第一回 旧野間郡新四国八十八ヶ所めぐり

     旧野間郡 四国八十八ヶ所めぐり ( ウォークラリー )

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        「 旧野間郡 新四国八十八ヶ所めぐり 」2019年3 月31日
          初版一刷発行   がんばる地域活性化協議会連合体
            編  集   大西町史談会

   大西史談会は昭和53年4月創立、平成31年3月に創立40周年記念事業として
  冊子「 野間郡四国八十八ヶ所めぐり 」を「 がんばる地域活性化協議会連合体」
  と協同で刊行し、それを記念に、昨年札所めぐりを実地する予定が、新型コロナの
  影響で、1年遅れて今年の3月、4月、5月に分け実施されることになりました。


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  コロナウイルス感染拡大予防のため中止になっていた 旧野間郡四国八十八ヶ所めぐり    ( ウオークラリー ) が一年遅れて放棄地 ( 廃堂 ) を除き、約半分の札所を回ります。

    野間郡四国八十八ヶ所めぐり ( ウォークラリー ) 巡礼札所
 1、第1回 令和3年3月11日 ( 木 )  大西地区他  ( 15ヶ寺 )
   81番・明専寺 ~ 82番・成道寺 ~ 22番・国恩寺、83番・薬師堂 ~
   25番・本龍院 ~ 26番・九王地蔵堂 ~ 50番・地福寺 ~
   52番・乗禅寺 ~ 64番・野間寺、63番・虚空蔵堂 ~ 66番・安養寺 ~
   68番・真光寺 ~ 69番・法隆寺、72番・阿弥陀堂、74番・普賢堂。
                                 ( 約27km )   

 2、第2回 令和3年4月8日 ( 木 )  菊間地区他  ( 13ヶ寺 )
   85番・長本寺、87番・千手観音堂 ~ 1番・円城寺 ~ 2番・常光寺 ~
   4番・瀧観音 ~ 6番・明浄寺 ~ 7番・真福寺 ~ 11番・献珠院 ~
   10番・地蔵堂 ~ 13番・掌禅寺 ~ 15番・長法寺 ~
   17番・遍照院 ~ 20番・円福寺              ( 約30km )

 3、第3回 令和3年5月6日 ( 木 )  波方波止浜地区他  ( 17ヶ寺 )
   35番・長泉寺 ~ 33番・地蔵堂 ~ 34番・薬師堂 ~ 37番・円蔵寺 ~
   42番・地蔵堂 ~ 39番・瑞光寺、38番・観音堂、40番・大師堂 ~
   41番・西宝院 ~ 57番・瑞泉寺、58番・地蔵堂 ~ 59番・金剛寺 ~
   60番・釈迦堂 ~ 61番・西明寺 ~ 54番・延命寺、55番・阿弥陀堂  ~
   56番・薬師堂
           以上     ( 合計 : 45ヶ寺 )

 

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    8 : 45  大西支所駐車場集合 ( 各自昼食持参 )
    9 : 00  出発  冊子を手に最初の札所 81番・明専寺へ。

 

           第八十一番札所 明 専 寺

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   第八十一番札所  明  専  寺

   山号 湯谷山  柳山院  明専寺    
   宗派 浄土真宗本願寺派   
   本山 西本願寺 ( 京都府 ) 
   本尊 阿弥陀如来   
   住所 〒799-2206 
       今治市大西町脇甲1277 

 

 堂々とした本堂がある浄土真宗本願寺派の寺院。野間郡八十八ヶ所の中で浄土真宗
 ここ1箇所だけ。
 開山は明暦3年 ( 1657 ) 釈善上人 ( 浅野善正 ) が九王村で開いたのが最初と言われる。
 浅野善正は芸州浅野藩の人で瀬戸の法泉寺で得度し、京都に上り宗義を極めた。その
 後、九王村で新田開拓をした桧垣五右衛門とともに明専寺を建立した。
 元禄10年 ( 1697 ) に現在の地に移った。ご本尊は阿弥陀如来の立像で大変美しく尊厳の
 あるお顔をされている。脇には親鸞蓮如の画が祀られている。

