別子歴史ウォーキング    

     ~  えんとつ山・マイントピア別子  ~

 

 

 

 

    
    8: 15  3号車 大西支所出発。

    

  

 

       

 

      
    9: 00  クワハウス今治到着。  トイレ休憩。 
              乗ってきた車、3号車へ戻ります。

 

 

 

 
 9: 00  クワハウス受付開始 ( 直接クアハウス今治へ来た方です )

 

 

 

 
 9: 20  クアハウス今治出発。

 

 
 9: 24  湯ノ浦  I C  を入る。

 

 
 石鎚連邦は霞の中かすかに石鎚山が・・・・・・・・・・・・・・・ 

 

 
 10 : 13  山根公園近く国領川  河川敷到着。

 

 
 トイレは山根公園にあります。

 

 

 

 
 横断歩道を渡って山根公園のトイレをお借りします。

 

 

 

  
  トイレ前は長い列が・・・・・・・・・

 

 
 新居浜市山根市民グラウンド

 

 
 グラウンドでは  第50回 角野校区大運動会が行われています。

  

 
 体操の予定は河川敷でしたが変更。

 

 
 10 : 35  体操は、山根公園入り口横 東屋の周りで始まりました。

 

 

 

 

 

 

 

 
 今日は傾斜のきついトンネル山に登るので足の運動はしっかりと・・・・・・・・・。

 

 
 最後は深呼吸で体操終了。

 

 
 10 : 45  5kmコースよりウォーキングスタート。続いて3kmスタート。

 

 
 県道47号新居浜別子山線を左側通行。

 

 
 住友 別子銅山 記念館施設駐車場
別子銅山の建物は地中に埋められた形で残っており屋根全体がサツキで覆われています。

 

 
 大山祇神社鳥居前

 

  

 

  

       どよもすは  大鉑のうた  鉱山の春

  別子銅山開坑 300年祭を記念し、近藤廣仲を世話人として 平成2年1月16日
  この碑が建立された。
  句は別子銅山元旦の厳粛な式の様子を詠んだもので、作者は地元俳人本田峯子で
  ある。        別子銅山記念館     道路沿い斜面の駒札 ( 説明書き ) より

 

  

 

    
    製錬夫像と生子 ( しょうじ )

      製錬夫像
   「 製錬扶 」とは、砕かれた鉱石を焼き、その焼鉱を一番吹き更に二番吹きと
   「 吹床 」で吹きわけ、実に2ヶ月間もの時間をかけて、製品の一歩手前
     製品の一歩手前「 あらどう 」の状態にする仕事に従事していた人たちです。
                ( 生子山の煙突は山根湿式精錬所用のものです )

     生子橋由来
   生子山には南北朝時代南朝の忠臣越智俊村が、砦を設けて北朝側の細川軍と
   戦い、室町末期には松木三河守がここに拠って小早川隆景の大軍と戦った。
   明治二十一年現在の別子銅山記念館前広場に山湿式製錬所が設けられ、それと
   同時に両岸を結ぶための生子橋が架設され、山頂には大煙突が建設されたこと
   により、人々は以来煙突山と呼称し、昭和三年五月製錬所跡に大山積神社を
   奉斎し、昭和四十八年別子銅山閉山後、神社境内の一角に別子銅山記念館を
   設立した。 この橋下の立川溪谷の流れは別子ラインの関門として甌穴群が
   ならび、美しい碧潭には、龍神伝説とちぎり淵の物語が伝えられてている。
   昭和58年1月吉日   新居浜市長 泉 敬太郎”    ( 生子橋横の説明板より )    

 

 


 
 10 : 47  えんとつ山 入口

 

 
 煙道跡 ( 明治21年~28年 ) 距離 約145メートル、最大斜度45度
 登山所要時間は、健脚の方・・・・・・10分程度。 並足の方・・・・・・18分程度。 

 

 
 登り始めは、なだらかで楽に歩けましたが・・・・・・・・・

 

 
 段々と・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 
 段々と傾斜がきつくなり・・・・・・・・・・・・・・・!!! 

