第9回西国三十三観音巡り バスの旅 ( 2015-11-04 )

     第9回 西国三十三観音巡り バスの旅 ( 2015-11-04 )


   
   11月の午前5時、片山停留所は まだ真っ暗です。
   夜が明けるまで バスの中でウトウトと・・・・・・・・・・・・
   約1時間30分、新居浜駅 ( 上の写真 ) に着いた頃には明るくなっていました。


   
新居浜ICに入り 外を眺めると・・・・・・朝日を浴びた石鎚山 ?そんな訳は
ありません鉄塔が山の後に ( でもそう思ったのは私だけでは無かったようです )


     
     7時、入野 PA にて 10分間の休憩。


   
   山の稜線を越えて凄い勢いで滑り落ちる滝雲。


   


   
   7時30分、三島川之江 IC で最後の集客。


   


   
   朝靄 ? 朝霧 ? 、今日は良いお天気になりそうです。


   
   瀬戸大橋へ。


   


   
   釣り舟でしょうか。


     
     8時40分、瀬戸SAにて 10分間の休憩。


     
     10時10分、西宮名塩SAにて 10分間の休憩。


   
   10時57分、この立体交差 運転手さん本当に本当に、お疲れさまです。


   


   


   
   11時10分、バスは、京都市西京区「 ホテル京都エミナース 」前に 

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            ホテル京都 エミナースにて 昼食

   


   


           


    


      
      とっても いいお味でした。


   


   
   ホテルの向こう側は 境谷大橋停留所。 


   
   11時55分、次の札所 第二十番 善峯寺へ・・・・・・・・・・・

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   12時4分、山道にさしかかりました。


   
12時8分頃 道路の右側に「 西山宮門跡 善峯寺 」の石標と常夜燈。
12時10分、山道途中の駐車場につく。


   
12時11分、善峯橋を渡る。ジグザグで傾斜のある苔生した参道は 思ったより
体に応えました。


       西国三十三観音巡り 第二十番 西山 善峯寺
【 沿革 】善峯寺は平安中期の長元 2(1029)年 源算上人により開かれました。
源算上人は比叡山横川の恵心僧都源信)に師事して、47歳で当山に入り、
小堂に御自作の千手観音を本尊として奉安される。長元7年(1034)後一条天皇より
鎮護国家の勅願所と定められ、「良峯寺」の寺号が下賜される。
長久3年(1042)後朱雀天皇勅命により、洛東鷲尾寺の仁弘法師御作千手観音を
当山に遷して本尊とし、先の観音像を脇本尊とされる。
建久3年(1192)後鳥羽天皇より現在の「善峯寺」の宸額が下賜される。白河天皇
後花園天皇により伽藍寄進整備がなされ、後嵯峨天皇後深草天皇など皇室の
御崇敬をた。鎌倉時代には慈鎮和尚や証空上人が住職を勤め、また西山宮道覚入道
親王を始め、青蓮院門跡より多くの親王が籠居され、他にも多数の僧の入山により、
室町時代には、僧坊52に及んだが、応仁の乱により大半の坊が焼失した。その後、
江戸時代に徳川5代将軍綱吉公の生母である桂昌院を大檀那として、現存する 鐘楼・
観音堂護摩堂・鎮守社・薬師堂・経堂が復興されて、幾多の貴重な什物が寄進される。
                                        善峯寺・パンフレットより


 
 山門 ( 楼門 )
正徳6年(1716)建立、三間一戸の楼門形式のお堂。楼上の本尊文殊菩薩
脇侍二天は、現在、文殊寺宝館に奉安。楼下の金剛力士は、運慶作で
源頼朝寄進と伝えられています。


 
本堂外陣にて、お勤め。


   


    


  
広大な敷地には、国指定天然記念物の 游龍の松・白山アジサイ園の他
幾つもの見所が・・・・・・・・・・・・・・・・・残念ながら時間不足により下山。


  


  
  1時10分、次の札所 第二十一番穴太寺へ向かって出発。


    
下山途中 和歌山 西國霊場 第二番札所 紀三井寺 十一面千手観音菩薩
大仏製作所 ( 大仏師 松本明慶 ) 工房。 
            ⇒ 紀三井寺 十一面千手観音菩薩立像