 

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  9: 02  第八十一番札所 明専寺駐車場到着
       第一番札所円成寺ご住職 内藤卓洲さんの紹介があり一緒に巡拝をして
      下さるそうです。

 

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    山門前に親鸞聖人御像

 

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  山門を入り本堂へ

 

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  明専寺ご住職に仏様の配置などの説明していただきまいた。

 

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           中央 御本尊 阿弥陀如来立像
      お脇掛 左 蓮如上人       お脇掛 右 親鸞聖人

 

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    第一番札所円成寺内藤卓洲住職に合わせてお勤めをします。

 

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    参道横にあるこの建物は昔脇部落昔の集会所だそうです。

 

         第八十二番札所 成 道 寺 ( 元城道寺 )

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   第八十二番札所  成  道  寺 ( 元城道寺 )

   山号  僧郡山  光仏院  城道寺
   宗派  真言宗 豊山派    
   本山  長谷寺 ( 奈良県 )
   本尊  阿弥陀如来    
   住所  〒799-2208 
        今治市大西町星浦835

 

  星浦海浜公園の前の天満川沿いを500m ほど上がったところに星浦公民館と併設て
  成道寺がある。
  御本尊は阿弥陀如来でゆったりとした優しい雰囲気があり、脇士に観世音菩薩、勢
  至菩薩が控えている。本堂は平成17年 ( 2005 ) 4月8日に再建された。
  天保時代の木版刷り文書には「 城道寺 」とあるが、現在の扁額に書かれているも
  の、再建時に奉納された板書きには「 成道寺 」となつている。  現在、住職は
  法隆寺が兼務している。

 

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  道成寺は星浦公民館の奥にあります。

  

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          修行大師像  

 

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  道成寺本堂前でお勤め。

 

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  天満川沿い県道からの風景 ( 左より道成寺・星浦公民館 )

 

           第二十二番札所 国 恩 寺  

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    第二十二番札所  国  恩  寺

   山号  青水山  大専院  国恩寺    
   宗派  真言宗 豊山派    
   本山  長谷寺 ( 奈良県 )
   本尊  十一面観世音菩薩    
   住所  〒799-2209 
        今治市大西町別府411

 

  大西町別府、196号線から のこぎり屋根の安野農機工場を過ぎ、すこし山手に入っ
  た池のたもとに国恩寺はある。
  寛文12年 ( 1972 ) 俊忍法印によって開山されたと伝えられている。 昔、別府には
  国造 ( くにのみやつこ ) の別館があり、徳政がしかれていた。この地にあった青蓮寺を
  再建した際に国造の徳により、新しい寺を国恩寺と改称したと言われている。
  境内には別府の沖にある怪島 ( けしま ) の城主だった神野佐馬充 ( こうのさまのじょう )
  墓がある。 昭和4年に延命寺の本堂を移築した。
  第83番薬師堂は ここ国恩寺に合祀されている。

 

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  国恩寺本堂 ( 昭和4年延命寺の本堂を移築 )

 

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  本堂右にある宝篋印塔

 

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  越智家の墓

 

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神野佐馬之丞墓              怪島 ( けしま ) 城主神野 ( こうの ) 左馬之丞
  河野対馬守通之 数代ノ分流孫  怪島城主左馬之丞ハ、別府村 越智家ノ始祖ニシテ
  豊臣秀吉ノ大軍ニ破レ、天正十三年七月十三日落城 其後、別府村ニ潜セシガ
  遂起ズシテ死す。
  元城主タリシ因ヲ以テ其子孫、一族郎党ヲ統ベ、江戸ノ初期ヨリ、明治ノ初期迠、
  十代二百有余年、遠祖ノ越智姓ヲ名乗リ、庄屋タリ始祖以来、十四代約四百年、
  別府村ノ開拓ノ先駆者タル佐馬之丞ヲ偲ビ、玆二碑ヲ建ツ
   始祖 初代神野佐馬之丞十四孫          勲六等 越智友太郎