 

 
 一休みをする方も、頑張って~

 

 
左、下山道 ( 日本庭園行き )

 

 
 入口より370m地点、左に行くと奥の宮 ( 大山祇神社 ) 。
 左折すると、煙突まで 145m。

 

 
 あと145m 煙突山へ向かって右折。

 

 
 3kmコースの方に追い越されてしまいました。

 

 

 

 

 

 
 5kmコース先頭集団はもう下山・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 10 : 59  えんとつ山頂上

       

 

 

 

 

 

 

 

 


       
         えんとつ山 ( 旧山根精錬所と生子山 )       ⇒ 案内板拡大
  長年、市民から「 えんとつ山 」の愛称で親しまれている「 生子山 ( 標高144.7m )
 かって豊臣秀吉の四国攻めの舞台でもありました。明治21年 ( 1888 ) 住友家初代
 総理人であった広瀬宰平は東京大学の教授であった岩佐巌 ( いわお ) を招き、この
 地で湿式収銅法による収銅過程で、硫酸などの化学物質の抽出と更には、製鉄の試験
 を開始しました。官宮八幡製鉄所の操業より、7年前のことです。
 今では、高さ 20m の精錬所の煙突だけが残り、世界で短期間に追いついた、明治の
 近代文化を、今日に伝えています。 旧山根精錬所煙突は、平成21年 ( 2009 ) に国の
 登録有形文化財として登録されています。

 

    
    煙突頂上部断面 開口部 92 cm 。レンガ暑さ 45 cm。

 

  

 

        
        えんとつの裏側

 

  

  

 
 下りは楽に下りて行きます。

 

 

 

 
 5kmコースは 登の口まで下りて左折。

 

 
 県道47号新居浜別子山線を横断左折。

 

 
 国領川 ( 足谷川 ) 沿いを上流の立川橋 ( 龍川橋 ) を渡りUターンゴールの河川敷へ。

 

 
 右に見えるのは 住友共同発電所 ( 株 ) 山根発電所

 

  
  足谷川に架かる「板の本橋」を横に見て・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

  
  右に白鳥橋

 

 
 白鳥橋バス停。橋は通行止になっているようです。

 

 
 右へ左へ蛇行した川沿いの道路を歩く・・・・・・・・・・・・・・・・・・と。

 

 
 カーブの先に高速道路がよこぎっています。

 

 
 手前左に、生子山トンネルの橋桁。トンネルの長さ560m

 

  
  国領川を挟んで右に見えるのが山根トンネル 長さ 1390m。

 

       

 

 

 

 
 石垣の上は鉱山鉄道跡 ( 左、斜面から上がることが出来ます )

 

 
 龍川橋渡る。

 

 
 龍川橋を渡りUターン ~ 川下の内宮神社を目指します。

 

 

 

 
 左、石垣の上は鉱山鉄道跡 ( 手前の斜面から上がることが出来ます )

 

       
       石垣の端っこに古い鉱山鉄道跡が残っています。

 

 

 

 
 松山自動車道

 

  
  生子山トンネル長560mの入口が見えます。

 

 
 橋桁を出ると、とえんとつ山が見えてくる。

 

      
      立川大師堂前からの えんとつ山。

 

 
 「板の本橋」から眺めた「えんとつ山」

 

 
 フェンス越しに見た 「えんとつ山」

 

 

 

    
     生子橋
 

 

    
    生子橋前にある内宮神社登り口。

 

 
   内宮神社

 正式名称は「内宮天照皇大神宮( うちのみやていしょうこうだいじんぐう )。往古は当地より
 3km ほど北の平地に西条市の伊曽乃神社と同規模の広大な神社で「西の伊曽乃、東の
 内宮」と並び称されていたいう。毎年10月16日早朝4時より「内宮神社太鼓台石段かき
 あげ神事」が勇壮に執り行われる。
 鉱山鉄道に跡に設けられた抗水路は内宮神社の石段の横を横切り、山根収銅所に流れ
 込む。
 石段を下り矢印に沿ってゴールの河川敷へ・・・・・・・・・

 

 

 

 
  川向うの住友 別子銅山 記念館別子銅山の建物は地中に埋められた形で残っており   屋根全体が美しいサツキで覆われています。

 

 
 山根大通りの横断歩道を渡り・・・・・・・・・・・・・・

 

  
  河川敷沿いに出る。

 

 

 

 
 城主橋をわたり

 

    
    右折

 

    
    河川敷へ下りる。

 

  

  

  
  ゴール地点へ着きバスに乗る。

 

  
  12 : 10  全員そろってから河川敷を出発。

 

 
 山根公園前に出て県道47号新居浜別子山線を、マイントピア別子へバス移動。

 

       
       端出場大橋大橋を入り。

       

 

 
 12 : 15  マイントピア別子駐車場到着

 

 

