至った。
義光公は、長本寺( 遍照院快遍上人開基 ) の本尊地蔵菩薩を信仰し代々村上家菩提
寺として寺田を寄進する等興隆に尽くし、元和九年二月廿九日歿した。
法名 照巖院殿泰如宗達大居士と号す。
当寺には、義弘公 ( 仁徳院殿前金吾判官義体宗大居士 ) 始め多くの一族の位牌と
義光公に随従した人々の内、慶長五年九月、古三津苅屋にて陣歿した諸士の位牌も
祀り、裏山には一族の石碑が並んでいる。 里の側山上には、義光公の墓石と伝え
られる五輪塔があり、入口には村上備中守義光公と印された公碑がある。
長 本 寺 概 要
総本山 長谷寺 ( 奈良県 桜井市 初瀬 )
開 基 慶安 六年 ( 一六五三年 )
本 尊 地蔵菩薩 脇仏・弘法大師像、如意輪観音、不動明王
建造物 本 堂 ・ 昭和四十五年建立、 庫裡 ・ 平成元年建立
山 門 ・ 佐方町西の村上庄屋屋敷にあったのを移築していたが
破損の爲、昭和五十八年原型の侭再建された。
( 本堂右側の長本寺由来より )
内藤住職にあわせてお勤めをします。
四月八日は花まつり、花御堂が用意されていますお釈迦様に甘茶をかけます。
本堂横の宝篋印塔
第八十七番札所 千手観音堂 ( 元観音堂 )
本尊 千手観世音菩薩
住所 〒799-2301
今治市菊間町佐方光野
長本寺から広域農道に向かって行き道路に
出る手前で左に下りる。木々が茂ったとこ
ろにコンクリートでできた千手観音堂があ
る。御本尊の千手観世音菩薩、脇士も整っ
ているが傷みが激しい。
長本寺から広域農道に出る手前で左側に下りる。
見逃してしまいそうなところに千手観音堂は建っています。
冊子をひろげて比べています。
灯明、線香、お賽銭をあげる。
堂内は狭いので外でお勤めをします。
火の始末をし、ガラス戸とサッシのカーテンを閉めて帰る。
9: 45 第一番札所 円成寺へ向けて出発。
第一番札所 円 成 寺 ( 元圓城寺 )
第一番札所 円城寺 ( 元圓城寺 )
山号 高仙山 円成寺
宗派 曹洞宗
本尊 阿弥陀如来
本寺 龍穏寺 ( 松山市山越 )
住所 〒799-2302
今治市菊間町種甲2555
第一番札所高仙山円成寺は、菊間の高仙山のふもとにある曹洞宗の寺。今治市
の野間馬ハイランドから菊間の松尾にぬける広域農道ぞいにあり、山門も大きく
【 野間郡新四国八十八ヶ所第一番札所圓成寺 】とあるのですぐわかる。
伊予の豪族河野氏一族の居城であった高仙山城と深いかかわりがあり度重なる戦
乱、幾多もの変遷を経て、嘉永二年 ( 1849 ) 高仙山円成寺と改め現在に至る。
ご本尊は阿弥陀如来で黄金に輝く美しいお姿をいつまでも拝することが出来る。
境内には休憩所があり住職所蔵の本を自由に閲覧出来る。
9: 46 第一番札所 高仙山円成寺に到着。
山門を入る。
お賽銭箱に 降誕会 花御堂 お誕生のお釈迦様に 甘茶をかけてあげてくださいと
本堂
本尊 阿弥陀如来像
( この御本尊の写真は 2012年1月29日参拝の日に撮影しました )
本堂の前でお勤めをします。
ご住職特製の甘茶のお接待がありました。
境内にある休憩所
境内の沿革。
円成寺は山号を高仙山と称して、高仙山とは最も深い慣例にある。
一三七九年 ( 六一七年前 ) 伊予の名門、河野一族の池原近江守通去の
居城として、高仙城を築城する。 同時に高仙山麓に、本堂 伽藍等
七坊を持つ霊巖山石城寺を建立したが、土佐の長曽我部一族の責めにあい
山麓の寺社ともども兵火にかかり炎上してしまった。
