歩こう古里の文化・脇コース
平成27年度 第7回 大西町歩こう会・脇コース ( 私は先月6月に入会 2回目です ) に
参加。今日は脇地区の文化や懐かしい自然の風景をカメラに残しながら・・・・・・・
時々脱線も ( 案内の方の説明を聞き逃し 神社や古墳の名がわからなかったり !! )
道中皆さんとお喋りをしたり、とっても楽しい歩こう会でした。
明専寺前にて記念撮影。
参加者は、写真の26名と井出上先生 ( 写真を撮って下さいました ) の計27名です。
本日の 案内は 大西史談会の村上勝正会長さんです。宜しくお願いします。
かって この辺りは海岸だったそうで貝殻などが出てくるそうです。
クリック ⇒ 2012年2月19日、野間郡八十八ヶ所 第 八十一番 明専寺へ参拝。
貴布祢神社へ。
大鳥居の扁額 「 貴布禰神社 ( きふねじんじゃ ) 」
亀にまたがった浦島太郎、その上の獅子に乗ってるのは誰でしょう ?
♪〜京の五条の ♪〜牛若丸と弁慶。 こちらは二宮金次郎とその上は・・・・・・・・・?
貴布祢神社拝殿。
金毘羅大権現。貴布祢神社の左側に建っています。右奥は貴布祢神社神殿。
右上の御城池に引き込まれた隧道は、山之内川の寺井手堰から脇の御城池への
水を引き入れるために造られた隧道で、約250mのトンネルは 大正8年 ( 1919 )
村人たちの手によって作られ、それ以来御城池の水不足はなくなったそうです。
「 あしかさん 」の由来は、足利氏の武将を祀ってるから 「 あしか 」 だという説と
蔓延した麻疹が お参りすると治ったので 「 はしか 」 → 「 あしか 」 となまって
呼ばれたとの説もあるそうです。
お堂の裏には古墳と祠が ( 祠には伝説のお馬さんが祀られています )
次は 中脇集合五輪塔へ。
約10分程歩く 集合五輪塔の標識があり薄暗い坂道を5mほど登ると・・・・・
竹藪を切り拓いたような高台に 中脇集合五輪塔 ( お塚さん ) が。
天正13年 ( 1585 ) 豊臣秀吉の四国攻めで小早川隆景軍の襲撃を受けた際
重茂山城の武士たちは、かって海岸でだった明専寺辺りで戦うが奮戦空しく
全滅 有力な武士たちの魂を弔って建てられたものだといわれています。
史談会 村上会長さんに御城池隧道の通っている場所等の説明を受ける。
御城池隧道の様子。 覗くと水がちょろちょろと流れて・・・・・・・・・
坂道を上り次は何処へ行くのでしようか・・・・・・・・・・・・・・・
誰の古墳か解らないそうですが盗掘されている様です。
クリック ⇒ 茂みの中を覗いてみました。
脇地区にあった3つの神社が1社 ( 貴布祢神社 ) に統合されました。
現在この神社には 御魂はありませんが 今も地元の方々が守り続けているそうです。
参道。今は上る人もいない石段も きれいにお手入れされています。
長〜い手摺 ・・・・・・・・・・・・・・・? かっての ミカン運搬用のモノレールでした。
大師堂前の小山には・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
クリック ⇒ 2012年2月19日、野間郡八十八ヶ所 第八十番札所 大師堂 参拝。
池 ( うっかり池の名を聞き逃す !! ) に沿って・・・・・・・・・・・・・・・・
クリック ⇒ 脇塚 ( 新田さん ) 拡大。
クリック ⇒ 2012年2月19日、野間郡八十八ヶ所 第七十九番札所 仙久寺 参拝。
民家の細い路地を入ると五輪塔がありました。
どの辺りからか 子猫が足元を後になり先になり・・・・・・・・・・・・・
畑のヒマワリも太陽 ( 薄雲りですが ) の方を向いてるよ。
おとしの地蔵。病気で熱が出たとき、このお地蔵さんに祈願すると、
熱がおちるので、おとしの地蔵と いわれるようになったそうです。
明専寺駐車場を出発してから約2時間30分、明専寺前に戻ってきました。
本日の歩数は・・・9263歩。 歩いた距離約・・・・・4.8km。
一人だと とても歩けるコースではありません、皆さんと一緒だから
楽しく歩くことが出来ました、ありがとうございました。