其の三 〜 足守町並保存地区 〜 ( 2015-09-27 )
足守藩は、慶長6年 ( 1601 ) に太閤秀吉の正室北の政所 ( 通称 ねね ) の
兄であつた播磨姫路城主木下家定が領地を備中に移され、2万5千石を領した
事に始まる。羽柴秀吉の水攻めで有名な備中松山城の西北にあり、水攻めに
利用された足守川の西岸に、江戸時代の古い町並が多く残っています。
午後2時50分、足守プラザ前を・・・・・・・・・・・・・・・・・・
足守藩侍屋敷・・・白壁の長屋門と土塀に囲まれた家老杉原家旧邸宅は
保存状態が良く、武家の生活を知る上で貴重な存在。伝統的な武家書院造の
構造を持つ母屋は、武家屋敷の原型とも言われています。
玄関の間の奥には侍屋敷では必ず設ける2畳の仏間があります。
自刃の場ともなる この部屋の柱は、逆目 ( 天地が逆 ) となっています。
玄関 上床の上、長方形の空間は、非常時 素早く槍の鞘をはらうところ。
茶室。長屋門の片方は茶室に、向こう側は中間 ( 使用人 ) 部屋。
一の間と二の間は、境の鴨居の上には珍しい好図組欄間をいれ、天井が高く
すべて竿縁天井であり、外側に縁をめぐらせ質素なうちに格式ある武家造りに。
台所の土間から裏に出ると 井戸があり、その向こうに 風呂場 と便所が建つ。
表に回って御成門の説明を聞く。
足守小学校校地内にある北木下家の長屋門
北木下家は分家筋にあたるが、門が当主家のものより大きかったので問題と
なったという曰わくつきの物 封建社会では家柄、家格によって門の様式、
大きさまでが決まっていた。
この長屋門 屋根の菊の形は縁が無いそうです。
校庭に、焼き物の二宮金次郎像。
旧足守藩木下家陣屋跡。
木下利玄生家・長屋門。
生家は寛永5年 ( 1852年 ) の建築で、平成23年に保存修理事業が完成。
木下家 14代当主 利玄は 明治19年 ( 1886年 ) に生れ 5歳で上京学習院等で
勉学に励むかたわら歌の道にも精進を続け、のちに武者小路実篤や志賀直哉ら
とともに雑誌白樺を発刊。明治・大正の文学史に大きな足跡を残しました。
入口右の土蔵の中からは 秀吉・秀次の関白叙任状や秀吉直筆の古文書など
貴重な豊臣氏関連資料が近年発見され、大きな話題となりました。
岡山県指定史跡、近水園・吟風閣へ。
近水園 (おみずえん)足守町並み保存地区の北端にある県指定名勝庭園。
足守藩主木下家の庭園は、足守川の水を引き入れた池泉を中心に回遊する
小堀遠州流といわれ、江戸初期の庭園にふさわしく、藩主の長寿と繁栄を
象徴する鶴島と亀島があります
公園では振袖の撮影会が、可愛いお嬢さんに思わずシャッターを !!
駐車場の、お休み処で ( のどを潤した後) ) 最後の訪問地吉備津神社へ。
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