応永五年 ( 一三九八年 ) 本堂を再建したが、これも兵乱のため焼失して
しまった。その後、文明十一年 ( 一四八〇年 ) 高仙城主河野兵衛少輔通生
の手によって再建され、約百年に亘り、高仙城とともに石城寺も全盛期で、
平和な時代であったが、これも又、天正十三年七月二十四日( 一六八六年 )
豊臣秀吉の四国平定の命を受けた小早川隆景の軍勢に攻め破られ、当寺も
その難を受けて、伽藍はすべて焼失してしまった。
この戦いは特に激しく、大門付近まで打って出て死者二千を数へたと云わ
れている。この時、高仙城主の守り本尊であった石城寺の十一面観音像を、
村人が背に負い円福寺に預けたと云われるのである。この戦によって高仙城
は堕ち、河野氏も滅んでしまったのであるが、石城寺も又細々とした庵寺と
変わり、高仙城一族の霊を弔いながら、名も高仙山寺とか、種小山寺として
僅かに焼香を漂わせていた。
その後約二百六十年を経て嘉永二年 ( 一八四九年 ) 高仙山 円成寺と改める。
当山は本尊に阿弥陀如来をお迎えし檀信徒の篤い信仰に支えられ、また歴代
住職の辛苦によって、今日まで種部落の祈祷寺ならびに先祖供養の寺として
寺門が守られて来た。 ( 境内の石碑沿革より )
10 : 06 第一番札所札所円成寺より第二番札所常光寺へ向かいます。
第二番札所 常 光 寺
第二番札所 常光寺
山号 松尾山 龍照院 常光寺
宗派 真言宗豊山派
本山 長谷寺 ( 奈良県 )
本尊 地蔵菩薩
住所 〒799-2305
今治市菊間町松尾842
第一番札所円成寺から農免道路を松山方面へ走り、菊間町松尾地区に入ると左手
にあるお寺。立派な石垣があり長い石段があるが、右に回り込むと車で境内まで
行くことができる。桜の季節には右手に大きな桜が出迎えてくれる。
開基などは不明だが、天明8年 ( 1788 ) 住職 法印寛長が 寺格昇進と法流開基の
ため雑種地2丁を施入したとある。
松尾地区の道路標識を左に入る。
入る道筋を間違えてよそのお庭へ入ってしまいました。
一筋間違ったようです。
急な石段の上に山門があり、石垣沿いに右に上がると境内に入ります。
本堂
本尊 地蔵菩薩
石垣上白壁の鬼瓦、何かに似ていませんか ?
疫病退散 まるでアマビエさまのような鬼瓦 ・・・・・・・・・・!
山門からの風景。
10 : 27 バスに乗り 第四番札所 瀧観音へ向かいます。
第四番札所 瀧 観 音
第四番札所 瀧 観 音
本尊 観世音菩薩
住所 〒799-2305 今治市菊間町松尾
菊間町の景勝地、歌仙の滝にある観音堂。
すぐ横に歌仙の滝があり、滝壺の横には
観世音菩薩の石仏がある。
享保12年 ( 1727 ) から明治まで第二番札所
常光寺の支配下にあった。
其の後常光寺に合祀されたが、明治12年 ( 1879 ) もとの地に服された。春分の日に
は「 お滝さん 」と呼ばれている縁日があり、多くの人で賑わう。
約500m上流に霧合の滝がある。
時間の都合で県道46号線歌仙の滝駐車場前を通り過ごし霧合の滝を通り越し
少し上ったところに歌仙の滝入り口 ( 下り坂 )へはいる。
境内へ
流れる水の量は上で調節しているそうです。
観音堂の中
観音堂の前でお勤めをします。
松平定直公により建立された観世音菩薩立像
シャガの花
10 : 49 バスに乗り菊間町川上の第六番札所明浄寺へ向かいます。
第六番札所 明 浄 寺 ( 元 明星寺 )
第六番札所 明浄寺 ( 元 明星寺 )
