第13回 西国三十三観音巡り お礼参り・善光寺

        西国三十三観音巡り ・ 善光寺 ( 2016-04-14 )   


 
 約一年をかけて愛媛バスときめきツアー 西国三十三観音霊場巡りが、お陰様で
 満願致しました。今回は最後の御礼参りに善光寺へ。


    
    宿坊 兄部坊 ( このこんぼう )
 善光寺には39の宿坊があり,それぞれに御堂があり、住職がいます。住職は
善光寺如来様に奉仕し、その護持に勤めると共に、全国から参拝に来る人々を
仏さまに仕える心でご接待し、お世話をしています。私達はその一つである宿坊
兄部坊に一夜のご縁をいただきました。
 兄部 ( このこうべ ) とは、仏事を取り仕切る職位を意味し、善光寺に代々伝わる
仏教行事 『 堂童子 ( どうどうじ ) 』 に於いて、その職位にあったことにより宿坊は、
『 兄部坊 ( このこんぼう ) 』 と言います。


    
  5:30  大本願参拝 ・ 数珠頂戴に参加 ・  お 朝 事  ( おあさじ ) 参加のため
  昨夜お世話になった宿坊を出ます。


   


   


   


   
   5:38  大本願前集合。
   宿坊専属の公認案内人がご案内してくださいます。


   
   大本願
 大本願善光寺参道の入口、仁王門手前左手にあります。
浄土宗の大本山で、善光寺の創建 ( 西暦642年 ) 当初からその歴史を共にしてきた
尼僧寺院で、代々の大本願住職、尼公上人が善光寺上人として、その伝統を継承さ
れてきました。住職( 尼公上人 )は代々皇室ゆかりの女性が務め、天台宗大勧進
貫主( 住職 )と共に善光寺の住職を兼ねています。 現在は 浄土宗の大本山で、
山内には 浄土宗の 宗祖法然上人留錫の 伝説があり、 二祖聖光上人と 三祖良忠
上人とが 善光寺如来の夢告により 法縁を 結ばれたり、浄土宗西山派の祖証空上人、
前記良忠上人、その他数多くの浄土宗系の高僧たちにより信濃に念仏の教えが広め
られました。また、孫弟子、諏訪の蓮仏が北條時頼の帰依を受けて善光寺への信仰が
広められ、善光寺信仰が大衆の心に大きく生かされました。


   
   表書院。
 表門の正面に位置し、尼公上人が本堂へお上りなど公式行事に使われる玄関と
なっています。内部は古い型式の広間になっていて、お授けの間ともよばれています。
尼公上人が団体参拝者とのお会い、お剃度式(信徒の希望により尼公上人から髪に
カミソリをいただいた上、仏さまのお弟子となった法号を授かる儀式 )が行われます。
秋のお十夜行事の期間中は、毎夜お説教が行われ、お上人より利剣名号を授かる
ところでもあります。


          
          ひとにぎり地蔵尊
  善光寺上人第百二十一世鷹司誓玉台下が不安要素の多い現生において
  普く信徒の幸せを願い、平成二十四年十二月建立されました。
  辛いとき、、悲しいとき、苦しいとき、左手で力をいれてギュツと ひとにぎり
  安らぎと みなぎるパワーをいただけるでしょう。
                     ひとにぎり地蔵尊 説明板より 


   
   明照殿。
大正3年法然上人の明照大師号をいただいて建立され、平成20年に改築されました。
大広間は、経文わり出しの御殿といわれて108畳敷き、正面に善光寺如来が安置され、
ここでも法要が行われたり、講演、講習会が催されたりしていますが、参詣者の休憩の
場にも供されています。


      
      明照殿扁額。


    
 大本願内の明照殿には、本田善光像 ( 善光寺の開山 ) が安置されています。


   
          善光寺のご本尊を背負っている姿に手をあわす。


   


      
左の入り口からはいり、尼公上人が団体参拝者とのお会いお授けの間へ。
自動的に襖が観音開きにひらくと、気品漂う美しい尼公上人のお姿があり
透き通るようなお声で、お言葉をいただきました。


   



仁王門。
現在の仁王門は、当県山形村の 永田兵太郎をはじめとする全国信徒の篤志により
大正七年 ( 1918年 ) に再建されました。間口約十三メートル、奥行き七メートル、
高さ約十四メートル、屋根は銅瓦葺です。
仁王像及び背面の三宝荒神像 ・ 三面大黒天像は、近代彫刻の巨匠高村光雲
米原雲海の合作です。 「 定額山 」 の額は 伏見宮貞愛 ( さだなる ) 親王の御筆に
よるものです。                       仁王門前駒札より


   
仁王像は、高村光雲米原雲海の合作による彫刻です。
善光寺の仁王像は通常とは逆で、左側に阿形を置いています。 「阿形」は左手に
金剛杵を持ち右肩を上げています。   右側の「吽形」は左手を振り上げて右手を
まっすぐばしています。