 

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  大西史談会の前会長さんのお話に耳をかたむけます。

 

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    奥には昔の墓石がたくさん並んでいます。

 

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    お堂の中には、宝暦 ( 1751~1764 ) 安永 ( 1772~1781 ) 江戸中期の墓石

 

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         第二十五番札所 本 瀧 院 ( 元本龍院 )

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   第二十五番札所  本  瀧  院

   山号  三光山  本龍院  海定寺
   宗派 天台宗 寺門山派
   本山  園城寺 滋賀県 )
   本尊  十一面観世音菩薩    
   住所  〒799-2201 
        今治市大西町九王974

 

  大西町九王の鴨池海岸近くの県道沿いに本瀧院と金毘羅さんが並んで立っている。
  向かって右が本瀧院。
  元久年間 ( 1204~1205 ) 山覚院智重が開山した。ご本尊は河野通信公が船軍対象と
  して出征する際に十一面観世音菩薩を彫り、戦勝を祈願し当寺に安置したと伝わっ
  ている。ご本尊の他に地蔵菩薩不動明王が祀られている。

 

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  10 : 13  本瀧院前到着。
   県道15号 ( 大西波止浜港線 ) 沿いに本瀧院と金毘羅さんか並んで建っています。

 

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                御本尊 十一面観世音菩薩             

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        御本尊前の不動明王           薬師如来像 

 

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    内藤卓洲住職に合わせてお勤めを・・・・・・・・・・

 

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      ご住職は11時からご法事があるのでここで帰られました。
      お忙しいところを有り難うございました。

 

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         第二十六番札所 地 蔵 堂  ( 市指定文化財

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   第二十六番札所 地  蔵  堂

   本尊  地蔵菩薩     
   住所  〒799-2201 今治市大西町九王

  九王地蔵堂は、享保6年 ( 1721 ) 左甚五郎の
  流れをくむといわれる阿波の大工によって
  建てられたと伝えられている (市指定文化財 )
  そのりある屋根や梁の彫刻、天井絵など非常
  に調和がとれて美しい。堂の中には3体の地
  地蔵蔵菩薩が祀られている。現在もきれいに整備、清掃されていてお参りに来る人も
  多い。お堂のまわりには、庄屋だった村瀬家や他の家の墓石が多くある。
  毎年5月に行われる龍神社のお祭りでは、海の上での船上継ぎ獅子の後、最初の 御
  旅所になる、ここでも天狗による演目や継ぎ獅子が行われる。

 

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    九王地蔵堂 ( くおうじぞうどう ) 今治市指定文化財
 享保6 ( 1721 ) 年、左甚五郎の流れを汲む阿波の大工 ( 弟子 ) によって、建てられた
と伝えられている。建築様式は唐様で、斗( ときょう・軒を支える組み物 ) の組立て
構造も その各々が相調和し、木鼻の龍、唐獅子をはじめ、頭貫 ( かんぬき ) 等に施された彫刻も素晴らしく、そりのある屋根の勾配の美しさを中心に、堂全体の調和も見事である。正面の梁の彫刻、格子天井など、非常に手の込んだ作りとなつている。
 昭和51年から解体大修理に取りかかり、52年春に完成した。

 

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  堂の中に三体の地蔵尊が祀られており、正面に三界万霊、左側に享保6 ( 1721 ) 年、
  辛丑 ( かのとうし ) の年、右側に野間郡九王村願主御十人造立とある。
  この地蔵尊は、九王村の庄屋の霊を弔うために造られたともいわれる。

  

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  村上会長に合わせ地蔵堂前でお勤め。

 

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    お堂のまわりには庄屋だった村瀬家の墓や他の家の墓石もあります。