         


  

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       西国三十三観音巡り 第二十一番 菩提山 穴太寺


    
    1時40分、穴太寺駐車場に着く。


   
   仁王門 ( 府登録文化財 )


   
慶雲2年、文武天皇の勅願により、大伴古磨によって、薬師如来を本尊に安置し
建立されたと伝えられる。その後、村上天皇 ( 926年〜967年 ) の時代に 貧欲で
あった郡司の宇治宮成 ( うじのみやなり ) が信心篤い妻の勧めで 仏師感世を
京より招き金色の観世音菩薩を造立します。その礼に 宮成は感世に愛馬を与え
たが、惜しくなり待ち伏せをして感世を射殺し、愛馬を取り返します。ところが家に
帰った宮成を迎えたのは、自分が放った矢が刺さり、目から赤い涙を落として
胸より赤血を流しておられた観世音菩薩でした。これは仏師の身代りとなるとともに
宮成が罪人となることも防いだ観世音菩薩の霊験であり、全ての 苦しみを受けて
くださった観世音菩薩の大慈大悲の御心を説いた縁起です。その後観世音菩薩が
宮成の夢枕にお立ちになり弓矢の傷が痛むため穴太寺薬師如来に癒してもらい
たいと願い、当寺にお堂を建て穴太観音として奉安されたと伝えられる。


   
   本堂外陣にて お勤め。


   
   青空に銀杏が映えて・・・・・・・


   


   

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        西国三十三観音巡り第 二十三番 応頂山 勝尾寺


  
  仁王門は、豊臣秀頼の再建。  


  
仁王門を入ると、弁天池に架かる「 お清め橋 」の横から霧がモクモクと・・・ !!
これは、昔から霊山として崇められてきた勝尾寺の神聖なる水を霧状にして
います。「 真ん中あたりで 」 立ち止まり、目をつぶり合掌しながら身体と心が
この神聖なる空間で清められるのを感じてください」と駒札に書かれていました。


  
勝ちダルマ収め所。

駒札には「勝ちダルマは、あれこれいろいろとお願いするのではなく、一つのお願い

ごとに対し、あなた自身が直接目を入れる大切なお守りです。願いが叶い、両目の

入った勝ちダルマは、先ず最初荒神堂に、続いて本堂において「 知らず知らずの

目の見えないところを お護りいただき有難うございました 」 と御礼をしてから、

この場所に収めてください。ご先祖や 周りの方々に感謝をしてから 一つの願い事を

終えないと、次のお願い事をしてはいけないのです。

己に勝つ事!とは己の弱さに勝つ事!このキモチの表れが「 勝ちダルマ 」なのです。

                                              合掌


  
  本堂は豊臣秀頼の再建。


   
   本堂前で お勤め。


   
   孫にお守りを。


          


  
  参拝を終え弁天池まで下りる。


   


   
本日最後の札所の参拝も無事終了。バス専用駐車場を後に愛媛県今治市へ。


   
   高速道路より 大阪モノレール 阪大病院前ステーション。


   
50年位前、主人の仕事の関係で、高速道路下の吹田市山田下と言う所に
3年間住んでいました。


   


         
         太陽の塔
1970年日本万国博覧会 ( にっぽんばんこくはくらんかい ) 通称大阪万国が
大阪府吹田の千里丘陵で開催されてから もう45年の年月が・・・・・・・・・・・
岡本太郎さんの太陽の塔まだまだ頑張っています。


   


   


   


   
   5時40分、龍野西サービスエリアで食事と休憩。


        
        肉うどん ( 7百円也 ) をいただきました。

   
6時20分、龍野西SAを出発 〜 瀬戸大橋 〜 豊浜SAにて8時か10分間休憩
8時20分、三島川之江IC到着 〜 新居浜IC 〜 8時40分〜10時30分、各地到着
10時30分、片山バス停留所に到着、バイクにて自宅へ。

    各札所の詳細は別々に編集しています。

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