略縁起 標高382mの弥谷山南麓に所在する。聖武天皇の勅願により、
行基菩薩が堂宇を建立。当初は、中国、四国の八国が眺められたことにちなみ
蓮華山 八国寺と称したといわれています。
空海 ( 弘法大師 )は7〜13才の期間、当寺にある岩窟の師子窟出修行したという。
後に (大同2年 ( 807年 ) 唐より帰国した空海は当地を再び訪問し、蔵王権現の
お告げにより、千手観音を安置し伽藍を再興し、
その時に 山号を 剣五山 千手院 寺名を 弥谷寺と改められました。
弥谷寺 表参道。
参道を少と上ると俳句茶屋が、
⇒ 2009年6月13日参拝の時は薄暗くて思わず廃墟かと・・・
弥谷寺仁王門。
金剛力士像。
やっと、6メートル巨大観音像の立つ横駐車場で、パーキングから
入ったじいちゃんと合流。
秋になると紅葉がきれいだろうなと思いながら赤い手摺の石段を・・・・・・・
石段を上ると 大師堂入り口に出ます。大師堂の参拝は本堂のお参りの後にします。
多宝塔を左に見ながら ( 紅葉の季節はどんなに美しいでしょう脳裏にモミジを
赤く染めて)
観音堂。
水場の洞窟。以前参拝の時と雰囲気が?・・・・・⇒2009年6月13日の洞窟前。
磨崖仏。本堂の手前の岩肌には、弘法大師が彫ったとされる釈迦三尊。
登りは3度も休憩した じいちゃんでしたが、下りは楽々でした。
大師堂・納経所・奥の院師子の岩谷入り口。師子の岩谷 丸い小窓は( 明星之窓 )
奥の院 師子の岩谷。
師子が厄災・罪科を食いつぶすという信仰とともに、弘法大師がこの岩谷にて
7才〜12才頃 岩谷奥にある経藏を使い儒学や文学などを学ばれ、
夜は岩谷の窓 ( 明星の窓 )から見える星や月の光をつかい学問に励まれました。
唐より帰朝後、この岩谷で護摩を修し、寺宝の「金剛四天王五鈷鈴」 を納め
られたといわれている。岩谷内には、厄除大師像・玉寄御前像 ( 母君 )
佐伯善通像 ( 父君 )と緒仏が祀られています。
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弥谷寺 御詠歌 ( 1991年4月3日 ) ( 2009年6月13日 )
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本尊御真言・・・・・おん ばざら たらま きりく
札所等・・・・・七ヶ所まいり〜七福神なで仏〜大黒天。
国八十八ヶ所 第七十一番札所。
名称・・・・・・剣五山 千手院 弥谷寺
本尊・・・・・・千手観世音菩薩
宗派・・・・・・真言宗善通寺派
開基・・・・・・行基
所在地・・・・・〒767-0031 香川県三豊市三野町大見70
☎・・・・・・・0875-72-3446
仁王門から納経所のある大師堂、さらに上の本堂までの540段の石段は・・・・・・・・・・流石、
足に負担が、大師堂前で「賓頭蘆尊者」の脛 ( すね ) をなでて自分の脛をなでてると
お坊さまが こちらに目をやり、微笑みながら前を通りすぎて行かれました。
また何時の日にか紅葉の季節にお参りが出来るとを楽しみに・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
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