 

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    大西地区地蔵堂から乃万地区の地福寺へ 向かいます。

 

            第五十番札所 地 福 寺    

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     第五十番札所  地福寺      

    山号  法興山  地福寺     
    宗派  真言宗 豊山派     
    本山  長谷寺 ( 奈良県 )
    本尊  地蔵菩薩     
    住所  〒799-0083 
        今治市宅間甲1211

 

    第四十九番札所薬師堂の場所に報恩寺という大きな寺があり、五重塔は桜井の
   国分寺五重塔と並び称され、本堂は和気の大山寺と同じ型だつたと伝わって
   いる。しかし、豊臣秀吉の四国侵攻により焼失し、円光寺へと移転、その後今
   の場所に移り地福寺とした。かっては小堂や庵が90余りもあったといわれてい
   る。ご本尊は地蔵菩薩秘仏となっている。寺紋は蓮の花で鎌倉時代のものと
   伝わる瓦にその紋が彫られている。

 

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  10 : 43  法興山  地福寺到着。

 

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  本堂

 

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  本堂でお勤めをさせていただきました。

 

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  本堂から廊下でつながっている位牌堂。

 

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  お手入れの行き届いたとっても美しいお寺でした。

 

            第五十二番札所 乗 禅 寺

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     第五十二番札所 定  禅  寺   

   山号  普門山  瑞応院  定禅寺     
   宗派  真言宗 豊山派     
   本山  長谷寺 ( 奈良県 )
   本尊  聖如意輪観世音菩薩     
   住所  〒794-0084 今治市延喜甲600

 

  えんぎ観音と呼ばれて親しまれているお寺で、裏山には鎌倉時代から南北貯時代の
  石塔群がある。この地域に分散していた十一基を集めたもので、国の重要文化財
  指定されている。
  寺の創建は古く、醍醐天皇 ( 在位897~930 ) の病気平癒を祈願してそれが全壊した
  ことで勅支所となつたことによる。その際に七堂伽藍を建立したしされている。
  小谷村だった村名もその時の年号「 延喜 」に改められた。
  それから400年余り後、後醍醐天皇 ( 在位1318~1339 ) により特別の帰依を受け、
  再びふたたび七堂伽藍が改築造営された。後醍醐天皇からの祈願申込所や足利尊氏
  の祈願申込指令所もお寺に保存されている。
  境内には、江戸時代貞享3年 ( 1686 ) 我が身を犠牲にして重い年貢の軽減を直訴訴
  して村民を救った庄屋、八木忠左衛門の墓もある。

 

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  11 : 08  えんぎの観音さんでよく知られている乗禅寺駐車場到着。

 

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  仁王門 

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正面の金綱力士像

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仁王門内側の金綱力士像 ( 正面金綱力士の後ろに向かい合わせに配置されています )

 

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  乗禅寺山門 ( 旧今治城門 )
 慶長年間、藤堂高虎が築城した今治城は、明治のはじめの廃藩置県により櫓・城門が
取り壊されたが、城門の一つが市内片山に移築されて残り、この寺の山門として移され
たといわれている。 

 

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  乗禅寺本堂

 

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    本堂前で勤め。

 

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  延喜天神前を出て裏山へ。

 

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           乗禅寺石造物 11基 ( 国指定重要文化財 )
  通称、えんぎの観音さんと言われ、裏山墓地の一角に 五輪塔4基、宝篋印塔5基、
 宝塔2基があり、この様に各種の石造物が 1ヵ所に集められて保存されているのは
 他に例がない。 中には南朝年号の正中年間 ( 1325年 〜 1326年 ) の銘文が刻まれ
 ているものもある。いずれも鎌倉末期のもので 大は 260? 余り、小は 120? 位の
 石造塔で、工芸、様式共に優れたものであり、当時この地が信仰、文化の高かった
 ことを物語っている。地方の谷々に散在していたのを、ここに集め ここに保存したと
 言われており、定禅寺縁起の古さと共に 石造美学上、重視されている。