山号 竜門山 福聚院 明浄寺
宗派 真言宗豊山派
本山 長谷寺 ( 奈良県 )
本尊 薬師如来
住所 〒799-2307
今治市菊間町川上329
菊間町川上地区の高台にあるお寺。大変手入れが行き届いたお寺で境内のまわり
にはたくさんの桜が植えられている。 開基は不明、享保11年 ( 1726 ) 火災で焼失
開基は不明、享保11年 ( 1726 ) 火災で焼失されたとの記録がある。
境内には鎌倉時代後期の作と伝えられる宝篋印塔 ( 市指定文化財 ) をはじめ多くの
石塔がある。境内の小さな庵には観世音菩薩の石仏が安置されている。胴の下の方
が割れている。
左に入ると山門、右は車道から境内に入ります。
境内へ
山門
本堂横の観音堂
観音様の石仏
本堂
本尊 薬師如来
お勤めをします。
明浄寺宝篋印塔 ( 市指定文化財 ) 鎌倉時代後期の作と伝えられている。
帰りは山門から下りる。
第七番札所 真 福 寺
第七番札所 真 福 寺
山号 桂松山 尊勝院 真福寺
宗派 真言宗豊山派
本山 長谷寺 ( 奈良県 )
本尊 地蔵菩薩
住所 〒799-2308
今治市菊間町中川011
菊間町の中川地区の寺で第十五番札所長法寺の住職が兼務している。
立派な石垣の上にあり、境内からは中川地区を見渡すことができる。
寺伝によると文禄年間 ( 1592~1595 ) 祐善上人が岩ヶ森山麓に伽藍を建立し、
高野山金剛三昧寺より子安地蔵を祀ったのが始まりとされている。元禄年間
( 1688~1703 ) の火災により、有俊上人が現地へ移転再建したと伝わっている。
また延宝4年 ( 1676 ) 5月医師鉄 ( 石鎚 ) 登拝の先達に選ばれるなど当時は、
相当の寺格と勢力を有していたと推測される。
真福寺は立派な石垣の上に建っています。
左側の参道を入る。
真福寺山門
本堂
お勤めをします。
境内には本堂を囲むようにたくさんのお墓や五輪塔が並んでいます。
境内や参道からは中川地区を見渡すことが出来ます。
道路脇の家の跡地には、ビックリするようなデッカイ金木犀の木があります。
正面に見えるのは天一神社の石段です。
第十番札所 地 蔵 堂
本尊 地蔵菩薩 住所 第十番券献珠院内
第十番の地蔵堂は廃堂となり、第十一番の献珠院に合祀され、
本堂に祀られている。
今もお供え物が絶えることがなく信仰の篤さがうかがえる。
地蔵菩薩の像は、個性的で非常に丁寧に造られているが、
いつころの時代のものか定かでない。
第十一番札所 献 珠 院
第十一番札所 献 珠 院
山号 高徳山 献珠院 福田寺
宗派 真言宗豊山派
本山 長谷寺 ( 奈良県 )
本尊 十一面観世音菩薩
住所 〒799-2309
今治市菊間町高田791
ひときわ大きな本堂を持つ献珠院は、真言宗豊山派の寺だが昭和56年頃一時
高野山真言宗だった時期がある。
入口の石には高野山真言宗高徳山福田持献珠院とあるが、前住職の時代に豊山派
に変わった。現在は第十五番長法寺住職が兼務。 ご本尊は十一面観世音菩薩で、
いつでも拝することができる。第十番の地蔵菩薩は、十一面観世音菩薩の横に祀
られている。境内には大きな桜の木がある。
開基は、献珠院殿内覚妙善禅尼延宝元年 ( 1673 ) 死去による。
11 : 55 県道164号線沿いの菊間公民館の横道を入る。
高野山真言宗 高徳山 福田寺 献珠院 の石標
献珠院 山門
本堂
本堂へ上がらせていただきました。
御本尊 十一面観世音菩薩
