紺原地区研修ツアー ( 松江城 )  3

      紺原地区研修ツアー ( 松江城 ) 3 ( 2016-07-24 )


   


   
  国宝 松江城天守
 松江城平山城で、天守がある本丸の周辺に二ノ丸、二ノ丸下の段、
後曲輪がめぐり、南には堀を挟んで三の丸がある。
 城全体の構えは東側を正面とするが、天守自体は南向きとなっている。
天守は、彦根城犬山城と同じように附櫓を設けた複合式望楼型で、一、
二重目は大入母屋屋根で前面下見板張り、望楼部と附櫓も一部白漆喰で
あるが窓廻りの木部は全て黒塗りで、黒を基調とした天守である。
 全国に現存する12天守の一つで、天守の平面規模では2番目、高さでは
3番目、古さでは5番目である ( 国宝・重要文化財建造物目録/文化庁 ) 。
昭和10年に国宝に指定され、昭和25年には文化財保護法の制定により
重要文化財と改称されたが、平成27年7月8日、国宝に再指定された。
明治の始め、全国の城は殆んど取り壊されたが、松江天守は地元の豪農
勝部本右衛門、旧松江藩士高城権八ら有志の奔走によって山陰で唯一
保存され、松江のシンボルとして親しまれている。
                    国宝 松江城 パンフレットより


   
   左、三の丸 ( 現 島根県庁 ) と 右、二の丸 。
   その間に三の丸と二の丸を繋ぐ千鳥橋 ( お廊下橋 ) 。


   


     
     14:30 大手前駐車場到着。


   
   大手門木戸門跡へ。


   
「 史跡 松江城 」 ・ 「 国宝 松江城 」の石標。        馬留跡。


   
   上、復元された二の丸の櫓。 下、外曲輪 ( 馬留 ) 。


     


   


   
   大手門跡。



 江戸時代の絵図 文献資料によると、長さ8間
( 14.5m ) 巾3間半 ( 6.4m ) のしゃちほこを
付けた大きな門で、防御の要となる門でした。
発掘調査によると地下50mの面に70〜80cm
角の加工した礎石と、雨落溝が発見され、
 資料とよくがっちしていることもわかりました。
また、黒瓦質のしゃちほこの破片も出土しました。


    
    観光案内所 ( WC ) ・ 茶店


   
   外曲輪 ( 二ノ丸下の段 )


    


    
    本丸へ。


  
  風船侍のパフォーマンス。


   
   石垣に刻まれた記号。  


         
         分銅紋 ( 堀尾家の家紋 ) 


   
   三ノ門跡。


   
   二之丸地区解説版。     ⇒ 解説版 拡大


   
   二ノ門跡。


   


   
   一ノ門。


    
    城山公園管理事務所 ( 登閣入場券売り場 )


  
  国宝 松江城天守
建築年代は 慶長16 ( 1611 ) 年。 天守は、附櫓を加えた複合天守で、外観5層
内部は6階である。壁の大部分は、黒く塗った雨覆板( 下見板張り )でおおわれ、
実戦本位で安定感のある武骨な体裁に、桃山風の壮重雄大な手法をみることが
できます。


   
   天守台の牛蒡積み石垣と下見板張り
 牛蒡(ごぼう)積み・・・石の大きな部分を内に、小さな面を表に出して、一見
粗雑にみえるが、石組にしてはもっとも頑丈な積み方。
下見板張り ( したみいたばり )・・・・・姫路城や彦根城のような塗籠造り( 白壁 )は
少なく、その大部分が、黒く厚い雨覆板でおおわれている

 望楼式 ( ぼうろうしき ) 
 天守閣の起源の一つは四方を展望できる望楼である。
五層の最上階 「 天狗の間 」は手すりを巡らし、壁のない 360度展望のきく望楼で、
展望台・司令塔の役目を持つている。 

 入母屋破風 ( 千鳥破風 )
 外観は重箱造りの二重櫓の上に3階建ての櫓を載せたようなもので、3重目の
南北面に入母屋屋根の出窓をつけている。千鳥が羽根をひろげたような三角形の
屋根をいい、天守の美観を構成する重要な部分


    
    附櫓 ( つけやぐら )
 天守入口の防備をかたくするためにとり付けた櫓で、入口に鉄延板張りの
大戸があり、入ると枡形の小広間が二段あって侵入しにくいようになっている。


      
      大戸を入り。枡形の小広間を上がると・・・・・・・・・・


    
    下駄箱が設置されています。


    
    更にもう一段上がり左に・・・・・


    
     天守閣受付・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・一気に5階の天守へ・・・・・・・


  
  五階
 松江城の特色の一つは、内部から四方を展望できる望楼式で、現存する天守の中
でも数少ないものです。 ( 天守最上階の外側に回縁 ( めぐりえん ) を設けたものが多い )
 最上階は 「 天狗の間 」 と呼ばれ、戦いの時は城主が全軍の指揮をとるところです。
 東西 9.64 m、南北 7.72 m、面積 74.4 ? あり、中央の間は 24 畳あります。
内縁界 ( うちえんかい ) 鴨居敷居が入れてあり長押 ( なげし ) などが打ってあった痕跡が
なく、創建当初から、きわめて簡素な造りであったことがうかがえます。


