寺井堰隧道・若いもん山 ( 2018-01-13 )
新年早々の歩こう会は寒くて冷たい風の中を史談会村上会長の案内で、
脇地区の若いもん山へ登りました。
こちらは ⇒ 2016年3月12日の若いもん山〜寺井堰隧道の様子です。
お天気によって風景の雰囲気が変わって見えます ↑ クリック。
井手上先生 年頭の挨拶。大西町歩こう会も発足10年になるそうです。
14:10 正面に見える 「 若いもん山 」に向かって出発。
正面、山の上に今日は行きませんが「 あしかさん 」のお堂が見えます。
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14:17 御城池
大西町で2番目に大きい池 ( 1番大きいのは紺原の大池 ) です。
山之内川の寺井手堰から脇の御城池へ水を引き入れるために造られた隧道
は約250mのトンネルで 大正8年 ( 1919 ) 村人たちの手によって作られ、
それ以来御城池の水不足はなくなったそうです。
隧道を通って引き込まれた水はパイプを通して御城池へ・・・・・・
14:24 「 若いもん山 」の頂上に見える1本の木を目指します。
雁獲り池りの由来は、この池に飛来する雁を獲ったことによるそうです。
14:35 鳥越池
その名前のとおり この池の上を鳥が越えて行くので着いた名前です。
14:38 収穫を終えた陽当りがよく手入れの行き届いたミカン山。
若いもん山
昔 脇の若者たちがよく集まっていたため、いつしか「 若いもん山 」と
呼ばれるようになりました。以前は山頂近くに金毘羅大権現がありました
が、現在は貴布祢神社の境内に移されています。
頂上の机 ( 案内板 ) は、御手洗先生が作って絵を描きました。
とっても見晴らしの良い若いもん山の頂上ですが、これは大西の景観を
守る会の有志の皆さんによる雑木伐採・清掃のお蔭です。前以ってルート
の点検整備のお蔭で安心して歩くことが出来ました。
帰りは反対側の道 ( 広域農道・若いもん山登り口 ) へ下りて行きます。
若いもん山の頂上を眺めながら・・・・・・・・・・・・・・・・・・
清水谷大明神社
脇清水谷にあり、勧請不詳。
貴布祢神社に合祀され廃屋となつています。
仙久寺
野間郡四国八十八ヶ所 第七十九番札所。 本尊・・・・・・・・地蔵菩薩。
廃寺跡にあり、本尊の地蔵さんは仙久寺の本尊ともいわれ、人々の
信仰が厚い。 昭和58年新築。 大西町史談会 案内板より
こちらは ⇒ 2012年2月19日野間郡八十八ヶ所 仙久寺へ参拝。
脇塚 < 新田さん >
南北朝時代の始め頃、南朝の勢力を挽回するために懐良親王が伊予に下られ、
中島 ( 松山の沖 ) の忽那氏のもとに3年ほどおられた後、九州に移られた。
その代わりに興国3年 ( 1342 ) 4月、 脇屋義助 ( 新田義貞の弟 ) が今張 ( 今治 )
の浦に上陸して、桜井の国分城 ( 唐子山 ) に入った。そこで伊予の南朝方の威勢が
大いにあがろうとしたが、義助は急に病気になって その年の11月に没した。
これは南朝方にとって大変な痛手で、北朝方にしられるのを怖れてその死亡を極秘
にした。 そのとき、大井時の法印義泰は前々から義助とは親しかったので、病気を
看病し、遺言も宝印に残した。宝印は義助の遺体を請い受けて夜中ひそかに国分城
をぬけ出し、脇の湯の尻 ( 清水谷 ) に埋葬した。
後の人がここにお堂を建て霊を慰めたという。 大西町教育委員
御城池隧道 ( この上の写真は大西探訪よりお借りしました )
山之内川の寺井手堰から山の向こう側にある御城池へ水を導入するための
隧道である。約250mのトンネルは 大正8年 ( 1919 ) 村人たちによる手掘り
作業で 僅か7ヶ月で完成。以来御城池の水不足はなくなったそうです。
御手洗先生より平成29年度の今治市健康ウォーキング記録結果
報告書の提出・平成30年度の申し込みについての説明の後解散。
本日の歩いた距離・・・5.8km。 歩いた歩数・・・8807歩。