第5回目 第11番 上醍醐寺

       西国三十三観音巡り第十一番 上醍醐寺 ( 2015-07-01 )


       


 
 真言宗醍醐派の総本山、醍醐寺貞観16 ( 874 ) 年に弘法大師の弟子、
理源大師・聖宝が創建した。山岳信仰の霊山であった笠取山 ( 醍醐山 ) に
登った聖宝は、白髪の老翁の姿で現れた地主神・横尾明神より、こんこんと
水 ( 醍醐水 ) が湧き出る この山を譲り受け、准胝・如意輪の両観音を刻み、
山に祀った。それが醍醐寺の始りである。
開創後、醍醐・朱雀・村上りの三代にわたる天皇の深い帰依によって山上に
薬師堂、五大堂、山下に釈迦堂、法華三昧堂五重塔などが次々に建立され
山上山下にまたがる大伽藍が完成した。通称、山上を上醍醐、山下を下醍醐
呼んでいる。以後も、皇室を始め貴族や武士の支援を得て三宝院をはじめ
諸院や種々のお堂が建立された。
しかし、長い歴史の中で何度も火災にあい、応仁・文明の乱では五重を残して
下醍醐は焼失、上醍醐も荒廃。   
ながらく復興に至らずにいたが慶長 3 ( 1598 ) 年の春、豊臣秀吉が開いた
「 醍醐の花見 」を契機に秀吉と秀頼によって金堂や三宝院、また、山上では
開山堂や如意輪堂などが再建された。
江戸時代に入ると、歴代座主が住居する三宝印が、幕府より当山派修験の
本山であると位置付けられ、一時衰退していた修験道も再び活気を取り戻す。
明治維新の「 神仏分離令 」や「 修験道廃止礼 」など数々の法難をで大打撃を
うけたが、歴代座主の尽力により、開山以来醍醐の教えは燈し続けられ現在に
至る。 平成 6 ( 1994 ) 年、ユネスコ世界文化遺産 」に登録される。


        
        西大門 ( 通称仁王門 ) 慶長 10 ( 1605 ) 年 豊臣秀頼の再建。


   
仁王像。平安後期の長承 3 ( 1134 ) 年、仏師勢増・仁増の造立。       


      
      仁王門を入ると 直ぐ右側に 伽藍受付 ( 拝観料を購入 )


   

  ↑ 拝観入場券を兼ねたパンフレット。


  ← 醍醐寺配置図。

  クリック ⇒ 醍醐寺配置図拡大



   
雨上がり、ひっそりと涼しげな ( 実は 凄〜く蒸し暑かった ) 新録の参道。
     

   
金堂 ( 国宝 ) 。醍醐天皇の御願により 延長4 ( 926 ) 年創建された。当時は
釈迦堂といわれていたが 永仁、文明年間に2度焼失。 現在の金堂は豊臣秀吉
命によって紀州 ( 和歌山県 ) 湯浅から移築が計画され、秀頼の時代慶長5 ( 1600 )
年に完成。この金堂が醍醐寺の中心のお堂であり、安置されている 薬師如来座像が
醍醐寺の本尊である。パンフレットより。 素晴らしい仏像を拝観することが出来ました。


   
五重塔 ( 国宝 ) 。醍醐天皇の菩提を弔うため、第一皇子・朱雀天皇が 承平6 ( 936 )
年に完成した。初層の内部には両界曼荼羅真言八祖が描かれている。
高さ約38メートルで屋根の上の相輪は約13メートルあり、相輪が等の約三分の一を
占め、安定感を与えている。   春は 桜の花と五重塔 華やかでしょうね。


          
不動堂・護摩道場。堂内には不動明王を中心に五体の明王を安置する。また、堂前の
護摩道場では、当山派修験道の柴燈護摩が焚かれ、世界平和など様々な祈願を行う。


   
真如三昧耶堂。 もとは朱雀天皇の御願により法華三昧堂として天暦3 ( 949 ) 年に
創建されましたが、文明2 ( 1470 ) 年に焼失。 現在の堂は平成 9 ( 1997 ) 年に
真如三昧耶堂として建立された。


   
真如三昧耶堂扁額。         釈迦涅槃像。


   
祖師堂。  真言宗を開いた弘法大師空海と、その孫弟子で、醍醐寺を開創した
理源大師・聖宝とが祀られている。  


   
   日月門 ( 上醍醐入口 )


          
時間の関係で上醍醐へは行けませんが、この先は 観音堂 → 弁天堂 → 寿庵 →
成身院 ( 上醍醐への登山口 ) へと続きます。


   
   鐘楼堂。


   
 観音堂。  西国三十三観音霊場第十一番札所上醍醐准胝堂の遙拝所として、
 准胝観世音菩薩が祀られる。  観音堂は正面から入いることができません。


   
観音堂入り口。                   納経所。


          
観音堂内陣。本尊准胝観世音菩薩・御前立厨子の扉は残念ながら閉じていました。


     


     本尊御真言・・・・・ おん しゃれい それい そんでい そわか

               札等等・・・西国三十三観音霊場 第十一番札所
                      近畿三十六不動霊場二十三番札所
        西国四十九薬師霊場三十九番霊場
       十八本山・神仏霊場役行者霊蹟札所等
  名称・・・深雪山 醍醐寺 ( みゆきさん だいごじ ) 
  本尊・・・准胝観世音菩薩
  宗派・・・真言宗醍醐派
  開基・・・理源大師聖宝
  創建・・・貞観16 ( 874 ) 年
 所在地・・・京都府京都市伏見区醍醐醍醐山    TEL・・・075-571-0002


   


   
参拝を終え観音堂より見えた 美しい弁天堂が心に残り時間の余裕は無いの
ですが・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・近くまで。


  
  本当は弁天堂へ行きたかったけど迷子になったら大変急いで引き返す。


   
   山門辺りで みんなに追いつく。


          
          西大門 ( 仁王門 ) へ。


   
   三宝院唐門 ( 国宝 ) 。


   
三宝院。 永久 3 ( 1115 ) 年、醍醐寺 第 14 丗座主勝覚僧正の創建。
現在の三宝院は 慶長 3 ( 1598 ) 年、豊臣秀吉によって再建されたもので
唐門や裏書院は国宝に、その他の建物は大半が国の重要文化財に指定されている
また、桃山時代を代表する秀吉設計の庭園は、特別史跡特別名勝にしていされ、
太閤秀吉の栄華を偲ばせる。


   
霊宝館。 国宝・重文 7万点、未指定の文化財 約10万点に及ぶ寺宝を所蔵。
彫刻・絵画・工芸・古文書など、日本の仏教史や美術史上貴重な資料を収蔵。
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30年ぐらい前 美術誌に載っている 醍醐寺の美し如意輪観世音観音菩薩像に
魅せられ 写真を見ながら描いた事がありました。一度霊宝館に収められている
実物の如意輪観世音菩薩像を拝観できたらと思っていましたが、団体で参拝の為
残念なことに時間の余裕がありません、〜また何時か その日を楽しみに残して〜
      クリック ⇒ 私の描いた如意輪観世音菩薩像です
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   おみやけ処・雨月茶屋。


   
   午後3時、醍醐寺駐車場へ戻り、次の札所元慶寺へ向かいます。

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