おのぼりさん日記・1日目 ( 7 )   浅草寺とその周辺

       浅草寺とその周辺 ( 2017-11-03 ) 

      
      


     
  浅草寺の大提灯。浅草寺から見えるスカイツリーなど情緒があって
 「 和と洋 」のコントラストも違和感を感じることなく自然に調和して
  美しい景観をつくり出していました。


  


 


 
 雷門(風雷神門)


  
雷神像                風神像
慶応の大火により頭部を残して焼失明治七年(1874)塩川運玉氏により補刻
風神 高さ2.18m、雷神 高さ2.09m。  昭和三十五年(1960)森大造・
萩原雅春氏により修補彩色。 風神・雷神は、風や雷をつかさどる神さまで
あり、浅草寺護法善神である。元々雷門はこの二神の名前から「風雷神門」
と呼ばれていたが、いつの頃からか雷門とだけ呼ばれるようになった。
                    ( 浅草寺 境内を巡る 〔 雷門 〕より ) 


    
    雷門大提灯 裏側の龍の彫刻
    雷門大提灯提灯 高さ3.9m・幅3.3m・重さ700kg
    平成25年(2013)11月 掛け換え(5回目)です。


  
金龍像                天龍像
天龍 高さ 2.93m・重さ 250kg(男性の姿)
金龍 高さ 2.74m・重さ 200kg(女性の姿)
天龍は平櫛田中氏、金龍は菅原安男氏により謹刻、木曾檜造り。雷門の背面、
風神・雷神と対称となるように奉安されている。


 
 仲見世
 仲見世浅草寺の表参道である。雷門から宝蔵門まで長さ約250mに
わたって、参道の両側に朱塗りの店舗が並ぶ。 日本で最も古い商店街の
ひとつであり、いつも活気に溢れている。仲見世という名は、浅草広小路
(現在の雷門通り)あたりに並ぶ店と浅草寺観音堂前に並ぶ店との中間、
つまり「中店」ということからこの名で呼ばれるようになったともいう。
                  ( 浅草寺 境内を巡る 〔 仲見世 〕より ) 


   


 


 


  


        
        七五三のお衣装で可愛いね。



 
 宝蔵門 ( 仁王門 )
 雷門をくぐり、人通り賑やかな仲見世を歩いてゆくと、前方に堂々たる
朱塗りの楼門が参拝者を迎える。浅草寺山門の宝蔵門である。門は初層が
五間で、両端の二間には仁王像を奉安し、中央の三間が通行のために開口
している。 仁王像が安置されていることからもわかるように、この門は
もともと仁王門と呼ばれていた。 『 浅草寺縁起 』によれば、平公雅
天慶5年( 942 )に武蔵守に補任され、その祈願成就の御礼として仁王門
を建立したのが創建という。以来、数度の焼失と再建ののち、徳川家光
寄進により慶安2年( 1649 )に落慶した仁王門が、昭和20年まで諸人を
迎えていた。今に伝わる錦絵の数々に描かれた仁王門は慶安の門である。
                 ( 浅草寺 境内を巡る 〔 宝蔵門 〕より ) 


  
        仁王尊像( 木曾檜造り 重さ 各約1,000kg

阿形像   身長4.54m(総高5.45m)    吽形像   身長4.93m(総高5.45m)


       
       宝蔵門 ( 仁王門 ) 大提灯
 大提灯 高さ 3.75m・幅 2.7m、重さ 450kg。 日本橋小舟町奉賛会より
 平成二十六年 ( 2014 )十月奉納掛け換え( 四回目 )





本堂 ( 観音堂 )
浅草寺の本堂はご本尊の聖観世音菩薩を奉安することにちなみ、観音堂とも
呼ばれる堂宇である。 国宝に指定されていた旧本堂は昭和二十年(1945)
二十三月十日の東京大空襲により焼失したが、その後全国のご信徒からのご
浄財により、昭和33年(1958)に今日の本堂が再建された。
本堂の創建は、ご本尊が示現された推古天皇三十六年(628)にさかのぼる。
檜前浜成・竹成の兄弟が隅田川宮戸川)で観世音菩薩のご尊像を感得した
のち、10人の草刈り童子によって藜で屋根を葺いた堂に一時安置された。
その後、土師中知が私邸を寺として、この聖観世音菩薩のお像を奉安したのが、
本堂の起源である。          ( 浅草寺 境内を巡る 〔 本堂 〕 より ) 


 


       
   


  
  お水舎 ( おみずや )
  〜龍の口から受けた一杯のお水ですべての作法を行います〜
  ? 最初は右手に柄杓(ひしゃく)を持ち、左手を洗い清めます。
  ? 次に柄杓を左手に持ちかえて、右手を清めます。
 ? 再び右手に柄杓をもち、左手に水を受けて口をすすぎ清めます。
   ※柄杓に口を付けてはいけません。
  ? 最後に柄杓を立てて、柄に水を流し、清めて元に戻します。


   


