四国八十八ヶ所 第二十四番札所 室戸山 明星院 最御崎寺
「修行の道場」とされる土佐最初の道場。かって無名の青年だった弘法大師は、ここ室戸岬で荒修行を行い、厳しい修行を経て悟りを開いたとされ、多くの不思議な伝説が残っています。青年大師 ゆかりの地にある 最御崎寺は、「東寺」の愛称で親しまれています。
午前6時30分宿で朝食をいただき、6時53分、宿を発ち 国道55号ハイビスカス通りから 室戸スカイラインを登り 午前7時、 最御崎( ほつみさき )寺 駐車場に着く。 最御岬寺参道を歩き「仁王門 」へ。 じいちゃんは左側の石段を上ってしまいました。
仁王門の手前 右側には岩見重太郎の塚。 仁王門を入ると右手には NHK除夜の鐘で知られる鐘楼堂。境内には 「( 空海の七不思議 ) 鐘石」 じいちゃんも 叩いてみる様です。仁王門から真っ直ぐ進むと 、一番奥にどっしりとした「本堂」 。一段下、左手前に「大師堂」 本堂、大師堂と参拝を終え、納経所を後に、7時52分、次の札所 別格第四番鯖大師へ。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
別格二十霊場 第四番 札所 八坂山 鯖大師本坊
「鯖大師本坊縁起」1200年程昔のこと、お大師様が お四国をお開きに廻られた折、この地が聖地であることを悟り、ご修行されました。ある朝通りかかった馬子に荷積みの塩鯖を乞われましたが、口汚くののしられ、ことわられました。馬子が馬引坂まで来た時、馬が急に苦しみだし、先程の坊様が お大師様だと気付いた馬子は鯖を持ってお詫びし、馬の病気を治してくれるよう頼みました。お大師様が 御加持水を与えると、馬はたちまち元気になり、お大師様は八坂八浜の法生島で塩鯖を お加持すると生きかえって泳いでいつたそうです。そこで仏の心を起こした馬子は、この地に庵をたて古今来世まで人々の救いの霊場としました。
国道55号線を海岸沿いに 幾つものトンネルや橋を渡り 徳島県海部郡海陽町の鯖大師へ。 午前8時51分、駐車場に着く。 本坊手前 駐車場広場 中央の 「馬頭観世音菩薩」を祀る、「護摩堂」 「水かけ地蔵尊」 「交通安全 修行大師」を参拝、 第四番札所 鯖大師本坊へ、本堂は大勢の参拝者です。 お砂踏み修行道場・不動洞、 不動洞の中 を ぐるりっと一まわり 般若心経のお経を安置する 「多宝塔」、 鯖を3年絶って祈願する鯖大師。 納経を済ませて、9時29分、次の札所 薬王寺へ。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
四国八十八ヶ所 第二十三番札所 医王山 無量寿院 薬王寺
寺伝によると 神亀三年 ( 726年 ) 聖武天皇の勅願により 行基が創建したという。弘仁六年 ( 165年 ) には平城上皇の勅命によって 空海 ( 弘法大師 ) が本尊として薬師如来を彫り再興したとされています。 全国から多くの人が厄払いに訪れるほど有名な厄除寺。
午前9時55分、仁王門左の駐車場に着く。 「仁王門」 を入り 左に進むと 「女厄坂33段」 「男厄坂41段」 を上がったところにある 「本堂」 で参拝 「後ろ向き薬師が祀られている裏側」 「大師堂」 「地蔵堂」 で参拝、境内からは 美しい日和佐の景観が望めます。
「後ろ向き薬師」の由来・・・文冶四年 ( 1188 ) 火災により 堂塔を焼失、この時に本尊は 奥の院の玉厨子山に自ら飛んで焼失を逃れたという伝説がある。その後、後醍醐天皇により堂塔が再建され、本尊が新たに彫られたが、元の本尊もこの時に飛んで帰り 後ろ向きに 厨子に入り自ら厨子を閉じたとされ「後ろ向き薬師」と称される。元の本尊は秘仏となった。このため本尊が二体あります。
本堂の右手にある 「還暦坂61段」 を 上ると 高さ29mの 「瑜祇塔 ( ゆぎとう ) 」 があります。拝観料100円、本当に拝観したかったのですが、下の女坂手前の参道で、歩けなくなった じいちゃんが駐車場で待っているので急いで 「納経所」へ、10時38分次の札所へ。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
