縁起 昭和三十年五月十一日午前六時五十三分、濃い霧に包まれた備讃瀬戸で
修学旅行生ら乗客七百八十一人、乗務員六十六人を乗せた紫雲丸と車両渡船
第三宇高丸が衝突、紫雲丸は沈没し百八十六人もの犠牲者が出ました。
その亡き人々の供養にと、当院主ほか同志の者が集まり昭和三十三年4月吉日
開いたのがこの「西寶山厄除不動明王院」である。その開眼法要を行ったのは、
総本山善通寺法主である亀谷宥英大僧正である。岩はだを背にそそり立つのは、
小倉右一朗氏が刻んだ高さ八メートル波切不動と呼ばれる四国一の立像である。
また、体内には犠牲者一人ひとりの霊を弔う般若心経が納めてある。
昭和六十三年四月十日の瀬戸大橋開通に伴い、連絡船は廃止されたが遺族ら
関係者の悲しみは深く、朝 ( 六鐘 ) 昼 ( 十二鐘 ) 夜 ( 六鐘 ) につかれている。
二十四鐘の鐘は、今も航海の安全を祈ると共に、うら若き人々の魂を慰めている。
御 詠 歌
厄なんを はらいて永久に西宝の 峰にかがやく 不動明王 ( 当院 )
瀬戸の海 散りにし男の子女の子らの み霊安かれ 法のともしび ( 紫雲丸 )
不動明王院上り口。
石段、石段が続く参道・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
厄除不動尊。
厄除不動院案内標。 本堂上り口石段。
石段より境内を。 波利迦童子。
波切不動尊。
波切不動尊は茂った木に隠れて、よく見えませんでした。
お参りをして本堂(納経所)へ、老婦人が出て来られて本堂ではお参り
しなくていいですといわれ。提げたカメラを見るなり、素人が仏像を
撮るものではないと言い、帰るまで戸の影で見ていました。残念ながら
金色に輝く素晴らしい波切不動尊は撮ることが出来ませんでした。
⇒ 厄除不動院縁起拡大。
童子名・・・・・波利迦童子 ( はりかどうじ
御真言・・・・・おん けん まにまに そわか
不動名・・・・・厄除不動
札所等・・・・・四国三十六不動霊場 第三十五番札所
本尊・・・・・・不動明王
宗派・・・・・・単立真言宗
所在地・・・・・〒760-0004 香川県高松市西宝町2丁目855
☎・・・・・・・087-861-5136