歩こう会・重茂山登山

       大西町歩こう会・重茂山登山


 
 重茂山は、大西町内から見える台形の形をした山で国道からでもよくわかり見る
方向によってはいろいろな形に見え、東側から見るときれいな円柱型に見えます。
その立地のよさから戦国時代には山城が築かれていた。玉川との境にあり、登山
道も大西側と玉川側にあります。
  こちらは ⇒ 2013年10月1日、玉川側から重茂山・ふあれあいの森へ


    
    9:00  衣黒グランド集合。  
         資料〔 重茂山 294.4 〕 が配布され、説明がありました。


    
    準備体操。


    
    9:13  衣黒グランド出発。 正面に重茂山が見えます。


    
    宮脇・衣黒団地を通り過ぎ → 児童遊園地 → サイドリ池。


    
    サイドリ池。


    
    宮脇・東明寺。


    
    9:22  諏訪神社まえへ。  
  諏訪神社 ( 鳥居・注連石・神門 ) と続き石段を登ると諏訪神社境内に。
諏訪神社の左手に車が1台やっと通れる道があります。大西側の重茂山登り口です。


          神門(随身門) に祀られている随身像。
   
左大臣。                       左守衛。


   
右大臣。                       右守衛。


  
  諏訪神社拝殿。
延元5年 ( 1340 ) 信濃国諏訪大明神を勧請しました。正平14年 ( 1359 ) 南朝
河野氏諏訪神社に参篭 ( さんろう ) したあと大勝利をおさめたため、河野氏
尊崇があつくなりました。  明治4年 ( 1871 ) 官命により 大井八幡大神社に合祀
しましたが、地元の氏子たちの願いにより、明治11年官許を得て還座しました。


    
    山本雲渓作 「 仁田四郎忠常と猪 」の絵馬が奉納されています。


    
    諏訪神社拝殿後ろの石段をのぼると・・・・・・。


    
    諏訪神社


    
    石段を降りて神門を右に曲がると重茂山へ登る道があります。


    
    9:29  重茂城跡大西側登り口です。


    
    軽四トラックが追い越して行きました。


    
    右折して茂みの中へ・・・・・・・・・・。


    
    茂みを出ると、正面に重茂山が現れました。


   
   4tトラックが Uターンをして茂みの中へ。


   
   茂みの中を出たり入ったりしながら・・・・・・・・・


   
   重茂山に少しずつ近ずいているようです。


 
 道の右側、山之内の方向です。


   
   

 
 随分登りました。


   


   


   
   シャリンシャリンシャリン、カン高い音が響いてきます。


   
軽四トラック乗っていた、ご夫婦の草刈り機の音でした。
有難うございますお陰様で気持ちよく登ることができました。


   
   森林に入ると左側に広い駐車場がありました。


    
    9:57  休憩。
 駐車場のすぐ上に案内板があり重茂城跡ふれあいの森登山道は右に600m狭い
山道をのぼります。


    
    愛媛森林八十八ヶ所  ・ 六十二番 重茂城跡ふれあいの森


    


    
    10:05  出発。


    


   


    


    


    


    


    


    
    狭い道幅で急斜面、足を滑らせたら大変です。


    
    段差があるので気をつけて・・・・・・・・・


    


    
    宮脇、山之内、与和木 ( 玉川町 ) の祠があります。


    
    10:32  やっと山頂に辿り着く。


    


    


   


  
  霞がかかって遠くがぼんやりしています残念。


   


 


   


 
 10:47  木洩れ日の下で記念写真 。


   


   
        重 茂 城 跡  重茂山・重門山城 ( 十文字山城 ) 跡
  この城は中世の山城で千国時代西側の重門城は、高田左衛門尉通成の城で、
 東側の重茂山城は、岡部十郎国道の城で、二将が仲良く守っていた居城といわれ
 ている。 天正十三年 ( 1585 ) 豊臣秀吉四国征伐の命を受け、伊予に侵攻して
 来た小早川隆景軍に両武将共降伏した。後、両武将共旧野間村日吉神社に祭ら
 れている。その近くの巨大な二基の五輪塔 ( 国指定重要文化財 ) は岡部十郎夫妻の
 墓と伝えられており、同じ旧野間村厳島神社の裏山には、高田左衛門尉通成夫妻
 の五輪供養塔がある。                  ( 重茂山 標高 294 m )


   


         
         頂上の鐘。


   
   10:53  頂上の鐘を撞きます。


   
   木を敷いた急斜面の階段をおります。


   


    
    階段に落ち葉が積もっているので滑らないように気をつけて・・・・・


    
    階段を下りると見覚えのあるところに・・・・・・・・・・・・・
    登りは左側、重茂城跡ふれあいの森アーチを入りました。


    
    明堂さんへのルートを降りて行きます。


    


    
    上の方から待って下さいと声がかかりみんなが下りてくるのを待ちます。


   


    


    


   


    
    最後の難所、さてこの段差をどうやって降りようか ・・・・・・・・・・・・!!