御本尊の左側には廃堂になった第十番地蔵堂の本尊地蔵菩薩が祀られています。
お勤めをします。
麦茶 ( ペットボトル ) のお接待をいただきました。
第十三番札所 掌 禅 寺
第十三番札所 掌 禅 寺
山号 金龍山 ( 金比羅山 ) 掌禅寺
宗派 曹洞宗
本尊 延命地蔵菩薩
本山 龍穏寺 ( 松山市山越 )
住所 〒799-2304
今治市菊間町池原1100
菊間町掌禅寺と言えば、金龍桜が有名で高さ16m、幹回り3.88m、樹齢300年
の巨木、品種はウドヒガンでソメイヨシノよりも少し早く咲き、多くの花見客が
訪れる。 金龍桜という名前は、掌禅寺の山号金龍山に由来しているる掌禅寺は
曹洞宗のお寺で、開基は河野道光と伝えられており、位牌に天正十五年 ( 1597 )
7月10日とある。
山門の仁王像は、古いものだがユーモラスで愛らしい。現在は第一番円成寺住職
が兼務しいてる。
掌禅寺山門 ( 仁王門・鐘楼堂が合体 )
奉納草鞋を腕に掛けた仁王様
掌 禅 寺 手 控
開 創 天正年間 ( 豊臣秀吉全盛期頃 約四百~四百三十年前 ) ト推定
本 尊 延命地蔵大菩薩・鎮守 金毘羅大権現
開 山 牯溪本牛禅師 ( コケイホンギュウゼンジ ) 、開基 掌禅寺殿日晴東光大居士
当山ハ「 オ太郎サン 」ノ菩提所トナッテイルガ、コノ「 お太郎さん 」ノ
事跡ハ 河野由縁ノ 得居太郎通光トカ、原通光 ( 僧名 善勝 ) ト云ワレテイル
ガ、猶、定カデナイ。今ハ唯、コノお太郎さんユカリノ人々ノオ寺ト推定
スルノミデアル。
宗 旨 曹洞宗 ( 禅宗 ) 大本山 福井県 永平寺 横浜市 総持寺
我ガ国デノ法統ノ源ハ、一二二七年 ( 鎌倉時代初期 道元禅師ガ 宋カ伝法帰
国サレタ時二遡る。宗門全体ノ御本尊ハ「 おシャカさま 」デ、オ昌名ノ際
ハ「 南無釈迦牟尼仏 」トオ唱エシマス。 又、私達ノ宗旨ノ生命ハ、人々
一人一人ガ、本来自ラニソナエテイル仏心ニメザメ、仏ノ子ノ行特、仏ノ
御姿トシテノ座禅ニ励ム所ニアリマス。
本 尊 延命地蔵大菩薩
モトモトノ木彫ノ尊像ハ老朽倒壊シタ。現尊像ハ、昭和二十六年 迎座開眼ノ
金剛仏デアル。( 十七卋卓䛋代 )
本 堂 弘化二年 ( 1845 ) 再建立
江戸時代末、当山衰徴、堂宇ノ老朽損壊甚ダシク 遂ニ 本寺松山龍隠寺ヨリ
大鏡長老ガ派遣サレテキタ。
同師ハ当山十卋トシテ住山十年、再興ノ業ヲ果タシタ。
願主 長野牛十郎 村上庄屋河原田▢三郎
大工棟梁 常藏、千藏 木挽 岩藏
平年分大行持
正月九日 大般若会 ( 金毘羅宝前 )
八月二十三日 大施餓鬼会 ( 地蔵盆 )
昭和六十年丑歳 十八卋 豊州 誌
仁 王 門 由 来 大工棟梁 当村 嘉藤次
仝 肝煎 浜村 柳 吉 木 挽 当村 岩 藏
此の仁王門は、慶応三年 ( 1867 ) 十月に建立されたのですが、これについて、
棟札には漢文で次のようないきさつが述べられています。
慶応三年春、太田城官という人が長野文右衛門という人を訪れ、次のように
語らいました。「 金龍山金毘羅宮ハ一郡一社ノ鎮守野間郡全体ノ尊ブトコロデ、
文化十年 ( 1813 ) 二鋳造サレタ 梵鐘モ広ク郡全体ノ 勧進ニヨッテデキタ。
然ルニ、ソノ梵鐘ハ去ル安政二年 ( 1855 ) ノ 勅命デ 領主ノモトヘ強制的ニ献納
サセラレ、爾来、永イ歳月、金毘羅宝前カラ鐘ノ音ガ絶エ、郡民ヒトシク残念ニ
思ッテイル。ソレデ、再ビ新シイ梵鐘ヲ造ルヨウ、人々ニ呼ビカケヨウデハアリ
マセンカ。」 熟談の末、二人は「 米五十五十俵 」の予算をたて、村や郡の