   


      
仁王門の背後右裏には竃神、火伏せの神として広く信仰されている「三宝荒神」を、
左裏には大黒・弁財・毘沙門の各身が合体した「三面大黒天」が安置されています。


   
   仲見世通り。


    
    旧如来堂跡。


         
         延命地蔵尊。
 善光寺本堂は、古くは如来堂とよばれ、皇極天皇元年 ( 642年 ) の創建から
元禄十三年 ( 1700年 ) までの間は この場所にありました。
この地蔵尊は旧本堂内の瑠璃壇 ( ご本尊・善光寺如来さまをご安置した壇 ) の
位置に建てられています。             延命地蔵前駒札より    


   
   延命地蔵尊と向かい合うように 釈迦堂が建っています。


   
      善光寺 世尊院   釈迦堂
   釈迦涅槃像  ( 国指定重要文化財 )
    天延三年 ( 973年 ) 越後国古多ヶ浜より漁師の網にかかり出現せられ、
    その後当寺へ奉送された。
   毘沙門天  ( 市指定文化財 )
      善光寺七福神
   不動明王    右、本尊並び両脇侍は戸張 ( 幕 ) 内にあり、特別拝観日のみ御開帳される。
   一光三尊阿弥陀如来  ( 市指定文化財 )
   開運 摩利支天像                      釈迦堂前駒札より


   


   
   駒返り橋。


  仲見世通りが終わり、山門へ進む参道の
 入り口にある石橋は、建久八年(1197年)
 頼朝が善光寺を参詣した時に馬の蹄が穴に
 挟まってしまった為に駒を返したという話から
 「駒返り橋」と呼ばれています。
 その馬蹄の凹みは現在も 「 駒返り橋 」 の
 左側に見ることができます。
 


        
        濡れ仏。
濡れ仏は享保7年 ( 1922 ) に造立されたもので、像高は 2.68メートルあります。
銅像坐像で、右手に錫杖 ( しゃくじょう ) を持ち、左手に宝珠 ( ほうじゅ ) をもって
います。水内群普光寺の真栄僧法誉円信が建立したものです。
江戸の大火を出した八百屋お七の冥福を祈って、吉三郎が立てたという伝説も
あって有名な延命地蔵です。


   
   大勧進
 山門に向かって西側にあれます。大勧進善光寺の山内天台宗の本坊です。
もともと勧進というのは、「 仏法を説き作善をなすよう勧誘策進することであり、転じて
神仏のための寄付を勧める 」という意味であり、大勧進というのはその元締め的存在
を指します。 大勧進とは役職名でしたが、善光寺ではこの役職名が寺名として残った
ことになります。  大勧進天台宗大本山善光寺25ヶ院の本坊として、住職は
貫主 ( かんす ) と呼ばれており、善光寺の住職を兼ねています。貫主は代々比叡山
延暦寺より推挙される慣習があります。 江戸時代には、大勧進善光寺の運営に
あたっていました( 現在は大勧進大本願が運営しています ) 
また、大勧進の境内にある位牌堂には、武田信玄上杉謙信の位牌があります。
他にも厄除け不動明王が安置されている護摩堂などが有名です。
 

 
  山門 ( 三門 )
 駒返り橋を過ぎ、右側に六地蔵と濡れ仏を過ぎて、石段を上がったところが山門です。
山門は桁行き約20.4メートル、梁行き約8メートル、高さ約18メートルの入母屋造りの
大楼門です。 5年の歳月を経て、寛延3年(1750)に建立されました。
長い歴史を持つ山門は、1847年の善光寺地震などに耐えてきましたが、建物や屋根の
老朽化が進んでいました。 そこで、2002年より平成の大修理が行われ、2007年12月に
5年の歳月を経て建立時の姿が復活しました。   山門の内部 ( 門の2階部分 )には、
四天王に囲まれた木像文殊菩薩坐像、四国八十八ヶ所の札所本尊を模刻した百体仏が
祀られています。 文殊菩薩坐像が安置されていることから、 山門のことを 「 知恵の門 」
とも呼ばれています。


    
     善光寺の額 ・ 「 鳩字の額 」
      正面には有名な 「 善光寺 」 の額が掲げられています。


          
   通称「鳩字の額」とも呼ばれており、良くみると鳩が五羽隠されています。 
   また 善光寺の 「 善 」 の字が 牛の顔の形に 見えると言われ、ここからも、
   「 牛に引かれて善光寺参り 」 の信仰を伺い知ることが出来ます。
   現在の額は 昭和59年〜平成元年に行われた 「 国宝善光寺本堂昭和大修理 」
   の際に掛けかえられたもので、古い額は善光寺資料館に展示されており、見る
   ことが出来るそうです。


