野間馬ハイランド・河津桜・散歩
天気予報では明日から雨!・・・20日はじいちゃんの月命日とJAのコンサートとが重なったので、早めに お花 ( シキビ ) を買いに原付きバイクで今治へ行った帰り、野間馬ハイランドへ寄り道。河津桜の様子を見てきました。
今年は花の咲くのも遅く例年の様な華やかさがありません、次から次へと一眼レフカメラと三脚を持った人がメジロが来るのを待っていますメジロは賢い鳥なので蜜の少ない花には寄って来ないのか周期的に群を成して飛んでくるメジロをまだ見たことが無いそうです。飛んでくるのはショウビタキだけのようです一羽づつですが近くまで来て新芽を齧ったりしながら遊び飽きたら飛んで行ってしまいました。
野間馬ハイランド大型バス入口
マスコットの野間馬さんの階段を上り
案内板板
左にちびっこ広場
葉ボタンが勢いよく咲いています。
河津桜園へ。
河津桜 ( かわづざくら )
寒緋桜 ( かんひざくら ) と早咲き大島桜の 自然交配種と考えられ、伊豆半島静岡県加茂郡河津町に原木がある早咲きの桜です。花は中輪、一重咲きで濃いピンクをしてり、河津町では1月下旬頃からほころび始めます。 2月には咲き始め、本州では開花期が一番早いと言われています。
この桜の木は、昭和31年度美須賀中学校卒業生一同のご尽力により、野間馬ハイランドの発展を願って、今治出身で河津町在住の 岡秀彦氏から寄贈されたものです。
ふるさとの宝である野間馬をこよなく愛する皆様方の暖かいお気持ちに対し、改めて感謝の意を表します。
平成13年2月 吉日 野間馬保存会会長 繁信順一
逆光の所為もありますが花に勢いが感じられません・・・・・・・・・!
何人かの方が三脚を立てメジロの群れを待っていいます。私もしばらく待ちましたが諦めて園内散策に。
まきば館前の乗馬広場。 乗馬は (土 )・( 日 ) ( 祝日 ) のみ。
第2放牧場
裏に回ってみました。
お馬さんは食事中
第2放牧場より ( 河津桜にメジロが来たかどうか気になりまきば館横へ引き返す )
メジロは朝から一度も来なかったそうです。
飛んでくるのはショウビタキだけのようです。
斜面を登って眺めましたが今年はいつもと違い淋しく感じられます。
管理事務所右側の第1放牧場にお馬さんは出ていなかったので左側の餌場へ・・・
お食事中でした。
野 間 馬 の 記
野間馬は江戸時代この乃万地方でつくられた日本で一番小型の馬です。特質はおとなしくてかしこく力もちです。 女の人や子供たちにも容易にあつかえるので、愛媛県の山間部や瀬戸の島々の農家で数多く飼われていました。ところが、明治の中頃ごろから農用馬も軍馬にも使える大型馬にするための政策がとられ、野間馬はだんだん減ってゆきました。太平洋戦争後は馬に代わって農機具が普及し物を運ぶにも自動車が使われるようになり、やがて野間馬はほとんど目にふれることがなくなりました。まさに絶滅寸前のこの馬を救ったのが、日本の伝統文化を大切にしようと心がけている松山の長岡悟先生でした。先生はこの可愛い野間馬を後世に残しておこうと考えられ 昭和三十四年 愛媛県をくまなく歩いて野間馬を集められました。 それから十数年苦労して繁殖に成功された後、昭和五十三年に野間馬のふるさとである今治市へこの貴重な馬四頭を寄贈されました。今治市ではさっそく野間馬保存会をつくり、地域のみんなで力を合わせて保存育成に取り組んできました。こうして野間馬は絶滅の危機からまぬがれ今や郷土の文化財として、また観光資源としても注目されています。野間馬ハイランドが整備されたことを記念して碑を建て、長岡悟先生をはじめ関係者の皆さんに深く感謝します。
平成九年四月吉日
野間馬保存会 会長 今治市長 岡島一夫
矢印に沿って伝説の赤岩へ。
日中でも一人で歩くのは怖い~。
赤 岩 の 化 け 物 伝 説
昔、「 銀さん 」という人がいました 。ある朝、となり村の親戚の建てまえにお祝いの品 ( 米、酒、鯛 ) を持って行こうと、この赤岩のあたりを通っていると急に眠気がでてきました。 そして 目の前に何か正体のはっきりしない化け物が現れました。銀さんは、もう親戚の近くまで来ているはずなのに、いつまでたっても赤岩のあたりの山の中をうろうろするばかりで、とうとう夕方になってしまい結局いつの間にか自分の家に帰って来てしまいました。
今でこそ、明るくなっていますが、昔は木がうっそうと茂り、狸や狐が、大入道や娘さんに化けて出るなど、人を化かすには格好の地であったようです。
この赤岩が見方にによっては人間の横顔のように見えることから、このような伝説ができあがったのではないでしょうか。
野間馬ハイランド
ここで行き止まり ( 昔は道があったようです )