有志に相談したところ皆々感奮して協力してくれることになりました。それどこ
ろか「 五十俵 」の見積もりは郡全体で「 百七十俵 」という予想以上の寄進とな
り、梵鐘 ( 指渡 ニ尺五寸、重サ八十五貫 ) の再鋳を見た次第であります。
さて、梵鐘再鋳後、なお、かなりのゆとりがあるので その資金で「 仁王門 」を
建立したところ、今度は幾らかの赤字となったのですが、それは世話役の人々で
補いました。
これらの事を棟札に記したのは、当時六十五歳の十一代目雄▢さまで、
文の締めくくりは次の通りです。
十方喜捨之▢▢及見聞の輩隋喜讃嘆銘肝百歳後
願主若慮以不易爲令告知後人記之者也矣
注 1、右の分にでている鐘は太平洋戦争の時に徴発され、現在の鐘は戦後
昭和二十六年に再鋳したものです。
2、お仁王様は、明治十年 ( 1877 ) 今治別名の嘯月院の生月省菴和尚に
依って彫られたものです。
昭和六十年 ( 御開山、御開基 ) 遠忌報恩法会の日 十八卋 誌
仁王門から中門へ入ると正面に立派な本堂が見えます。
本堂
本尊 延命地蔵大菩薩
金毘羅宝前
忘れないうちに記念写真、ご住職が花御堂を中央にセッチングして下さいました。
境内でお弁当をいただきます。
⇒ こちらは2017年4月4日 掌禅寺へお花見に来て楽しかった日の様子です。
⇒ こちらは 今年 3月23日、金龍桜を見物に掌禅寺へお邪魔しました。
弁天堂 弁才 ( 財 ) 尊天 ( 別名天女像 )
本尊東側の弁天堂にお祀りしています。弁舌や財産などのご利益があるとして
信仰されています。 ( 掌禅寺パンフレットより )
第十五番札所 長 法 寺
第十五番札所 長法寺
山号 医王山 金剛須院 長法寺
宗派 真言宗豊山派
本山 長谷寺 ( 奈良県 )
本尊 薬師如来
住所 〒799-2310
今治市菊間町長坂1741
菊間小学校の裏、長坂地区にあるお寺で立派な石垣の上のひときわ高い場所に
ある。境内からは左手に瓦館と厳島神社のある小高い山、右手には菊間小学校
比の向うに菊間町の町並、そして海まで見渡せる。
寺伝によると天文12年 ( 1543 ) 創立とある。ご本尊は薬師如来で秘仏となって
おり、60年に一回御開帳される。2019年が御開帳の年となっている。
長坂地区へ。
正面に山門へ続く石段と石垣に沿って左右に境内へ入る車道があります。
「医王山 金剛須院 長法寺 」石標
長法寺本堂
本尊 薬師如来 ( 御前立 )
長法寺境内
境内からの風景です。
境内の白壁に芝桜か美しく映えて・・・・・・・・・・・・とっても癒される風景です。
第十七番札所 遍 照 院
第十七番札所 遍照院
山号 法佛山 遍照院 日輪寺
宗派 真言宗豊山派
本山 長谷寺 ( 奈良県 )
本尊 聖観世音菩薩
【 開基本尊】厄除弘法大師
住所 〒799-2303 今治市菊間町浜89
全国から多くの人が厄除けのご祈祷に訪れる厄除け大師の寺。
1月は毎週土・日曜日に、2月は毎週日曜日に厄除け護摩祈祷が行われる。
2月3日は節分会厄除け大祭で、地元の厄年の人により、豆まき、餅まきが
行われ、鬼瓦の神輿が奉納される。豆まきでは「 福は内・鬼も内 」と唱え
られる。
法佛山縁起によると弘仁6年 ( 815 ) 弘法大師が四国巡錫 ( じゅんしゃく ) をした
折、聖観世音菩薩を刻して本尊として安置、また自らの42歳の厄除けと人々の
厄除けの秘法を残されたと伝えられている。
国道196号線沿いにある山門の左側には。