   


   
   授与品所。


    


         
         ここにも 「 鳩字の額 」 がありましありました。


   
   山門 ( 三門 ) 裏へ集合。


    


    
    数珠頂戴に参加するために待っています。
 お数珠頂戴は、貫主や上人が参道を往復される際に、石頭にひざまずいて手を
合わせ、お二人から数珠で撫でてもらいます。功徳を授かる機会として、地域にも
根付いておりお朝事の際には多くの人が参道でひざまずいて待機しています。


   
 お数珠頂戴は料金が必要ではありませんが、法要を勤める導師 ( 大勧進貫主
大本願上人 ) が お朝事のために本堂へ進まれる際に頂戴するものなので、その
タイミングで参道にひざまずいて待っている必要があります。誰でも参加することは
可能で、お二人の昇堂時と下堂時のチャンスは4回あります。



   
 大勧進より本堂へ お朝事のために 導師様が出てまいられました。


   
 ひざまずいて手を合わせ、導師様より数珠で撫でて戴き功徳を授かります。


   


   
   お朝事法要のため本堂へ入られます。


 
 善光寺本堂 ( 国宝 )
 現在の本堂は、宝永4年( 1707 )に7年の歳月を経てに完成しています。
元禄13年( 1700 )の火災の後に徳川幕府松代藩に命じて造られたもので、設計は、
幕府お抱えの名匠である、甲良豊前宗賀 ( こうらぶぜんそうが ) がおこなっています。
 本堂は、間口 23.89メートル、高さ 25.82メートル、奥行き 53.67メートルという壮大な
伽藍は東日本最大で、最奥部にある仏堂の手前に広大な礼堂 ( らいどう ) を繋ぐ棟の
形が、鐘を叩く撞木 ( T字型 ) に似ていることから 「 撞木造り ( しゅもしづくり ) 」 と呼ば
れています。 明治28年には、国宝に指定されました。


「 お朝事 」 参詣のため本堂へ、本堂内では写真撮影は禁止されています。善光寺
参拝のしおりの写真をお借りします。
》 外陣 ( げじん ) 改札の外に拡がる板敷の空間が
外陣です。 その右側には、妻戸台と呼ばれる舞台が

         
あります。 その右側には びんずる尊者 ( 撫で仏 )
↑ 参拝の順路 拡大     安置されています。 びんずる尊者はお釈迦様の弟子、
十六羅漢の一人で、この像に触れると その神通力にあやかり、病気を治していただく
信仰があります。  妻戸台との間には 親鸞聖人お花松があります。  鎌倉時代
親鸞聖人が参詣の折り、ご本尊に松を捧げられたのにちなみ、現在でも生けられて
いるものです。

 
》 内陣 ( ないじん ) 改札を入り、右手
畳敷きの内陣へ進みます。 頭上の欄間で
燦然と輝くのは 来迎二十五菩薩像 で、
手に手に楽器をたずさえ音楽を奏でながら、
極楽よりお迎えに来て下さる姿を示しています。
一番左側の 句画中央に、誰も 乗っていない
蓮台があります。善光寺にお参りになった皆さ
んが極楽へと旅立つときのために用意されたものだといわれています。 その左右には、
西国、坂東、秩父の各観音札所の観音像が安置されています。善光寺はこれら霊場
番外札所となっており、満願された方々がお礼に善光寺ヘ参詣する習わしがあります。


 《 》 御本尊 ・ 一光三尊阿弥陀如来
 内陣左側の 焼香台より焼香台、金襴の
お戸張が懸かるところが瑠璃壇 ( るりだん )
で、秘仏の御本尊が愛知されています。 
このお戸張りは法要時には上げられ、ご本尊
を安置する宮殿を拝することができます。
善光寺 御本尊の 一光三尊阿弥陀如来 ( いっ
こうさんぞんあみだにょらい ) さまは、欽明天皇の十三年に百済から日本へお渡りになった
日本最古の仏像です。 御開山本田善光卿によって皇極天皇の元年 ( 642 ) 、当地に
祀られましたが、その後絶対の秘仏となられました。善光寺信仰は、日本仏教の根本
ともいうべき この御本尊にたいする信仰で、そのため、宗派を超えてすべての人々を
受け入れることを旨としてきました。


 《 》 御開山  本田善光卿
 内陣右側の焼香台より内々陣奥を拝すると、
善光寺を開かれた 本田善光卿と その家族、
奥方の弥生の前、ご子息の善佐 ( よしすけ )
お祀りする 御三卿の間があります。
 善光寺の寺号は、善光卿の名に由来すると
いわれています。  七年に一度の 前立本尊
御開帳では、ご本尊の分身である 前立 ( まえだち ) 御本尊が、宝庫より この御三卿の間
左寄りにしつらえられた 御仮屋へと還座されます。


