素鵞神社・船みこし ( 2015-05-16 )
【 船みこしの由来 】 紺原地区の三軒屋は、その昔、海運事業が盛んであった。
船主や船乗りたちが航海の安全、無事を祈願して船みこしを当神社に奉納した
のが始まりで、約2百年以上も前の事である。
伝説では書の日本三蹟の一人、藤原佐理が 正暦 3 ( 992 ) 年筑紫から都へ
帰る途中 瀬戸内海が大荒れになり 弱り果てていると、ある夜夢に大山積大神が
現れ、「 大山祇神社には神額が無くて困っている。お前が通りかかったので、呼び
止めるために 海を荒らす方法をとった。ぜひ筆をとってほしい 」 と告げられた。
藤原佐理は早速筆をとり、海岸から神額を流すと、神の加護で大三島の海岸に着き
大山祇神社に渡った。やがて海もなぎ藤原佐理は無事都へ帰ったが、この神額を
書いたのが、三軒屋の品部川すそであったという。
船みこしには山積大神と筆を持った藤原佐理の人形が向かい合って座っており、
中央の神額は「 扶桑総鎮守 」 ( 日本全土の守り神 ) と書かれている。
船みこしは永年受け継がれ伝統を守ってきたが みこしの老朽化と担ぎ手の
減少により昭和三十年頃からは いっ旦は廃れていた、が、地区住民の復元を
求める声が強まり、船みこし保存会が発足し、昭和五十六年に復活し今日に
至っています。 船みこし保存会 説明立て札より
船みこしには山積大神 ( 左 ) と筆を持った藤原佐理 ( 右 ) の人形が向かい合って
座っており、中央の神額は「 扶桑総鎮守 」 と書かれています。
船首が石段の方向へ、何時も ( お天気の良い日 ) は このまま石段を下りた処で
餅まきをするのですが、本日は雨天 ( 滑ると危険 ) のため下りるのは中止です。
可愛い巫女さんの姿は 隙間から撮っているので未熟者の私にはこれが精いっぱい。
残念ですが、ここ大池 ( 御旅所 ) での行事は 雨天の為中止となりました。
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