脇地区 〜 貴布祢神社・あしかさん他 〜 ( 2018-07-14 )
7月の歩こう会は、脇地区 ( 貴布祢神社・あしかさん・集合五輪塔・
御城池隧道・大師堂・脇屋社 ( 新田さん ) ・ 脇屋義助五輪塔 ) の7ヶ所
を予定していましたが、熱中症対策により ( 貴布祢神社〜大師堂 ) 迄の
5ヶ所に短縮、早めの水分補給に心掛け、約1時間30分余り‥・・・・・・・・・
汗を出し切った爽快感も味あうことができました。
貴布祢神社
脇村旧村社。聖武天皇の時代、神亀5年 ( 728 ) 伊予国司越智玉純が
勅を奉じ、京都山城国の貴布祢神社を勧請して社殿を建立したと伝えられ
ています。弘安4年 ( 1281 ) 元寇に際しては蒙古襲退を祈願しました。
また延元元年 ( 1336 )には後醍醐天皇の皇子、満良親王 ( みつながしんのう )
が 勝利を祈願し、慶長9年( 1604 ) には加藤嘉明が神殿を修理したと伝え
られています。 大西町誌 大西探訪より
元は中脇の田んぼの中にあったが、度々の洪水で流されたため、
ここに移転された。
【 貴布禰神社 】大鳥居の扁額 社号標
貴布禰神社 拝殿。
金比羅さん
貴布祢神社の境内にある金毘羅大権現です。
以前は若いもん山の山頂上近くにありました。
金比羅さんの横を下りる。
貴布祢神社を後に、あしかさんへ。
あしかさん 上り口の案内板。
あしかさん
お堂は古墳上にあるが、盗掘をうけている。石館や、お馬さん伝説により、
足利氏の武将を祀ったとか、蔓延した麻疹( はしか ) が、お堂にお参り
すると治ったので「 あしか 」 となまって呼ばれたとかの説がある。
現在も伝統行事は伝えられている。 大西町史談会 案内板より
降り続いた豪雨で御城池の水が濁っています。
御城池
御城池に引き込まれた隧道は、山之内川の寺井手堰から脇の御城池への水を
引き入れるために造られた隧道で、約250mのトンネルは 大正8年 ( 1919 )
村人たちの手によって作られ、それ以来御城池の水不足はなくなったそうです。
お堂裏の古墳は前方後円墳ですが盗掘されています。
9:38 あしか堂を後に、集合五輪塔へ。
9:47 集合五輪塔 上り口。
集合五輪塔 50m H ・20 大西史談会
中脇集合五輪塔 ( お塚さん )
豊臣秀吉の四国征伐で、小早川隆景の襲撃を受けたさい、重茂山城の
武士たちはかっては海だった明専寺あたりで戦ったが奮戦むなしく全滅
した。 有力な武士たちの霊を弔って石塔が建てられた。
現在でも8月には御頭がもたれている。
大西町史談会 案内板より
大西町の各所に建っている史談会の案内板は御手洗稔先生の手作りです。
御城池隧道
山之内川の寺井手堰から山の向こう側にある御城池へ水を導入するための
隧道である。約250mのトンネルは 大正8年 ( 1919 ) 村人たちによる手掘り
作業で 僅か7ヶ月で完成。以来御城池の水不足はなくなった。
大西町史談会 案内板より
大師堂
野間郡四国八十八ヶ所 第八十番札所。 本尊・・・弘法大師
昭和五十七年再建。 大西町史談会 案内板より
本尊 弘法大師
大師堂前小山の上には小さな祠があり山の神をお祀りしています。
左の建物は奥の内集会所です。
大師堂の右側の坂道を上る東京都見晴らしがいい場所があるそうです。
約5年の間に雑木が伸び放題になり、美しい里の風景が見えなく
なっていました。
2015年7月11日頃、この辺りにおとしの地蔵さんがありました。
現在は、明専寺境内に祀られています。
おとしの地蔵
病気で熱が出たとき、このお地蔵さんに祈願すると、熱がおちるので、
おとしの地蔵と いわれるようになった。
大西町史談会 案内板より
次回8月11日の星浦 ( 上 ) ・ブルーへーり園行きについての
説明の後解散。
本日の歩いた距離・・・3.1km。 歩いた歩数・・・4838歩。