「 四国霊場 中札所 弘法大師やくよけ別願所 遍照院 」の石標。
山門の鬼瓦
3月3日の節分会厄除け大祭では、地元の厄年の人により、豆まき、餅まきが
行われ、山門の鬼瓦を頭合わせにした一体 ( 一基 ) の鬼瓦の神輿が奉納されます。
第二十番札所 円 福 寺
第二十番札所 円 福 寺
山号 摩尼山 地蔵院 円福寺
宗派 真言宗豊山派
本山 長谷寺 ( 奈良県 )
本尊 地蔵菩薩
住所 〒799-2302
今治市菊間町種甲3851
御本尊は地蔵菩薩。祀られている十一面観世音菩薩は平安時代の仏師定朝の作と
伝わっており市指定文化財になっている。33年ごとに開帳される。
山門の扁額には「 霊巖山 」とある。実際は「 摩尼山地蔵院円福寺 」なのだが、
これは元々十一面観音が高仙山の「 霊巖山石城寺 」にあったためだと思われる
大正15年 ( 1926 ) の水害により、裏山が崩落、現在の本堂は昭和4年 ( 1929 ) に
新築されたもの、境内には菊間瓦でできた獅子の線香台がある。
国道196号線沿いの種川に架かる種橋でバスを降り川下の橋を左折。
参道には昔の防空壕らしき穴が・・・・・・・・・・!
こ の お 寺 の 宗 旨
宗 名 真言宗豊山派 ( しんごんしゅうぶざんは )
本 尊 真言宗の本尊は普門崇徳の大日如来です。
の本尊は です。
祖 師 宗 師 弘法大師 ( 西暦 七七四年 ~ 八三五年 )
中興祖 興教大師 ( 西暦 一〇九五年 ~ 一一四三年 )
派 祖 専誉僧正 ( 西暦 一五三〇年 ~ 一六〇四年 )
伝 承 今から千百五十年の昔、弘法大師が唐に渡り、諸仏の本祖である
大日如来から嫡々相承した秘法を恵果 ( けいか ) 和尚から伝承して、
日本へ帰り真言宗として開祖されました。それから三百年後一宗
の紀綱 ( きごう ) が漸く弛んだ時に興教大師が宗風を興隆されました。
このお二人を両祖大師とあがめ、更に五百年後に専誉僧正が大和の
長谷寺を中心に この教えを弘めましたので両祖大師と共に三祖と申
し上げております。
教 義 一、即身成仏 ( この身このままで仏になること )
二、密厳国土 ( この世の中を浄土にすること )
仏のような心で仏のように行い、仏のように語れば、私達の日々の
生活は自ら清らかになり この身このまま仏 ( 覚者 ) になります。
この世の中は浄土となります。 このことが即身成仏であり、密厳
国土であり、わが真言宗の教義 ( おしえ ) であります。
総本山 大和の長谷寺 ( 奈良県桜井市、西国三十三ヶ所 第八番 )
お 経 般若理趣経、般若心経、光明真言、観音経等をよみます。
真言陀羅尼 ( しんごんだらに ) は大切なお経です。
( 本堂正面の額 このお寺の宗旨より )
菊間瓦の珍しい線香立
本堂前でお勤め。
右側のお堂に向いて手を合わせ。
最後は大師堂の方を向いて手を合わせます。
菊間瓦の立派な鐘楼堂
高台からは種地区の町並を見渡すことが出来ます、白い建物は亀岡小学校です。
帰りは車道を下りる。
種川沿いを歩きバスの待つ種橋へ。
14 : 30 本日の野間郡八十八ヶ所菊間地区の13ヶ寺参拝は無事に終わり、
種橋で社協のバスに乗り大西支所へ帰ります。
14 : 42 大西支所到着。内藤卓洲ご住職先達の御役目ご苦労様でした。
お陰で楽しく巡拝することが出来ました ー 感謝 ー
本日の歩いた距離・・・・・4.5 km。 歩いた歩数・・・・・7891歩でした。