  
  大香炉の煙の向こうには、本堂正面に掛かる大提灯と向拝の聯。



本堂石段より宝蔵門 ( 仁王門 ) を望む。


       
       本堂正面に掛かる大提灯。


  
  本堂外陣。


  
 内陣中央にはご本尊を奉安する御宮殿( ごくうでん )があり、その内部に
厨子が安置されている。御宮殿は唐様・三方軒唐破風千鳥破風付、八棟
造りで、鎌倉時代末期の建築様式を模したもの。堂内のお堂というべきで、
最も神聖な空間を結界している。内部は二間の畳敷きになっており、上段
の間にはお厨子に納められた「 秘仏 」のご本尊聖観世音菩薩、下段の間
にはご本尊のお身代わりである「御前立ご本尊」の聖観世音菩薩のほか、
徳川家康徳川家光、公遵法親王などの護持仏であった観音像が安置され
ている。御宮殿の前面には「お戸帳」と呼ばれる、美しい刺繍を施した布
が掛けられている。
 御宮殿の左右には梵天帝釈天の立像が安置されており、ご本尊の脇侍
として内陣右奥に不動明王、左奥に愛染明王が祀られている。
また、御宮殿背後の裏堂の中央には観世音菩薩( 通称:裏観音 )が安置
されている。


   
   天井絵
  三面の大きな絵は、中央が川端龍子画「龍之図」、左右が堂本印象画
  「天人之図」「散華之図」で。慶安の旧本堂にも「天人之図」が描か
  れていました。江戸時代の参拝者は天井を見上げて天人にも祈願して
  いたようで、「 いろいろの 願を天人 聞き飽きる 」と川柳に詠ま
  れています。


 
 本堂裏を‥‥‥


 
 ぐるっとまわって・・・・・


       
       五重塔
  朱も鮮やかな五重塔は、昭和四十八年(1973)に再建された、鉄骨・
 鉄筋コンクリート造りの塔である。 外から見ると、五重塔は地上面から
 建っているように見えるが、実際は基壇状の建物( 塔院 )の上に建って
 いる。塔は、仏舎利を奉安したインドのストゥーパを起源とする。浅草寺
 の五重塔の最上層には、スリランカのイスルムニヤ寺院から昭和四十一年
( 1966 )に奉戴した仏舎利が納められている。
                 ( 浅草寺 境内を巡る 〔 五重塔 〕より ) 


  


       


  
  影向堂
  本堂の北西に建つ、寄棟造りの堂宇が影向堂である。現在の影向堂は、
 平成六年( 1994 )に浅草寺中興開山慈覚大師円仁さまのご生誕1200年
 を記念して建立された。影向とは、神仏が姿かたちとなって現れること
 である。 浅草寺では、観世音菩薩のお説法やご活躍に不断に協力されて
 いる仏さまを「 影向衆 」と呼び、影向堂に生れ年( 干支 )ごとの守り
 本尊八体( 影向衆 )を祀る。堂内は内陣と外陣に分かれ、内陣の須弥壇
 中央には聖観世音菩薩を祀り、その左右に千手観音、虚空蔵菩薩文殊
 菩薩、普賢菩薩勢至菩薩大日如来不動明王阿弥陀如来を祀る。
 また、外陣には浅草名所七福神の大黒天を祀っている。影向堂は当山の
 朱印所であり、参拝証としてご本尊の聖観世音菩薩と大黒天のご朱印
 お授けしている。境域には、元和四年( 1618 )に架設された石橋、青
 銅製の阿弥陀如来(元禄六年=1693)、宝篋印塔(宝暦十一年=1761)
 など古い文物が多く存在する。   ( 浅草寺 境内を巡る 〔 影向堂 〕 より ) 


        
         
         宝篋印塔( ほうきょういんとう )
   宝暦十一年( 1761 )9月建立。青銅製。高さ4.5m、基礎石を含み
  総高7.5m余り。千人近い信徒のご寄進によって建立され、明治四十年
  ( 1907 )四月二十一日に再建。「宝篋印塔( ほうきょういんとう )」
  とは、『 宝篋印陀羅尼 』という経典を収めたことに由来する仏塔で、
  日本では主に石塔婆の一つの形式として盛んに造立された。この塔に
  お参りする者は、計り知れない功徳を得るという。


  
  左 金龍権現 ・ 右 九頭龍権現。
   金龍権現
  寺伝の縁起によれば、浅草寺ご本尊観音さまのご示現にあたり、天より
 百尺ばかりの金龍が舞い降りて、その功徳を讃え観音さまをお守りしたと
 されることから、浅草寺山号を「 金龍山 」という。これにより奉安
 されたのが、この「金龍権現」である。
 このことに因み、現在、三月三月十八日と十月十八日の年十八日の2回、
 浅草寺境内にて寺舞「 金龍の舞 」が奉演されている。
   九頭龍権現
  龍神さまは、仏教をお守りし、雨を操り、われわれに五穀豊穣や福徳を
 授けてくださる。この九頭龍権現は長野県戸隠山の地主神で、昭和三十三年
( 1958 )の本堂再建にあたって、その成就を祈るべく勧請された。 現在も
 浅草寺の伽藍安穏の守護神である。


       
       銀杏が色づくと美しいでしようね。


 

 
 
 大道芸 げんごろうさんの紙芝居です、戦後を思い出します。


       


  


   


  


  


  


  


  


  


  


   


  
  浅草 六区通り


   
   伝法院通。


  
  オレンジ通り。


   


       
    浅草公会堂の角で、ふれあいどうぶつカフェのお姉さんと二羽の
    フクロウさんがお店の街頭宣伝中・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。


  


  


  


   


   


       
       路地から眺めたスカイツリーです。


  


  
 3時23分、雷門を入り 4時26分雷門前へ。
 約?時間 浅草寺とその周辺の楽しい散策でした。


  
  浅草駅へ。最後はスカイツリーへ行くそうです。