    
    明堂さんの裏に出ます。


    
            ヤ マ モ モ  ( 町指定天然記念物 )
      太 さ ( 根廻り ) ・・・ 3.6 メートル
      高 さ ・・・・・・・・・・・・ 13.5メートル
      樹 齢 ・・・・・・・・・・・・ 300年 ( 推定 )
    このヤマモモは、根幹より3本にわかれ樹勢いよく枝を伸ばし大きく
   茂っており、八股狸が住んでいると伝えられている。
    このお堂は、後醍醐天皇の皇子尊真親王の菩提を弔うために、聖
   観世音菩薩を祭っており、八股狸伝説とともにこの辺りの信仰の対象
   として 「 明堂さん 」 と呼ばれ親しまれている。
   ヤマモモは、付近の山に数多く繁茂しているが、これは近世備荒樹木
   として植樹されたものと考えられ、このヤマモモもその内の一本と思
   われる。         
    平成3年3月               大西町教育委員会

    
    
    八股狸が住んでいると伝えられている ヤマモモの大木。



        
        八股狸大明神。
「 明堂八股狸 」 は昭和の初期 万病治療の八股大明神 ( お狸さん・明堂さん ) と
して 多くの人々の信仰を集めました。 お狸さんの信仰の起こりは山之内明堂の
地のヤマモモの木に八股狸が住むと云われ、この狸を地元の人達が信仰するように
なったことに由来する。昭和9年から10年頃にはピークを迎え 関西・四国・九州遠くは
北海道から、多い日には一万人以上の参詣者があったと伝えられる。町内の海岸線
にはずらりとチャーター船が重なり、今治からは臨時バスが出、大西駅には急行便が
停車して大混雑しました。また海岸から明堂までの三キロにわたる参道には途切れる
ことなく参詣人が続き、道の両側には露店が建ち並び、境内には賽銭と御供物の油揚
げで溢れ、たくさんのゴミの山の中からは大金が出てくることもあったと言う。
 これほどに賑った お狸さんも、あるとき美しい四人の女性が参詣に現れて以来
パッタリと寂れてしまったそうです。彼女達が 「 明堂八股狸 」 を連れ去ってしまった
とも伝えられています。


   
   11:25  明堂さんへ。
      こちらは ⇒ 2010年2月27日、40年振りに明堂さんへ
こちらは ⇒ 2016年1月9日、大西町歩こう会で、明堂さんから奥の院おひつ岩へ。  


    
    明堂さん
 延元3年 ( 1338 ) 五醍醐天皇の子、尊真親王 ( たがざねしんのう ) がこの地で
薨去 ( こうきょ ) され、その後の戦国時代、重茂山城主の岡部十郎らが冥福を祈り
廟堂 ( びょうどう ) 建て聖観世音菩薩を祀りました。明堂は廟堂 ( びょうどう )が
なまったものと言われています。
 昭和8年頃より数年間、明堂信仰が関西一円に波及し、参拝客が押し寄せました。


    


    
    きれいに整頓された堂内には昔の面影を残す写真などが・・・・・


   
   先生方に明堂さん ( 八股狸大明神 ) が流行った頃のお話を伺いました。


   


   


    
    11:34  明堂さんを後にする。


    


    


   


    
    11:39  県道163号線へ。


   
11:40  県道を ( 道路は大きくカーブしているので近道をして ) 右に下りる。


    


   
   11:41  県道を横断します。


   


    


    


    
  この小さな小山の上には、野間郡四国八十八ヶ所第七十五番札所観音堂
 あります。 上り口近くには、秋山好古大将記念碑 ( 昭和3年建立 ) が建っており、
 日露戦争の騎兵将校として日本軍勝利に貢献し、その後 北予中学 ( 現松山北校 )
 の校長務めた秋山好古の 「 衆心和暢化乃成 」  書が刻まれています。
  ⇒ 2012年2月19日、 野間郡四国八十八ヶ所 第 七十五番札所 薬師堂参拝。


   


   
大先輩の sacikosan 83歳とは思えない健脚。


   


   


   


    


    


   


   


   


    


    


    
    12:05  全員無事に衣黒グランドに着しました。


    
    12:10  来月7月8日、新町 ( 真光寺・土岐氏の墓・古寺地蔵 ) 地区の
          集合場所駐車場についてなどの説明の後解散。
    本日の歩いた距離・・・6.5Km。  歩いた歩数・・・10287 歩でした。