第13回 西国三十三観音巡り お礼参り・元善光寺

         西国三十三観音巡り ・ 元善光寺 ( 2016-04-13 )   


   


   
   【 元善光寺縁起 】
 推古天皇十年に信州麻績 ( おみ ) の里 ( 現在の飯田市座光寺 の住人 本多善光
( ほんよしみつ ) 公が、国司の供をして都に上がった時に、難波の堀にて 阿弥陀如来
様にめぐりあい生まれ故郷へお連れし、お祀りしたのが元善光寺の起源です。
その後 皇極天皇元年に そのご本尊様は現在の長野市遷座され、出来たお寺が
善光公の名をとって「 善光寺 」と名づけられました。それから飯田の方の当山は勅命
によって木彫りで同じ 御尊像が残され 「 元善光寺 」 と呼ばれるようになったのです。
 その時、仏勅によって   「 毎月半ば十五日間は必ずこの麻績 ( おみ ) の古里に
帰りきて衆生を化益 ( けやく ) せん 」   という ご誓願を残されたとのことで、長野の
善光寺と 飯田の元善光寺と両方にお参りしなければ片詣りと云われている訳です。


          
          14:24  元善光寺到着。


   
   山門。


    
           ⇒ 定額山   元善光寺  境内図  拡大


   


           
           回向柱 ( 供養塔 )


   
   本堂。


    


           



 名称・・・( 定額山 ) 元善光寺
 通称・・・坐光寺
 本尊・・・善光寺如来
 宗派・・・天台宗
 開基・・・伝・本多(本田)善光
 創建・・・伝・ 推古天皇10年(602年)
 所在地・・・長野県飯田市座光寺2638
 TEL・・・0265-23-2525
 FAX・・・0265-52-5555


            


   
   お勤め。


           
           お賓頭盧様
     お釈迦さまの直弟子の びんずるさまは 「 なで仏 」 といわれ、
     病気の人が、この像をなでた手で 自分の悪いところをさすると
     病が治ると信じられています。


      
      手水舎。


   
   本堂でのお勤めを終えると時間の余裕が無いので皆さんの後を追って
   舞台桜見物に・・・・・・・・・・・・・・


   
   矢場。


   


   


          


   


   


    
長野県宝  旧座光寺麻績 ( おみ ) 学校校舎。    昭和六十年十一月二十一日指定
 この校舎は 明治六年に歌舞伎舞台と学校を兼用するように建てられたもので、
学校建物としては県下で最も古いものです。
 大屋根の棟には建設当時の校名 「 麻績小校 」 が記されており、昭和五十九年
までの百十一年間、学校として活用されていた貴重な建物です。  また、農村の
歌舞伎舞台としては県下最大級で、全国的に珍しいものです。
 建物の構造は、木造二階建 ・ 一部三階建 ・ 桟瓦葺入母屋造で、正面一階は
歌舞伎舞台、二階は教室として計画されました。一階正面には長さ八間の梁を渡し、
その左右の 太夫座、下座部分には二段の格子窓があります。 舞台裏は一階が
土間床、二 ・ 三階は畳敷きの部屋となっています。
 平成九年三月に復元整備工事が完了し、建設当初の姿が蘇りました。
   平成十一年七月    飯田市教育委員会   座光寺麻績学校校舎説明板より


   


 
 麻績の里 ( おみのさと ) 舞台桜。


   
この桜は 五弁から十弁の花が交じり合って咲く姿から 「 半八重枝垂れ紅彼岸桜 」
とも呼ばれています。推定樹齢350年、旧座光寺麻績学校校舎 ( 舞台校舎 ) と共に
子供たちの成長を見守ってきた桜です。


 
 お天気が悪くて残念ですが、何処から眺めても素晴らしい舞台桜です。


   


   
   竹田扇之助記念   国際糸操り人形館   


       



   竹田扇之助は、NHK人形劇シリーズ
  などで大活躍した、糸操り人形劇団
  「竹田人形座」の主宰者です。
  竹田扇之助記念国際糸操り人形館は、
  その竹田扇之助を記念し、竹田人形座
  で使われた喜之助人形や糸操り専用の
  舞台を展示しています。
            人形の写真お借りしました。


   
   麻績神社。
元々は八幡社とだけ呼ばれていましたが、座光寺地区の大地主で、有力者であった、
北原稲雄氏が " 麻績 " という言葉を大変気に入り、明治六年から神社の名称に使う
ようになり、現在に至る。      時間が無いのでお詣りできませんでした残念。


   
   石段を降りて、石塚古墳へ。


          
          石塚古墳 「 石塚桜 」


   
石塚第 一 ・ 二 号古墳      共に横穴式石室を持つ円墳であり、築造年代は
六世紀後半と推定される。一号古墳は、径二一.八m、高さ二 .八 〜 三 . 三mで
石室は長さ八 . 五m、高さ二 . 八m、程ある。大きな天井石五枚をのせている。
玄室 ( 遺体を葬る部屋 ) と、羨道 ( 入口部 ) の区別は不明であり、平面形は梯形
側壁と奥壁は斜めに交わる。石室の大きさは坐光寺最大で、二号古墳も、ほぼ同
規模である。出土遺物は、円筒埴輪、須恵器の他は不明。二号古墳は一号古墳の
西南一七mに位置する。                 石塚第 一 ・ 二 号古墳説明板より


   
   石塚桜は もうすっかり葉桜に。


   


   


   


   
   遊歩道沿いに つくしを見つけて大喜び・・・・・・・・・・


       


   


   


   


           


   
   15 : 20 元善光寺出発 約56分、1時間足らず 慌しいお詣りでした。
 次にお邪魔する機会があれば時間をかけて ゆ〜っくりと散策できればと・・・。


   
   今夜の宿、善光寺宿坊へ向かいます。


           宿坊 兄部坊 ( このこんぼう )  2016-04-13


    
    17:45  大本願 駐車場に到着。


    


    
    宿坊は仁王門のすぐ近くにあります。


     
     朱色の宿坊 兄部坊の門を入ります。


           
           中に入ると正面にお花が活けてあります。


    
    2階の和室に入るとお茶が用意されています。


    
 お茶とお菓子 ( 落雁 ) を戴きながら、翌朝の 「 お朝事 」 の説明を受けてから
回向 ( 先祖供養や祈願 ) の申し込みをします。ちなみに私は 「 心願成就祈願 」
の申し込みをしました。


    
    18:30  夕食 ( 精進料理 ) の用意が出来ました。


         


   


    


    


    
  

    


   


   
   19:05  部屋に入ると布団が並べられています ( 修学旅行を思い出す )
          2人部屋もありますが部屋の数が限られています。


   
   1階の浴室へ ( トイレや浴室は共同利用のためしばらく順番を待ちます )
   ひのきの浴室で、身体を清め部屋にて就寝。楽しい思い出になりました。

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