河津桜の花が咲き始めました
野間馬ハイランド
まきば館横斜面へ
河津桜 ( かわづざくら )
寒緋桜 ( かんひざくら ) と早咲き大島桜の自然交配種と考えられ、伊豆半島静岡県
加茂郡河津町に原木がある早咲きの桜です。花は中輪、一重咲きで濃いピンクをし
ており、河津町では1月下旬頃からほころび始めます。 2月には咲き始め、本州
では開花期が一番早いと言われています。
この桜の木は、昭和31年度美須賀中学校卒業生一同のご尽力により、野間馬ふるさ
との宝である野間馬をこよなく愛する皆様方の暖かいお気持ちに対し、改めて感謝
の意を表します。
平成13年2月 吉日 野間馬保存会会長 繁信順一
( 野間馬ハイランド・河津桜案内板より )
まだメジロが来るまでは咲いていないようです。
まきば館2階へ ( 1階の売店は締まっています )
野間馬 ものしり教室
野 間 馬 の 紹 介
野間馬は、日本に昔から澄んでいる馬 ( 日本在来馬 ) の中で一番小さい馬です。
その歴史は、江戸時代 ( 1635年 ) にさかのぼり、今治の殿様 ( 久松定房 ) が、兄の
松山のお殿様 ( 久松定行) に命令され、瀬戸内海に浮かぶ馬島で、合戦 ( 戦争 )に使う
馬を育てることになりました。しかし、病気やえさ不足のため、長続きしませんでし
た。そこで、馬を当時の松山領の野間郡 ( 現在のハイランドがある周辺地域 ) の農家
で育ててもらい、体高が四尺 ( 約121㎝ ) より高い馬は買い取り、それより低い馬は、
農家に無料で払い下げることにしました。こうして農家では体高の低い馬どうしの子
供が生まれ、今のような小さい野間馬が出来上がったのではないかと言われています。
野間馬は、おとなしい性格でそまつな食べ物でもよく働き、丈夫で力持だったので、
田や畑を耕したり荷物を運んだりするのに大変役立っていました。
しかし、明治時代になると、国が軍馬 ( 戦争に使う馬 ) を育てるために小さい馬を
育てることを禁止したり、昭和になって農業機械や自動車が普及したためその数は年々
減っていきました。 昭和30年代になると今治市には1頭も居なくなり、やがて日本中
でも6頭だけとなってしまいました。そのうちの4頭を守り育てていたのが松山市の
長岡悟さんでした。長岡さんは昭和53年に野間馬のふる里である今治市に、この貴重な
4頭を寄付してくれました。今治市では、さっそく「 野間馬保存会 」を作りこれらの
馬を「 ふるさとの宝 」として地域のみんなで大切に育て増やしてきました。
野間馬は、昭和60年10月に日本馬事協会より全国で8番目の日本在来馬に認められ
昭和63年4月には今治市の天然記念物に指定されています。
まきば館ベランダからの風景
手前、乗馬広場。向う側、第2放牧場。
くるっと回って階下へ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
乗馬広場
第2放牧場
第2放牧場裏の高台へ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
下、わんぱく広場
階段を登ると伝説の赤岩に行けますが・・・・・・・・・・・・。
今日はここからわんぱく広場に下りて帰ります。
管理事務所前 葉ボタンの花壇
にこにこ広場
第1放牧場
第1放牧場
ちびっこ広場前のピラカンサの実
ログハウス
のま馬さんのマンホール