町内歴史探訪 ( 大西町・ 脇地区 )
5月18日 (木) 13時00分 大西支所駐車場集合。
解散 16時30分の予定 ( 各駐車場からは坂道、草道あり徒歩で約6000歩・・・! )
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町内歴史探訪 ( 脇地区 ) 大西町史談会 令和5年5月18日
① 新開 ( しんがい ) の ( 株 ) 来島どっく資材置き場
小西村役場・小西農業協同組合跡
・ 脇地区新開は小西村 ( 明治23年~昭和30年 ) の中心地
小西小学校跡
・ 昭和22年 小西国民学校 → 小西小学校
昭和41年 大井小学校と統一 大西小学校
・ 二宮金次郎の台座、東門の橋
遍路道標 一字一石塔
・ 「( 手印 ) 施主 大阪市南区三井戸町 満寿平三郎 ( 他4名 ) 明治二十七年三月吉日
四国一百三十四度目為供養 周防国大島郡椋野町 願主 中務茂兵衛義教 」
・ 「 安永十丑天 稱讃浄土三部妙典一字一石塔 三月廿日 」( 安永10年=1781年 )
あげうち山・上坂
・ 大正14年 予讃線を通すため掘削
・ 昭和42年 国道196号線の路線変更のため大西袴線橋を架設
小西保育園
・ 昭和25年 私立の保育園として設立
・ 昭和60年 社会福祉法人 今年で設立73年
② 駐車場 明専寺
明専寺
・ 湯谷山柳山院明専寺 浄土真宗本願寺派 本山は龍谷山本願寺 ( 西本願寺 )
・ 1657年 善正が九王で開山 1659年 脇に移転 開創366年
・ 石垣寄付石 句碑 鐘楼門 大谷紝子 ( きぬこ ) 石碑 本堂 本尊 鐘楼門と
石垣の建造時の資料など 即如 前門石碑「 湯谷乃松」の跡 石垣
コンクリート製の代用 「鐘」
③ 駐車場 脇公民館付設の駐車場 ※ 脇公民館のトイレ使用可能
御城池隧道 ( 取水隧道 )
・ 御城池の水不足解消のため隧道 ( トンネル ) を掘って導水
・ 大正8年 ローソク、 ノミ、 シャベル、 磁石、 水平器、 糸、 土運びの
小車で両端より掘削
・ 約250mの隧道を7ヶ月で完成 かっては竪穴から入り隧道の修復
・ 平成24年 御城池側を修復 2ヵ所に桝を設置 ( 深さ330cm と160cm )
④ 駐車場 清水谷の前池土手
「 清水 御旅所 」
・ 「 奉寄進 清水氏子中 嘉永七寅年八月吉日 」 ( 寛永七年=1854年 )
・ 「 清水 」は現在の清水谷と御城谷の地域 「 氏子中」の読みは「うじこじゅう」
前池ポンプ
・ みかん栽培の隆盛で脇奥地区灌水組合を設立
・ 灌水組合が錆川下流に錆川 ( 深井戸水中 ) ボンプを設置 → 現在は脇部落預り
・ みかん価格の低迷で灌水組合の解散
・ 現在の揚水経路 錆川ポンプ → 前池 前池ポンプ→ 堂池→新池→中の谷池
新田さん ( 脇屋社 )
・ 1342年 大井寺住職が脇屋義助( 新田義貞の弟 ) の遺体をひそかに運び埋葬
・ 明治3年 松山藩の命により貴布禰神社に合祀 祭神「 脇屋刑部卿源朝臣
義助公霊 」
・ 大正10年頃 石組みの棺・土器・錆びた馬具などが出土するが行方不明
・ 脇の地名 賀茂神社付近から泉が湧くので → 「湧村」→ 脇屋義助との関係で
「 脇村 」?
仙久寺
・ 本尊は地蔵菩薩 脇屋義助の菩提を弔う ?
・ 「 お堂まいり 」 清水谷と御城谷の家々が当番で毎日
賀茂神社跡
・ 元は 「 清水 」 地域の氏神
・ 明治42年 内務省訓令により貴布禰神社に合祀
合祀神社名 ( 清水明神社・古明神社・他8社 )
⑤ 駐車場 河原( かわら )付近の私有地
「 越智郡往還 」 跡
・ 旧脇村と旧山ノ内村を結ぶ主要道路 ( 明治13?年の地図 ) 一部が旧両村の境
・ 現在の直線道路 ( 昭和6年の地図 ) 「 明堂さん 」への参拝路
習静学校跡
・ 明治10年 旧両村が「( 脇村 )田舟」に開校 ( 明治13年の生徒数69人)
明治20年 閉校
戸長役場・掲示場跡
・ 旧両村の役場 所在地「( 脇村) 田舟 山之内村渡部幸吉持家仮用」
(『野間郡地誌』明治13年 )
・ 掲示場 位置 「( 山ノ内村 ) 西ノ内 千四百十弐番地」
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町内歴史探訪 ( 脇地区 )の資料を案内の越智和志先生に説明をしていだきました。
13 : 05 参加者の車に乗り合わせ大西支所出発。
13 : 10 新開 ( しんがい ) の ( 株 ) 来島どっく資材置き場前到着。
小西小学校跡
昭和22年 小西国民学校 → 小西小学校
昭和41年 大井小学校と統一 大西小学校
小西村役場・小西農業協同組合跡
脇地区新開は小西村 ( 明治23年~昭和30年 ) の中心地
二宮金次郎の台座跡
二宮金次郎の像は陶器ででつくられてたのでしょうか ・・・・・・?
