西国三十三観音巡り 第三十三番 谷汲山 華厳寺 ( 2015-10-07 )
『谷汲山根元由来記』によると、華厳寺は延暦17年(798年)、会津黒河郷の豪族
大口大領なる人物によって創建されたという。『由来記』によれば、大口大領は
都の仏師に依頼して自らの信仰する十一面観音の像を造立。彼は観音像とともに
会津に帰ろうとしていたが、途中、美濃国の赤坂(現・岐阜県大垣市)で観音像が
動かなくなってしまう。赤坂の北五里の山中に観音所縁の霊地があるというお告げを
受け、大口大領は同地に草庵を建立。延暦末年に、当地で修行していた僧・豊然上人
(ぶねんしょうにん)の協力を得て華厳寺を建立した。
延暦20年(801年)、桓武天皇の勅願寺となり、延喜17年(917年)には醍醐天皇が
「谷汲山」の山号と「華厳寺」の扁額を下賜。天慶7年(944年)には朱雀天皇が
鎮護国家の道場として勅願所に定め、仏具・福田として一万五千石を与えたという。
「谷汲山」という山号は、寺付近の谷から油が湧き出し、仏前の灯明用の油が
汲めども尽きなかったことに由来する。
華厳寺総門。
「 西国第三十三番満願霊場 」の石標。
金剛力士像。
参道の中央に三十三度石。 百度石もありました。
三十三とは、三十三観音など現世利益を願う数だそうです。
本堂 ( 観音堂 )
本尊御真言・・・・・・・・おんまか きゃろにきゃ そわか
札所等・・・西国三十三観音霊場 第三十三番札所 結願寺
名称・・・汲山 宝厳寺 ( たにくみさん けごんじ )
本尊・・・十一面観世音菩薩
宗派・・・天台宗
開基・・・豊然上人、大口大領
創建・・・延暦十七 ( 798 ) 年
所在地・・・岐阜県揖斐川町谷汲徳積23
華厳寺 散華 TEL・・・0585-55-2033
当寺には花山法皇が禅衣(笈摺)、杖、及び三首の御詠歌を奉納したとされる。
この堂には今日も西国三十三所巡礼を終えた人々が奉納した笈摺、朱印帳等が
置かれ多数の千羽鶴が奉納されている。
千羽鶴は折鶴(おりつる)が笈摺(おいづる)にちなむことから奉納される。
満願堂。 本尊は 十一面観世音菩薩。 納め札は満願堂で納めます。
西国三十三所霊場の中興者と伝承される花山法皇は徒歩で巡幸し、当寺を
第三十三番札所の満願所と定め、禅衣(笈摺)、杖、及び三首の御詠歌を
奉納したと伝え、鎌倉時代には後白河法皇が花山法皇の跡を慕って同行
千有余人を従えて巡幸したという。
身体の部分で悪いところ 気になるところに、水に濡らしたお札を貼って祈ります。
立花屋さんのワゴンで駐車場へ。
バスは彦根城の横を走り。
今夜の宿、休暇村 近江八幡へ。
4時30分頃の琵琶湖。
明日は彦根港から竹生島の第三十番札所宝厳寺へ参拝、船が出るか心配。