今治希望の燈・今治城

   『 未来 ( あした ) のためにプロジェクト ~ 今治希望の燈 ( ともしび ) ~』 

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  コロナウイルの影響で暗い雰囲気にあるこの町を明るく
 するため、小学6年生、中学3年生、高校3年生が油性
 マジックやクレヨン等で、黄色いハンカチに未来の希望や
 感謝の気持ち、夢などのポジティブメッセージを絵や言葉
 などで自由に描い黄色いたハンカチだそうです。
 ふたりの孫達もメッセージを書いたので楽しみに今治城
 やってきたのですが、「コロナに負けるな」と心を込めて
 書いた妹のハンカチが見当たりませんでした。  
 黄色いハンカチを一枚々見てまわり今治城へ。天守閣へ
 上りたいと言うので~今治城 櫓めくり スタンプラリ~ に
 ⇧クリックすると拡大     挑戦 ① 天守 ② お金櫓 ③ 山里櫓 ④ 鉄御門・武具櫓
               など汗を拭き々、興味深く最後まで見て回りました。     

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吹上公園北交差点から左回りに・・・・・・・・・・・・・・・・・ ( ⇧写真をクリックすると拡大 )

 

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  12 : 05  吹上公園北交差点横、ここから出発します。

 

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  左回りに黄色いハンカチを見ながら歩きます。

 

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  恵美須鯉池町線 ( 旧町名  大手通 )

 

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  駐車場へ入ります。

 

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  山里通りへでる。

 

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  高麗門の向うに山里櫓・山里櫓門。右に今治城天守閣。

  

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    旧町名 山里通り    
  蔵敷村領分で大正三年から帳簿に現れるようになった。西門から入った一帯を山里
 と称したが、初代松平忠房は隠居後この地に隠居所を建て「 山里様 」と呼ばれた。
 付近には家老や上級武士の屋敷があり、山里門を通って登城した。
                               ( 石標  旧町名  山里通より )

 

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山里通り~明治町線を出て恵比寿鯉池町線へ。この先の信号を左折し黄金町通線へ入る。

 

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      簡易視力標も・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

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 車の往来が少ない黄金町通線 ( 旧町名 西門通 ) 

 

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   黄金町通線 ( 旧町名 西門通 ) 沿いを左折、今治駅天保山線 ( 旧町名 南堀通 ) 沿いへ。

 

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   この辺りに Hinachn の黄色いハンカチがあるはずなんですが・・・・・・・・・・・・!!

  

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     みんなで一枚一枚丁寧に探したのですが見つかりませんでした。

 

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    今治駅天保山線 ( 旧町名 南堀通 ) 沿い。

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      今治駅天保山線沿いを左折、産業道路沿いへ。

 

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     今治城入口の土橋 ( 吹揚参道線 ) ヘ左折。

 

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   土橋 ( 吹揚参道線 )

 

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                勘兵衛石 ( かんべえいし )
                 今治城で最大の石
        城主の権威を示すために目立つ場所に据えられた巨石 ( 鏡石 ) で、
       今治城の入口の正面にあります。
        石の名は、今治城の築城奉行と伝わる渡辺勘兵衛に因んだもので、
       江戸時代には既に「 勘兵衛石 」と呼ばれていました。

        

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   鉄御門

 

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               今治城藤堂高虎

                  碑 文
       藤堂高虎公は 弘治二年 ( 一五五六 ) 近江の国に生れた
      羽柴秀長秀長 豊臣秀吉などに仕えて宇和島・大洲八万石の大名となり
      慶長五年 ( 一六〇〇 ) には関ヶ原の戦功によって 徳川家康から今治二十万石を
      加増され 伊豫半国二十万三千石の領主となつた
      今治城は高虎公により慶長九年( 一六〇四 ) に竣工を見た 三重の堀に海水を
      引き入れ 舟入りを持つ日本有数の海城である 五層の天守は層塔式で白漆喰が
      映え 近世城郭のモデルとされた 築城に合わせて城下に町割りを行い 地名を
      今張から今治に改め 現代の今治市の原型がつくられた
      築城の名人と称された高虎公は 多くの天下普請の城を築き 慶長十三年
      ( 一六〇八 ) 伊勢・伊賀に転封された そして大阪陣の後 朝廷と幕府間の斡旋
      役を務めるなど徳川幕府体制の基礎固めに大きく貢献し 寛永七年 ( 一六三〇 )
      七十五年の波乱の生涯を閉じた 築城四〇〇年にあたり この像を建て高虎公の
      業績を子々孫々まで伝えるものである
      像の制作は 文化功労者芸術院会員の中村晋也先生
      題字は 文化勲章受賞者 村上三島先生の揮毫による
          平成十六年九月吉日
        今治城築城・開町 四〇〇年祭実行委員会    今治市
                       藤堂高虎公像台座の 碑文 より )