 

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            第六十四番札所 野 間 寺

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   第六十四番札所  野  間  寺   

   山号  一郡山  野間寺      
   宗派  曹洞宗      
   本尊  釈迦牟尼仏
    本山  永平寺 ( 福井県 )

      ・総持寺 ( 神奈川県 )      
   住所  〒794-0082 今治市野間819

 

  野間寺は曹洞宗のお寺で国道96号線に大きな看板が出ているのですぐわかる。
  ご本尊は釈迦牟尼仏 ( 釈迦如来) で黄金に輝くその姿をいつでも拝むことが出来る。
  脇士は千手観世音菩薩文殊師利菩薩を配している。野間寺では、毎年1月初旬に
  大根だきが行われ、1年間の無病息災、家内安全を祈願する。その日は檀家の人た
  ちが持ち寄った地元特産の大根が数百本炊かれ多くの人たちにふるまわれる。

 

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  11 : 50  野間寺駐車場 到着。

 

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  野間寺山門

 

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  野間寺境内

       第六十三番札所 虚 空 蔵 堂 ( 野間寺の境内にあります)

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     本尊 虚空蔵菩薩    住所  〒794-0082  今治市野間819 ( 野間寺内 )

   第六十四番野間寺の山門を入り左手にあるお堂が虚空蔵堂で中には美しい厨子
  2つある。向かって左側の厨子にご本尊の虚空蔵菩薩が安置されているが、秘仏
  なっていて33年に一回だけしか開帳されない。弘法大師が安置したと伝わっている。
  右側の厨子阿弥陀如来像でこちらは何時も開いている。金色に輝く美しい阿弥陀
  で両脇に菩薩像があり阿弥陀三尊の形になっている。

   

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    堂内には大きな厨子が2つあり向かって左が秘仏虚空蔵菩薩

 

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     向かって右の阿弥陀三尊

 

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  虚空堂前でお勤め。

  

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  そのまま右へ向くと。

 

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  野間寺本堂  そのまま本堂前で勤めをします。

  

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     本堂の扁額「 正法殿 」

 

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       涅槃図を拝観 

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    境内でお昼のお弁当をいただきました。

 

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  野間寺を出て石造物めぐりをします。

 

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     野間覚庵 五輪塔2基 ( 国指定重要文化財  昭和29年3月 )
     日吉神社の田地の一隅に、大小2つ並び側にソテツがあって絵のような
    眺めです。大は 240 cm 余り、小は 220 cm 余りあり、鎌倉時代特有の空、
    風輪をいただき、火輪屋根勾配、軒の線は真反りという工法で、まことに
    見事で、水輪は典型的な壺形をなし、重厚・豪健な鎌倉調を備えています。
    しかし村には これを重茂山城主岡部十郎夫妻の供養塔として祭っています。
    野間の双ツ墓といわれています。
                        ( 石造物と野間馬の小路説明版より )

 

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             野 間 長 円 寺 跡・宝 篋 印 塔
              ( 国指定重要文化財 昭和29年3月 ) 

      総高 360 cm の巨大な宝篋印塔である。塔身背面に銘文があり、
     正中二は 1325年の鎌倉時代後期にあたる。石材は花崗岩である。
      しまなみ地域特有の基礎と塔身の間に越智式と呼ばれる請座が
     設けられ、相輪や笠の隅飾りの形態などから、当地方の指標とな
     るものである。
       銘文「 南無到来導師弥勒佛    正中二乙丑五月日
           願主 比丘尼阿  当寺本願長円 □ 也 」
                      ( 石造物と野間馬の小路説明版より )      

 

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  長円寺跡 地蔵堂

 

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                延命地蔵菩薩

 

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  野間 馬場五輪塔

 

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              野 間 ・ 馬 場 ・ 五 輪 塔
            ( 国指定重要文化財 昭和29年3月 )