四国八十八ヶ所 第二十二番札所 白水山 医王院 平等寺
この地で修行をしていた弘法大師が、ある日 空中に現れた梵字が薬師如来に変わる光景を観た。そこで加持水を求めた大師が井戸を掘ると乳白色の水が湧き出て来たという。この井戸は現在も開運鏡の井戸として本堂石段の左側にあり万病に効く「弘法霊水」として知られています。
8時2分、平等寺駐車場に着く、歩くと足の痛いじいちゃんを置いて 一人で二人り分のロウソクとお線香とお賽銭を手に、 「仁王門」 を入ります。 仁王門をはしめ、 「本堂」 「大師堂」 「遇茶堂・納経所」といたる所を五色の幕が飾っています。 「天井絵」 の描かれている本堂前は 様々な奉納でいっぱいです。 次の札所は 2011年5月2日、四国曼荼羅霊場 第八十七番 札所 正光寺として参拝。 11時28分、これから、四国三十六不動霊場 第十四札所で 正光寺へ向かいます。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
四国三十六不動霊場 第十四番札所 ( 華不動 ) 向栄山 正光寺
剣山連峰の水を集めた那賀川の中流に位置し、深山霊渓に、重層造りの鐘楼門を構える。 寺伝によると、平安の昔 弘法大師が 阿波の大龍ヶ岳に登り、修行の砌当地に堂塔を建立。降魔退散、大龍降伏の祈願を込められた不動尊を安置して衆生済度と往来の安全を祈念されました。この古事により、交通安全に霊験が有り遠近の信仰を集めています。
ジグザグ道でアップダウンの続く県道291号線を通り、11時55分、那賀郡にある 第14番 ( 華不動 ) の正光寺駐車場に着きました。ここも 一人で参拝することに、仁王門 ( 鐘楼門 ) 石段上り口 右側、新しい手水場には、ハンドドライヤーか設置されています。鐘楼門で鐘を撞き、石段を上ると美しい庭園、その左に「本堂」 その横に納経所。不動堂は本堂から回廊で繋がり庭園の右奥に観音堂と棟続きで建っています 曼荼羅の納経帳には朱印をいただき、三十六不動の納経は インダーで綴じ、胸飾守の「童子玉」を受け。12時29分、太龍寺 ロープウェイ 鷲の里 山麓駅へ向かいます。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
四国八十八ヶ所第二十一番札所 舎心山 常住院 太龍寺
第50代桓武天皇の勅願によって開かれた寺で。弘法大師が自ら刻まれた虚空蔵菩薩が御本尊。弘法大師が十九歳の時に修行を行い、室戸岬と並んで青年時代の思想形成に大きな影響を与えた場所としても知られる。かって阿波三大難所と呼ばれましたが、現在では ロープウェイが開通しています。 山麓駅から山門まで約10分。13:00時出発の便に乗る。 じいちゃんは 足が痛いと言うので下で待っています。
ゴンドラからの眺めは素晴らしく那賀川の美しい流れ等、中間辺りで降りて来るゴンドラに手を振る ( あちらも手を振ってるよ ) あっという間に遠おざかって行きました。
左の写真これは何でしょう 拡大 右は 大龍寺南舎心嶽の空海像、若き空海が「虚空蔵求聞持法」虚空蔵経の真言100万遍唱えた場所と言われています。 拡大
仮本堂。山頂駅に着き、本堂上り口石段下に立ち入り禁止の札が掛っています !! 台風の被害で本堂を修復工事中です 。鐘楼門から上り 仮本堂で参拝。工事中の本堂に手を合わすお遍路さんも。 多宝塔を左に見ながら、高野山奥の院と同様「御廟の橋」を渡って 大師堂へ。大師堂回廊を右回りに裏手に 御廟が配置され、手を合わすお遍路さん。 大師堂左石段を上り多宝塔へ正面石段を下り、護摩堂、方丈廊下の「龍天井」を拝観後、 納経所へ。納経を済ませて2時10分前 山頂駅売店で お接待のお茶を頂く。 鷲の里山麓駅で首を長〜くして待っていた じいちゃん ( お昼はカレーうどんを食べたそうです ) 2時18分次の札所 鶴林寺へ向かいます。
2009年5月10日参拝当時の 「大龍寺本堂前」 「在りし日の本堂」 「本堂拝殿」