 

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    天守閣へは石垣を右に入るのですが真っ直ぐ上ってしまいました。

 

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       吹上神社参道から眺めた天守

 

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    13 : 15  孫達と汗を拭いながら階段を登り6階展望台に到着。

 

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鉄御門・武具櫓( 二の丸の北隅 ) 時計回りに一周します。

 

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鉄御門・武具櫓 ~ 山里櫓へ

 

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山里櫓( 二の丸の東隅 ) 

 

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吹上神社・二の丸月見櫓 お堀の向うに、今治駅天保山線 ( 旧町名 南堀通 )

 

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吹上神社と櫓跡 ( 二の丸南隅 )

  

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黄金町通線 ( 旧町名 西門通 )・吹上小学校 ( 旧 美須賀中学校跡 )

 

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山里櫓・山里櫓門 ( 二の丸西隅 )

 

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せっかくの展望台も霞みが掛かっていてしまなみ海道がよく見えませんでした残念 !! 

 

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          約10分、展望台からの風景を楽しみました。

 

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     13 : 25  展望台を後に、階段を下りながらその階ごとの展示品を見
            ながら下までおりる。

 

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              ➊ 天 守 ( てんしゅ )
      5層6階。武具甲冑・絵図・書画などを展示する歴史資料館と
      自然資料を展示する自然科学館になっています。

 

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    吹揚 ( ふきあげ ) 神社
    御 祭 神   天 照 大 神  八 幡 大 神  事 代 主 神
            厳 島 大 神  藤 堂 高 虎  久 松 定 房
    祭礼日     五月第二土曜日
  住吉より今治市内に鎮座していた神明宮、藏敷八幡宮厳島神社、夷宮の四社を
 廃藩の際、旧社地の故を以て城内に合祀社殿を造営し 、明治五年十一月十九日遷座
 旧城名をとり吹上神社と称す。即日郷社に列し 明治十五年縣社に昇格す。後に藤堂
 高虎及び久松家祖神をも奉遷す。
 昭和三十三年戦災の復興をなしたるも 昭和五十五年放火により焼失。昭和五十八年
 現神殿を再建す。

 

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    吹揚神社山門を出て・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

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    吹揚神社石段を下り大鳥居を出て、スタンプラリー2番 御金櫓へ。

 

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             ➋   御金櫓  ( おかねやぐら )
       郷土にゆかりのある芸術家の洋画や日本画、彫刻作品などを
       展示する現代美術館になっています

         

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    御金櫓の観覧を終え昔の階段をおりる気を付けて!!

 

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   今治城 沿革
  藤堂高虎公は慶長五年 ( 一六〇〇年 ) 関ヶ原の合戦に 東軍徳川家康方の先鋒として
 戦功をたて伊予半国二十万三千石を与えられた 当時諸大名中随一の築城の権威で
 あった高虎公は内海において 海陸の要衝であった今治を城地と定め 渡邊勘兵衛を
 築城奉行に 木山六之丞を普請方として 慶長七年より同九年にかけて城壁高さ六間
 乃至八間を築き 本丸には五層の天守閣 その外には 櫓  城門等二十数棟を配し 三重
 の城濠をめぐらして  これに海水を導入して 当時としては類例のない一大平城を
 構築した また公は家康に信任され慶長十三 年伊勢の津に国替え増封されたが天守
 閣は公が家康から丹波亀山の築城を命ぜられた時 献じて亀山城に移築した  その後
 今治城は義子高吉が二万石で維持し更に寛永十二年 ( 一六三五年 ) に伊勢長島より
 久松定房が入城し後三万五千石で世々十代を経て明治維新となった
  現在の天守閣は昭和五十三年十月十日 今治市制六十周年記念として再建され往時
 の偉容を再現するに至った
  今治城跡は 昭和二十八年十月九日  愛媛県教育委員会から史跡として指定を
 受けている                        今治市教育委員会