      総高 233cm の五輪塔である。地輪側面に銘文があり、嘉暦元年は
     1326年の鎌倉時代後期にあたる。石材は花崗岩である。
     平成元年の解体修理により、地輪部に人骨の埋納が確認された。また
     水輪部には木製の小五輪塔が納められて、中には水晶の偽舎利と丸薬
     が納められていた。
         銘文 「 志者為亡妻紀氏女乃至 法界平等利益
              之故也  嘉暦元年丙寅四月 □ □ □
              願主       比丘 春 」  
                     ( 石造物と野間馬の小路説明版より ) 

 

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           第六十六番札所 安 養 寺

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    第六十六番札所  安 養 寺

   山号  興福山  安養寺     
   宗派  曹洞宗     
   本尊  聖観世音菩薩
   本山  永平寺 ( 福井県 )
      総持寺 ( 神奈川県 )   
   住所  〒799-2202 
        今治市大西町紺原606

  安養寺は曹洞宗のお寺で享禄2年 ( 1529 ) に風早 ( 北条 ) の大通寺二世華屋英雲大
  和尚によって開創された。  その後 2000年余り寺は荒廃したが、延宝年間 ( 1673
  ~1680 ) 大庄屋井手家の檀那寺として知遇を受け紺原の祈祷寺として栄えた。
  ご本尊は聖観世音菩薩で秘仏となっているが、以前の開帳の際の写真を見ると金色
  と赤銅色で大変美しい。脇士には普賢菩薩文殊菩薩が安置されている。
  境内の小さなお堂には、弘法大師の石像がありその後ろに弘法大師の像が描かれた
  木製の額がある。

 

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     境内の小さな堂には、弘法大師の石像があり、その後ろに弘法大師の像が
     描かれた木製の額があります

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          大師堂   弘法大師の石像と弘法大師を描いた額

 

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 三軒家地蔵   本尊 地蔵菩薩 
 疫病を取り払ってくれるお地蔵さんとして信仰され、享保15年 ( 1730 ) に安置されたが
 来島ドック拡張工事のため三軒家より安養寺境内へ移設。

 

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   紺原地蔵 ( 現機地蔵 )
・宝暦6年 ( 1756 ) の建立で、現在は安養寺の前にあるが、もとは紺原集会所付近にあつたといわれている。集会所あたりを昔から「 ひとくろだけ 」と呼び、豊臣秀吉四国征伐による重茂山の落城のおりに、たくさんの死者をわらぐろのように積み重ねて焼いたともいわれ、また、「 キリシタン狩り」が行われ、多くのキリスト教信者が捕えられて 処刑せられ、埋葬された場所であるともいわれ、これら受難者の霊を弔うために建てられたとも伝えられている。
・新町の古寺地蔵の所が 処刑場であったが、それ以前はこの 「 ひとくろだけ 」の所が処刑場であったという説もある。
・また西側には、四国遍路の延命寺への道標が建っており「 金山遊剛信士延命寺二十丁
弘化四年 ( 1847 ) 末歳九月、甲姦巨摩郡三ッ佛村 」と刻まれている。 

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         宝篋印塔上り口

 

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          宝篋印塔
      元 古墳であった所に、五輪塔などがたくさん集積されている。
     宝篋印塔は不完全であったものを、平成17年有志によって再建した。
     大西町で唯一の宝篋印塔である。

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            第六十八番札所 真 光 寺

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   第六十八番札所  真  光  寺

   山号   清井山  浄雲院  真光寺     
   宗派   浄土宗鎮西派     
   本尊   阿弥陀如来
   本山   知恩院 ( 京都府 )      
   住所   〒799-2203 
         今治市大西町新町甲320

 