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
四国八十八ヶ所第二十番札所 霊鷲山 宝珠院 鶴林寺
金色に輝く地蔵菩薩を守護しながら舞い降りた雄雌の白鶴が、修法満した弘法大師の前に現れたと言う伝説から鶴林寺と名付けられたと言われている。この地蔵菩薩は現在国宝に指定。この寺の縁起にちなみ今も本堂を守る様に一対の鶴の像が置かれています。
2時30分、道幅の狭い山道を上り駐車場に。標高の高い静寂に包まれた参道を仁王門へ、仁王門の左右には運慶作と伝えられる迫力のある仁王像が安置されています。 仁王門 参道脇には石仏やお地蔵様。本堂に続く石段の脇には護摩堂 ( 不動堂 ) その隣に大師堂
本堂の裏側には弘坊大師御開創遺跡「御本尊降臨之杉」。 三重の塔と地蔵菩薩。 午後3時3分、納経を終え駐車場に着く。 自転車で登って来た男性と出会う、 自動車でも大変な坂道 元気な方も居るものです。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
四国二十霊場 第三番札所 慈眼寺 ( 穴禅定の寺 )
慈眼寺縁起、大師十九歳の御年、世の中の人々の生活苦、病苦及び一切苦厄を除くために修行中、夢のお告げにより不思議な鍾乳洞を発見。洞窟の邪気祓いのため護摩を焚いて洞窟を清め、悪魔悪竜を洞窟の壁に閉じ込め末代衆生のため結縁潅頂の秘法を修せられた行場として崇信者が多いそうです。
午後3時45分 御来光 潅頂之瀧を眺めながら,3時50分、四国第二十番 鶴林寺奥の院 別格霊場第三番 慈眼寺に着く。一人で 石門を入り 正面の「大師堂」 「不動堂」を参拝 慈眼寺境内 鐘楼と不動堂の間の坂道上ると、本堂・穴禅定へ行けるのです 穴禅定受付時間は7時〜3時まで残念ながら少々時間が過ぎていました。1991年4月9日バスツアーの時は穴禅定に ( あの頃は まだ 岩の間を通り抜ける事が出来ましたが、現在の状況では体重増加で無理かも !! ) お参りしました。 穴禅定への道 パンフレット 穴禅定
鐘楼の上 穴禅定上り口にある 藤棚のある休憩所。
常夜燈の先端に大きな電球が付いています。
午後4時13分、納経を終え、もう一ヶ寺、第十九番 立江寺へ、間に合うか 合わないか ?
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
四国八十八ヶ所 第十九番札所 橋池山 摩尼院 立江寺
行基が光明皇后の安産を祈願して開基したことから、境内には子授地蔵尊があり、「子安地蔵」や「立江の地蔵さん」と呼ばれ親しまれています。また、阿波の関所寺で、昔悪行を働いた女が地蔵尊を拝もうとすると、鐘の尾に髪の毛を巻き上げられたと言う伝説がある。
近くの有料駐車場に車を止め、4時55分、山門から見える納経所 ( 寺務所 ) へ滑り込み セーフ、あわてる私に、お坊さんも笑っておられました。
足が痛かった じいちゃんも、今日最後の札所第十九番 立江寺は 街中にあり歩くところも少ないので 仁王門から 参拝に。最後は二人で 「本堂」 「本堂の天井画」 「大師堂」 クックックッと鳩の鳴き声に振り返るえると小さなお堂に !! 「黒髪堂」 「立江地蔵尊」 「地蔵菩薩」 「お地蔵さん」と境内には沢山のお地蔵様が祀られていました。
お参りも そこそこに ( 本当は 落ち着いてゆ〜っくりとお参りしたいものです ) 5時18分 今日最後の札所 第十九番 立江寺を後にする。
昨日、今治を出発 高速で、高知県の第三十番善楽寺〜津照寺まで9ヶ寺、今日は 第二十四番札所 最御崎寺から徳島県の第十九番札所 立江寺まで 9ヶ寺、もう そろそろガソリンの心配が・・・・・・だいぶん 走りましたが 中々 給油所が見つかりません。
午後5時44分、吉野川バイパスを走り、5時47分 徳島 ICから 高速にのる。
午後6時33分、やっと吉野川サービスエリアのスタンドで給油。
午後7時28分、今治湯ノ浦 IC を出て 我が家に向かいます。( 急かされるので、今日も 私一人 お昼抜きでした、これは内緒で〜す )