  《 》  お戒壇 ( かいだん ) めぐり
念 内々陣の右側を通って奥へ進むと 「 お戒壇
めぐり 」 の入り口があります。お戒壇めぐり
は、ご本尊の安置される瑠璃壇下の真っ暗な
回廊を通り、中程に懸かる 極楽の錠前 を探り
当てて、秘仏の御本尊と結縁する道場です。
右手で腰の高さの壁を伝わって進みます。
戒壇の入口には、タイ国より贈られた仏舎利 ( お釈迦様の御遺骨 ) と お悟りを開かれた
お釈迦様の像が安置されています。


      お 朝 事 ( あさじ )
 善光寺参りの醍醐味を味わうには、毎朝
行われる お朝事に参詣、清新な朝の空気
の中、本堂に 全山住職の厳かな読経が
響きわたり、祈りの聖地として脈々と伝え
念られてきた善光寺本来の姿にまみえること
ができます。 お朝事に付随して行われる
回向では、先祖供養や祈願 が行われ、 ( 宿坊にて心願成就成就祈願を申し込んで
いたので ) 内々陣にて法要に参列することができ、名前と願い事を読み上げていただき
ました 。
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            御本尊   一光三尊阿弥陀如来 御前立


                   札所等・・・・・西国三十三所 ・ 坂東三十三箇所
            ・ 秩父三十四箇所( 各番外札所 )
  名称・・・・・ 信州 善光寺   ( 山号・・・定額山 )
  本尊・・・・・ 一光三尊阿弥陀如来 ( 絶対秘仏
  宗派・・・・・ 無宗派
  開基・・・・・ 皇極天皇( 勅願 )
  創建・・・・・ 皇極天皇三年( 644年 )
  所在地・・・・・ 長野県長野市元善町491      


    


          

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     7:53  宿坊に戻り。


    
 7:58  朝食 ( 精進料理 ) をいただきます。
 朝食の後 宿坊兄部坊をでて、出発時間までには時間の余裕があるので境内の
 散策とお土産の購入に。


    


    
    白蓮坊 
 本尊は八祖大師像。むじな燈籠の伝説にちなむ 「 むじな地蔵 」 を安置する。
ブロンズ像の台に刻まれましたのは、相馬御風 ( そうまぎょふう ) 先生の作になる
「 むじな灯籠 」のうたです。


     
白蓮坊の 「 むじな地蔵 」 は、この「 むじな灯籠 」 の伝説にこめられた、善光寺如来
無縁の慈悲の世界を、東京芸術大学大学院教授の籔内佐斗司 ( やぶうちさとし ) 先生が、
天真爛漫な童子形のお地蔵さまと健気なむじなの姿で表してくださったものです。
白蓮坊内には木造彩色の像、参道脇にはブロンズ像をお祀りしてあります。


  


    
    もう一度仁王門を入ります。


    


   
   「 愛媛バス 西國三十三観音参拝団様 」の看板があるお店に。


    
    お土産を選びます。


  


   


    
 むじな灯籠は探し回ったのですが残念、何処にあるのか分かりませんでした。


         


         
         善光寺日本忠霊殿
  戊辰戦争から第二次世界大戦までの戦争で亡くなった、約二百四十万柱の英霊を
祀る仏式霊廟です。明治三十九年 ( 1906年 ) に創建され、昭和四十五年 ( 1970年 ) に
現在の姿に改築されました。一階には善光寺ゆかりの宝物を展示する 「 善光寺資料館 」
が併設されています。              善光寺日本忠霊殿 駒札より

  
   
   9:30  善光寺大本願 駐車場より 駒ヶ根市の 宝積山 光前寺へ向かいます。


      下は昨夜お世話になった宿坊 兄部坊 ( このこんぼう ) の様子です。
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           宿坊 兄部坊 ( このこんぼう )  2016-04-13


    
    17:45  大本願 駐車場に到着。


    


    
    宿坊は仁王門のすぐ近くにあります。


     
     朱色の宿坊 兄部坊の門を入ります。


         
         中に入ると正面にお花が活けてあります。


    
    2階の和室に入るとお茶が用意されています。


    
 お茶とお菓子 ( 落雁 ) を戴きながら、翌朝の 「 お朝事 」 の説明を受けてから
回向 ( 先祖供養や祈願 ) の申し込みをします。ちなみに私は 「 心願成就祈願 」
の申し込みをしました。


    
    18:30  夕食 ( 精進料理 ) の用意が出来ました。


       


   


    


    


    
  

    


   


   
   19:05  部屋に入ると布団が並べられています ( 修学旅行を思い出す )
          2人部屋もありますが部屋の数が限られています。


   
   1階の浴室へ ( トイレや浴室は共同利用のためしばらく順番を待ちます )
   ひのきの浴室で、身体を清め部屋にて就寝。楽しい思い出になりました。