左側予讃線踏切の手前に東門の橋がありました。
遍路道標・一字一石塔へ・・・・・・。
遍路道標 一字一石塔
「( 手印 ) 施主 大阪市南区三井戸町 満寿平三郎 ( 他4名 ) 明治二十七年三月吉日
四国一百三十四度目為供養 周防国大島郡椋野町 願主 中務茂兵衛義教 」
「 安永十丑天 稱讃浄土三部妙典一字一石塔 三月廿日 」( 安永10年=1781年 )
小西村役場・小西農協跡と旧小西公民館
ゆるやかに見えますが・・・・・・・・・・・・・・・・・・
あげうち山・上坂
大正14 年 予讃線を通すため掘削
昭和42 年 国道196号線の路線変更のため大西袴線橋を架設
昭和四十二年三月架設
袴線橋のガード下を歩き・・・・・・・・・・・・・・・・・・
段差のある上坂踏切
手で押して通行してください JR四国の黄色の看板がたっています
キケンだけと無くてはならない踏切のようです。
昭和25年 私立の保育園として設立。 昭和60年 社会福祉法人 今年で設立73年の
小西保育園は左側の奥にありますが今日はここで引き返します。
13 :42 ( 株 ) 来島どっく資材置き場より車に乗り合わせて明専寺へ移動
13 : 45 明専寺 駐車場へ到着
明専寺浅野亨之住職が待っていてくださいました。
大西史談会村上勝正会長の挨拶
野亨之住職による説明
参道右側に石垣寄付石
奉寄進
親鸞聖人御像
歌碑
鐘楼門 天保11年建立 ( 183年前 )
御手植ノ松
手水舎
13 : 58 本堂へ
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本堂には明専寺の貴重な資料や素晴らしい書画が展示されていました。
本堂に展示された史料
◎本尊( 阿弥陀如来 ) 木仏御札 ◎「 鐘楼門再建記録」 天保ニ年正月
◎「鐘楼再建奉加帳」 天保七年三月 ◎「 鐘楼門入用帳 」 天保七年七月
◎「石掛寄進案内帳」 天保七年四月 ◎「 石掛入用控 」 天保七年八月
◎「石垣入用扣」 安政三年 ◎「 石垣入用帳 」 安政四年
◎「虎烈刺病豫防心得」 愛媛県令 明治十三年
◎「コレラ豫防」 愛媛県衛生課 ◎ 菅 周庵 漢詩屏風
約10分余り ご住職のお話 ( 明専寺の歴史 ) や昔の写真等を見せていただきました。
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14 : 10 本堂を出る。
「湯谷乃松」跡
おとしの地蔵さんは明専寺の裏口 (お花畑 ) に安置されています。
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おとしの地蔵
病気で熱がでたとき、この地蔵さんに祈願すると、
熱が落ちるので、おとしの地蔵と言われるようになった。
おとしの地蔵さんは 2015年7月11日、明専寺白壁横斜面にに安置されていました。
( 2015年7月11日、大西町歩こう会より)
2016年12月11日、おとしの地蔵さんは親鸞聖人御像台座の一段下に他の石像と一緒に置かれていました。 ( クワハウス・史跡巡りウォーキングより )
2016年12月11日、明専寺駐車場からの風景。( クワハウス・史跡巡りウォーキングより )
2018年7月14日、工事中の明専寺白壁の塀はまだありました。
( 大西町歩こう会 脇地区・貴布弥神社、あしかさんより )
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コンクリート製の代用「鐘」
14 : 30 明専寺の見学を終え自動車に乗り合わせ脇公民館付設の駐車場へ。
脇公民館付設の駐車場で降りる。
脇公民館のトイレが使用できます。
御城池隧道へ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
御城池隧道入口
御 城 池 隧 道
山之内川の寺井手堰から 山の向う側にある御城池へ水を導入するための隧道である。
約 250 m のトンネルは大正 ( 1919 ) 年 村人たちによる手掘り作業で僅か7ヶ月で
完成した。 以来 御城池の水不足はなくなった。
大西町史談会
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大西史談会6月例会 越智先生の演題「 大西町脇地区をめぐる 」に参加のあとに
内容はゆっくりと入れていこうと思っています。