  
  宍道湖(しんじこ)は島根県北東部に位置し、東西約17km、南北約6km、
  周囲長47kmの横に長い長方形で、面積は日本国内で7番目の大きさです。


  
  正面の建物は 「 松江歴史館」


  
  少し前に楽しんだ 松江堀川巡りの北堀川と北堀橋が見えました。


  


  


  


  


  


  


  
  松江堀川ふれあい広場・昼食をいただいた地ビール館が見えます。


  


    


    


   


   


          
          桐の階段。
 板の厚さ約 10 cm、階段の幅 1.6 m で1階から4階の各階の間に設けてある。
階段を引き上げたり、放火防腐のために桐を使ったもので他の城では見られない
特殊なものである。


   


   


   
               「 松平直政公初陣之像 」


   


    
    総面。
総面は 目、鼻、口の開口部を除いて顔全体と 喉をすっぽり覆うので半首、頬当、喉輪の
三種の面具をつけたのと同じ防禦となり、室町時代前期に出現したと考えられる。
当時としては非常に高価なもので 一部の高級武将のみが用いた。     説明書きより


    
    兜。
 兜は 甲冑一領の中で最も代表的なものであり、最も着用者の性格をあらわしたものです。
古代より戦闘防具として変化発達をしつつも、日本人独特の美意識がにじみ出るように
一つ一つ全部手作りで作成されて 世界に比類のない芸術性豊かな兜が時代の要求に応じて
作られて参りました。
 現在でも五月の節句には男児の勇気と健康を願い鯉のぼりを立て床の間には兜が飾られる
ことが多くめでたいものとされています。             兜 説明書きより


   


   
   地階(穴蔵の間)へ。
地階の塩蔵。慶長初期の築造法で長期戦や、ろう城の場合も考え、ここに米や塩など
食料物資を貯蔵した。

   井戸
丸い桶のようなものは、深さ24mの自然石積みの円形井戸で、飲料水が得られた。


   
両側の柱に祈祷札・・・・・模擬札を使って打ち付け位置を再現しています


    


     
     鯱
  天守第5層大棟の東西にとりつけてあったもので、松厚板箱さし造り、
  銅板張り、高さ六尺八寸五分 ( 2.08 メートル ) である。
  現在のものは昭和三十年天守修理完成と共に新しいものと取り換えた。


   


   


   
   本丸より、外曲輪 ( 二ノ丸下の段 ) 米蔵跡。


   
   本丸より、 二之丸 ( 御広間跡 ) 太鼓櫓の方向。


   
   武具櫓。


    
    休憩所 ( ご自由にお休みくださいと書かれています )


   
   松江神社。
松江城天守は、慶長16(1611) 年完成と言われていたものの、それを証明するはずの
「祈祷札(きとうふだ)」は、昭和12年7月以降、行方が長らく不明になっていました。
その祈祷札が、市職員により 平成24年5月、松江城二之丸にある松江神社で偶然発見。
2枚の祈祷札には「慶長拾六年正月吉祥日」などの文字があり、天守の建築年代が明らかに
なったことが、国宝指定の決め手のひとつとなりました。
祈祷札は、建物が完成した際の祈祷の儀式に使われたもの。今回の国宝指定では天守
他に、発見された2枚の祈祷札や築城時に地祭りのため礎石の下に埋められていた「玉石」
など9点も、貴重な資料としてあわせて国宝に指定されました。


   
   興雲閣・・・・・松江城二ノ丸に建つ明治建築の洋館。


          
 興雲閣の貴顕室 興雲閣は、松江市松江市工芸品陳列所として建てた建物です。
明治35年(1902)12月に着工し、翌36年(1903)9月に完成しました。 当初、明治天皇
行在所に使用する目的でつくられたため、装飾 ・ 彫刻を多く用いた華麗な 仕上げと
なっています。 結果的には明治天皇巡幸は実現しませんでしたが、 明治40年(1907)、
皇太子嘉仁親王( のちの大正天皇 )の山陰道行啓にあたって、同年5月22日から
25日まで御旅館となり、迎賓館としての役割を果たしました。
その後、明治45(1912)年に正面の階段を奥に移動するなどの改修が行われ、松江市
の公的な歓迎所として、また、各種の展覧会場・会合に使用されました。
昭和48年( 1973 )からは「松江郷土館」として活用してきましたが、平成23 ( 2011 ) 年
3月に閉館し、階段室を移設して現在の形態となった明治45年に復原( ふくげん )すると
ともに、建物そのものの持つ歴史と魅力を生かした新たな活用のため、平成25年度から
平成27年度にかけて保存修理工事を行う。


   
   井戸。


            
            つるべ ( 釣瓶 )


   
   中櫓


    
    太鼓櫓。    


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   このあたりの石垣にハートの形の石があるらしいのですが・・・・・・・❔
   見つけることが出来ませんでした残念 !!


   
   大手前駐車場へ。


   
   松江城・堀川巡りと、時間的にはちょっとハードでしたが とっても楽しい
   愛媛県から、島根県への研修ツアーでした。

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