    

 

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    藤堂高虎像の前で

 

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    3番 山里櫓へ、正面は山里櫓門

 

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     山里櫓は古美術館として郷土にゆかりのあるものを展示しています。
    今治市名誉市民の河野勝一氏は、今治市が市制70周年を迎えるににあたり、
    長年収集してきた多数の美術品及び私財1億5千万を寄贈、今治城山里櫓
    り再建に尽力されたそうです。

     ※  数多くの素晴らしい美術品の中でも特に釈迦如来坐像・十一面観音立像
     聖観音立像などの仏教美術品に感動しました。        

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              ➌ 山里櫓 ( やまさとやぐら ) 
         掛軸や屏風、陶磁器などを展示する古美術館になっています。

 

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    狭間のある白壁の塀沿いに鉄御門・武具櫓へ。    

 

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      お兄ちゃんは受付で4番、鉄御門・武具櫓のスタンプを押す。
      最後の達成記念スタンプは受付係りの方にお願いします。

 

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     今治城鉄御門再建工事の模型や写真を展示

 

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     ビデオ放映中

 

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     狭 間 ( さま )
    狭間は、壁面に開けられた小窓のことで、ここから鉄砲や矢を放ちます。
  外側の口を小さく、内側の口を小さく作っています。敵兵から射撃されにくく
  内側からは、鉄砲や弓を幅広く発射することができます。 また、石垣の上に
  ある狭間は、敵兵を狙いやすいように下に向けて作られています。

 

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     石 落 ( いしおとし )
     石落は、床に開けられた細長い蓋つきの穴のことで、ここから石を落としたり
  鉄砲を撃ったりして、下にいる敵兵を攻撃します。
  この鉄御門のように門の上に櫓を載せた櫓門では、門を突破しようとする敵兵を
  攻撃するため、扉の真上に石落が設けられいいました。

 

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     格子窓( こうしまど )
    格子窓は、敵兵の侵入や矢玉を防ぐために太い格子をつけた窓の事です。
   格子の間隔は、敵兵の頭が入らず、かつ内側から鉄砲を撃ったり矢を射る
   事ができる幅で作られています。 

 

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              枡形虎口 ( ますがたとらぐち )
   桝形虎口とは、石垣や土塁で囲った四角形の広場 ( 枡形 ) を伴う城の出入口の
  ことです。それまでの枡形虎口には一つしか門がありませんでしたが藤堂高虎
  今治城において、外側に高麗門、内側に鉄御門という二重構えの城門を設置しま
  した。さらに高虎は、枡形の三方に長屋状の櫓 ( 多門櫓 ) を巡らせました。
  敵兵が枡形に侵入しても周りの多門櫓からの集中攻撃で全滅させることが出来る
  史上最も強固な虎口を考案したのです。日本で初めて試みられた今治城での枡形
  虎口は、その後、江戸城大阪城などの徳川幕府の主要城郭にも採用されて行き
  ました。

 

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             達成記念スタンプ
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    城づくりの名人今治今治の設計者 藤堂高虎
  藤堂高虎公は戦国時代から江戸時代にかけて活躍した
 武将で、当代一の城づくりの名人でした。今治城は高虎
 公の代表作であり、同時に築いた城下町は現在の今治
 町の原型になっています。
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              ❹ 鉄御門 武具櫓
    忠実に、忠実に再現した木造建築の内部を公開するとともに役割を紹介する
   パネル展示やビデオ放映を行っています。

 

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    今治城櫓巡りを終えて鉄御門を出る。

  

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    黄色いハンカチを見ながら石橋 ( 吹揚参道線 )をゆっくりと歩く。

 

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    石橋から産業道路沿いへ出る。

 

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    ゴールの吹上公園北交差点はもうちょっと・・・・・・・・・・ガンバレ~

    

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    14 : 20  出発地点へ到着。孫達と、楽しい思い出づくりができました。

     本日の歩いた距離・・・・・約 2.5 km。 歩いた歩数・・・・・4656 歩でした。