          マイントピア別子
  この地、端出場は、日本三大鉱産の一つで、かって世界一の産銅量を誇った別子
 銅山の採鉱本部のあった所です。
  別子銅山は、元禄四年 ( 1691年 ) の開坑、爾来、昭和四十八年 ( 1973 ) にその
 歴史を閉じるまで、一貫して住友によって経営された鉱山です。
  別子銅山は、今日の住友グループを育むと共に、新居浜市に工業を興し、四国屈指
 の工業都市としての大きな礎となりました。
  この別子銅山の歴史と文化を風化させることなく、永き将来にわたり、心の故郷
 として蘇生を図ると共に、二十一世紀に向けた潤いと活力にみちた産業文化創造都市
 にいはまの拠点として観光レクレーション開発事業の事業に取り組んでまいりまた。
  この事業は、別子銅山開坑200年を記念すると共に、事業の推進にあたっては国の
 指定を受けた『 ふるさとづくり特別対策事業 」( 自治省 ) による新居浜市の事業と、
 「 産業基盤整備基金」( 通産省 ) や、住友グループ十一社等、地域経済団体二十三
 団体の出資による第三セクターとの共同で、観光地「 マイントピア別子」として新し
 く生まれ変わり、再び脚光を浴びようといたしております。
  マインは「 鉱山 」を、トピアは「  ユートピア ( 理想郷 ) 」を意味し、栄光の歴史
 を秘めた別子銅山遺跡が、いつまでも皆様に親しまれ愛され、心に残る地となります
 ことを願って、マイントピア別子と命名いたしました。
                  平成三年六月
                        新居浜市長  伊藤武

 

 
 マイントピア別子本館前

 

  
  端出場 ( 開運 )駅前を通り抜け楽しみにしていたシャクヤク見物に・・・・・・・・・

 

 
 芝生広場前のシャクヤクは残念ながら見頃を過ぎていました。

 

    

 

 
 シャクヤクの花は咲いていますが・・・・・・・・・終りかけています。

 

 
 こちらは殆んど花殻は摘み取られています。

 

 
   泉寿亭 ( せんじゅてい)
  昭和12年、住友各企業の迎賓館として建てられた京風数寄屋造りの純和風の建物
  住友由緒の「 泉 屋 」を 「 寿 ( ことほ ) ぐ館 」として、泉寿亭と名付けられた。
  この地に移されているのは、泉寿亭の客室用の玄関と客室の一部で、名板は 織田
  子青の筆によるものです。

 

    

 

  
  男の子とお母さんが謎解きケームに挑戦。

 

      
      わかりましたか ?

 

  

 

    

 

 
 新緑の紅葉の下で昼食。

 

 
 公園を散策

 

        

 

  

 

     

 

  
  見頃を過ぎた芍薬の前で。

 

 
 集合時間が近ずいたので反対側から下りて行きます。

 

 

 

    

 

       
       近代化産業遺産 旧端出場水力発電所の看板

 

  
   マイントピア別子の対岸に ひっそりと佇む赤レンガの建物。別子銅山、そして
   工業都市新居浜の基盤づくりに大きな役割を果たした「 旧端出場水力発電所 」
   明治 45年に操業を開始した。「  旧端出場水力発電所  」は、一般公開に向け
   平成30年度から耐震補強等の工事に入り、建物が見えなくなる機関も発生する
   ことから、錬瓦造りのモダンな建屋外部、内部とともに水路システムを 3D C G
   ドローンによる実写、写真などを活用した映像を「 新居浜市公式ユーチューブ
   チャンネル」にして公開しています。

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 
 13 : 20  マイントピア別子駐車場へ全員集合。

 

 
 13 : 25  マイントピア別子出発。

 

 

 

 
 13 : 36  新居浜 IC を入る。

 

 

 

 
 14 ; 06  今治湯ノ浦 IC をでる。

 

 
  14 : 12  3号車クアハウス今治 到着。

 

 
 認証印を押して貰います。

 

 

 

   
   出発前に置いた ( オーキングに不要な物 ) お風呂用具などを忘れないように

 

  
  エレベーターで4階へ、女性脱衣所はトイレの向う左側を入ります。

 

  
  今日はお風呂はやめにして、突き当りの「フードコーナー アクア」へ。

 

  
 コーヒーとお菓子を戴きながら楽しくおしゃべり・・・・・・・・・帰りのバスを待ちます。

 

  
  一階休憩所

 

 
  玄関前へ市内循環送迎バスが着く。

 

  
  15 : 30  市内循環送迎バス出発。

 

  
  16 : 03  太西支所駐車場へ到着。