  真光寺は大西町新町にある浄土宗の寺。 慶長年間 ( 1596~1614 ) に新町の大庄
  井手清右衛門が建立し、真誉秀道和尚を請うて開創したと伝わる。
  山号の清井山は、井手家の「 井 」と清右衛門の二字をとったもの。お寺のすぐ前
  に井手家の屋敷跡があり、今も建物が残されている。ご本尊は阿弥陀如来で、脇
  は観世音菩薩、勢至菩薩。隣接地には、来島城主村上康吉 ( 1500年代 ) の家臣でそ
  の武勇が知られている田坂槍之助の墓がある。

 

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  真光寺山門

  

  
  真光寺本堂

 

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              本尊   阿弥陀如来像 

 

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    本堂の左側に井手家のお墓があります。

 

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     田坂槍之助の墓
 田坂槍之助貞緑は来島城主村上康吉(1500年代)の家臣で、 豪邁で武芸に秀で
槍の妙技を持ち、城主から槍之助と命名される程であった。
或る時、十数人の武士を乗せた船が来島瀬戸を無断で通りぬけようとした。 槍之助は
すばやくその船を追い、帆別銭を請求した。 然し、船は冷笑して通り過ぎようとした。 
槍之助は 「 汝等 天下の法を知らないか、そのままでは航行は許せない 」 というと
「 この広き海を通るのに帆別など片腹痛い。 帆別銭が欲しいのならどこまでもついて
来い 」とあざ笑った。 槍之助は槍をしごいて彼の船に突込み、忽ち二人を突きふせ、
船上での戦に馴れない武士は次から次に突き倒された。  これはいけないと考えた
武士は陸に上がって勝負をしようと言った。槍之助も之に応じ、桜井の浜で七、八人を 相手に戦ったが、遂に討ち取られた。
 桜井村の人々は槍之助の武勇を称え懇ろに葬った。
 ここ真光寺にある墓は桜井の分墓である。           大西町教育委員会 

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           第六十九番札所 法 隆 寺

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    第六十九番札所  法  隆  寺

    山号  生命山  寿福院  法隆寺     
    宗派  真言宗 豊山派     
    本山  長谷寺 ( 奈良県 )
    本尊  延命地蔵菩薩      
    住所  〒799-2205 
        今治市大西町宮脇甲1419

 

  大西町宮脇  大井八幡大神社の入口にあるお寺。弘仁6年 ( 815 ) 弘法大師が四国を
  巡った際、地蔵菩薩を彫刻して安置したのが始まりとされる。 貞観元年 ( 859 )
  大徳行教上人が堂塔伽藍を一新し開山した。
  延元元年 ( 1336 ) 南北朝時代南朝後醍醐天皇の皇子である尊真 ( たかざね ) 、満良
  ( みつなが )、懐良 ( かねなが ) の三親王が大井に出陣した際に尊真親王がこの地で薨去
  された。これを埋葬し供養した。大西町の藤山公園内にその陵墓がある。

 

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ご住職が生命山法隆寺の由来を詳しくお話してくださいました。

  

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  東日本大震災から10年目発生時刻の午後2時46分に合わせ全員で1分間の黙祷。

 

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     隅っこに隠れキリスタンの石像が。

 

     第七十二番札所 阿弥陀堂   第七十四番札所 普賢堂 

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   第七十二番札所  阿 弥 陀 堂 
    本尊  阿弥陀如来

   第七十四番札所  普  賢  堂 
    本尊  普賢菩薩
    住所  〒799-2205 
          今治市太西町宮脇    

  大井八幡大神社の石段途中右手にある小さな
  お堂。中には3体の仏像があり向かって右が
  普賢菩薩、中央は阿弥陀如来坐像、右が阿弥陀如来立像で享保年間 ( 1716~1735 ) に
  造られたものだと言われています。

 

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   第1回目の 旧野間郡四国八十八ヶ所めぐり 15ヶの ( ウオークラリー ) は
  楽しく終了しましたお疲れさまでした。

 

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  15 : 12  大西支所到着
  本日の歩いた距離・・・・・・4.3km。  歩いた歩数・・・・・・7514歩でした。