第10回 西国三十三観音巡り 第二十二番 札所 補陀洛山 総持寺

      西国三十三観音巡り第 二十二番 補陀洛山 総持寺  


 
総持寺の由来 】 開基 藤原蔭陰は平安時代の役人、民部卿歌人、料理の
名手としても知られた。寺には この山蔭と 亀に まつわる創建伝説がある。
山蔭の父 高房が任地へ向かう途中、漁師に捕われている大亀を見、「 今日18日は
観音様の縁日だから 」と 言って、亀を買い取り逃がしてやった。 その日の夜、
高房の子・山蔭は、継母の計略で船から川に落とされてしまった。 父の高房は
はこれを悲しみ、観音に祈ったところ、大きな亀が、山蔭を甲羅に乗せて浮かび
上がった。この奇跡を見て、高房は信仰する観音のお陰と感謝して、仏像を刻む
事にした。それからすぐに亡くなった父の志を継いだ山蔭が、夢のお告げに従って
仏師に仏像を頼み、千日間かけて千手観音像を造った。その千日間、山蔭が自ら
料理を作ったので 「 中納言の千日料理 」と言われ この寺は料理の寺としても
知られている。こうして本尊は亀の背に乗った千手観音菩薩になっています。


 
 寺伝では元慶 3( 879 )年ころ、藤原山蔭が創建し、山蔭の三回忌の
 寛平 2( 890 )年 に伽藍が完成したとする。

 
   
総持寺は街の中にあるので近くに大型バスの駐車場が無いので途中でバスを下り
東海道本線ガード下を潜り街の中を歩いての参拝です。


   
   上に見えるのは開山堂です。
    

        
        参道上り口を入る。


   
石標。               蓮の花から・・・自動センサーの手水所。


         
         寺標も伝説の亀に乗っています。


   
   開山堂。

 
 
 山門。


   
金剛力士像。


 


 
観音堂(本堂)は織田信長により焼焦がされたが、慶長8(1603)年に豊臣秀頼が再建。


  
本尊の千手観音は秘仏(4月?5日〜21日開扉日)、亀に乗った観音様として有名。


         
          本尊・・・千手千眼観世音菩薩  
              本堂の ( 永代供養ポスターより拝借しました )
   

   


        本尊御真言・・・・・・・・おん ばざら たらま きりく



 札所等・・・西国三十三観音霊場 第二十二番札所
 名称・・・補陀洛山 総持寺( ふだらくさん そうじじ ) 
 本尊・・・千手千眼観世音菩薩
 宗派・・・高野山真言宗
 開基・・・中納言藤原山蔭
 創建・・・寛平 2 ( 890 ) 年
 所在地・・・大阪府茨木市総持寺 1-6-1
  総持寺 散華     TEL・・・072-622-3209


  


  


  


        
        賓頭盧尊者



  大師堂。



  
   鐘楼堂。

 

総持寺 金堂 ( 薬師堂 )


 
  金堂 ( 薬師堂 ) 正面


  
  金堂 ( 薬師堂 ) 内陣。


   
                    本尊 薬師如来

  

普悲観音堂。


        
                ぼけ封じ普悲観音


   
総持寺は料理信仰、包丁の寺と知られている。藤原山蔭は料理の名人と
しても知られ、膳部料理の山蔭流 ( 四条流 ) 包丁式の開祖、また日本料理
中興の祖とも言われています。   ⇒ 総持寺 包丁式の様子


        
                   包丁塚。


   
   鎮守社。


   


   
   不動堂。


 
 庭園。


   
   閻魔堂。


   


         


   
   地蔵尊


 
 街中の広々とした気持ちの良い美しいお寺でした。