其の一 〜 国史跡 ・ 備中松山城 〜 ( 2015-09-27 )
備中松山城は 別名 高梁 ( たかはし ) 城と呼ばれ、日本100名城の一つです。
松山市の伊予松山城との混同をさけるため、備中松山城と呼ばれています。
標高430m の臥牛山 ( がぎゅうざん ) 山頂にあり、現存天守を持つ山城としては
最も高い所にあります。
高梁市観光駐車場から備北バスに乗り換え 狭くて急斜面の道路を 八合目まで
バスで移動、八合目の ふいご峠から急な坂道と段差のある石段を 徒歩約20分
ガイドさんの説明を聞きながら大手門跡・三の丸・二の丸・本丸・天守閣へ。
昼食後、日本三大稲荷・最上稲荷 ( 神仏習合 ) 総本山へ、本殿の大注連縄など
スケールの大きなお寺でした。
足守地区は豊臣秀吉の正室ねねの実兄を藩祖とする木下家2万5千石の陣屋町。
足守藩侍屋敷・陣屋跡・木下利玄生家など足守の街並み保存地区を散策。
「 もも太郎 」のモデルといわれている 大吉備津彦命を祭神とする 吉備津神社は
豪壮かつ優美な比翼入母屋造の本殿・総延長398mの回廊など広大な境内を
大急ぎで拝観を終え高速に。途中休憩で福山SAに着いた頃には 十五夜の綺麗な
お月さまが輝いていました。 明日28日は満月 ( スーパームーン ) が観えますね。
午前7時、大西公民館前を出発、今治北 IC ( しまなみ海道 ) に入る。
伯方島バス停留所で2名乗車。 7時55分、伯方 IC に入る。
しまなみ海道〜山陽道〜岡山道と高速を乗継ぎ 賀陽ICを出て・・・・・
高梁川沿いに白壁の塀が長く続いています。
高梁市観光駐車場で備北バスに乗り換え席が無いので踏ん張って立ってま〜す。
バスの進路左手に、高梁高等学校。 左側に武家屋敷通り。
御根小屋跡。城主が日常住んでいた御殿に当たる建物で政庁も兼ねている。
天守は象徴的な存在で、政治の中心は御根小屋 ( 現在の高梁高等学校 ) で行われた。
避難小屋。道が狭いためここの駐車場で下りてくる車を待ちます。
待つている間、バスの中でガイドさんの説明を聞く。
ふいご峠。
臥牛山8合目の駐車場。備中松山城の御社壇に納められた三振の宝剣を
この場所で作らせ,その為に大きな 「 ふいご 」 が設置されていたことから
この名前がついた。ここから徒歩で700m 約20分で天守に到着。
10時33分、ふいご峠登山道前で ガイドさんの説明を受ける。
かって御根小屋と天守との伝達手段として使われた太鼓丸櫓。下太鼓丸櫓と
中太鼓丸櫓の二つの中継地点をもうけ、太鼓の合図で連絡を取り合っていた。
大手門から先には多くの石垣が残っていますが ひと際目を引くのが大手門の
右手にそびえる石垣群です、天然の岩盤の上に石垣を築き、更に土塀を建てる
調和のとれた天然と人口のコラボレーションは山城の魅力でもあります。
三の平櫓東土塀 ( 国指定重要文化財 ) 四角い矢狭間と丸い筒狭間を備えた
東土塀。一部が現存のもので、残り半分は復元されたものです。
右側には広々とした 三の丸跡。ここには 上番所や足軽番所がありました。
厩曲 ( うまやぐるわ )
荷馬を繋いでいた厩曲。現在で言えば駐車場に当たる場所です。
御膳棚 ( ごぜんだな )
かっては食事をつくる場所だつたが現在はトイレになっています。
二の丸。二の丸はもっとも広くお弁当を食べたりするのに最適。
城下を見下ろしたり記念撮影もできます。
天守閣は後回しにして・・・・・・・・・ 本丸東御門。
本丸東御門 ( 復元 ) 本造本瓦葺き、棟門、引戸。天守の東脇にあり本丸の
勝手口にあたる。
腕木御門 ( 復元 ) 本造り本瓦葺き、棟門、開き戸。二重櫓の正面脇にあり
本丸の裏門にあたる。降りていけば搦手門の前に出る。
二重櫓。
天守の北側、岩盤の上に造られた二重櫓。天然の岩盤の上に石垣を築き
建てられており、山城の特徴がよく表れています ( 国指定重要文化財 )
南北二つの出入り口は、北は後曲輪に、南は天守裏に通じています。
番所跡。
天守 ( 国指定重要文化財 )
本造本瓦葺二層二階の建物で、内部一階には囲炉裏裡と、装束の間が
二階には城の守護神を祀った御社壇があります。
天守閣入り口。 石垣に取り付けられた階段を登る。
囲炉裡。 板石造り、長さ一軒幅三尺 籠城時城主の食事、暖房用に
用いられたといわれている。天守閣の中に切り込みの囲炉裡のあるのは
全国でも珍しい。これは戦国時代備中の首都として、この城の激しい
争奪戦が幾度も繰り返された経験からうまれたものである。
装束の間。籠城時の城主一家の居室、床下に石を入れ 隙間のないようにし
忍びの者でも侵入できないように工夫がされている。
戦いに敗れ、落城の時は城主一家の死に場所でもある。
天守への階段を上る。
天守へ。
天守、南側連子窓からの眺め。
御社壇。天和 ( てんな ) 3年 ( 1683 ) 当時の城主 水谷左京亮勝宗が
この松山城を修築した その節 松山藩五万石の守護として三振の宝剣に
天照皇太神を始の水谷氏の守護神羽黒大権現等十の神々を勧請し、
この御社壇に安置し、事ある毎に盛大な祭典を行い、安康を祈った。
本丸。 左側、五の平櫓 ( 復元 ) 右側、六の平櫓 ( 復元 )
ガイドさんが ここには男性用の雪隠 ( セッチン ) 跡がありますと・・・・・・・・・・
近くでお弁当を食べていた女の子が不思議そうな顔をしてセッチンて何ですかと ?
トイレなんよと言うと ビックリりしていました。
途中、「 本日の登城大義であった 」 ここから左に近道を ( 凄〜い急斜面 )
山を下り高梁市観光駐車場で北陽バスから観光バスに乗り換える。
次の研修地、最上稲荷へ。