令和4年 元旦
今年も氏神様の素鵞神社から参拝、コロナ感染予防の爲か今年も拝殿前の
鈴尾は降りていませんでした。大井八幡大神社へ車で移動、八十八の石段を
上り拝殿前へ、順々にお詣りを済ませて、御神札 ( 大井八幡大神社 ) ・ お守
・おみくじを引く、さて孫達 今年の運勢は・・・・・・・・・・・・ ?
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素鵞神社 ( 氏神様 )
毎年素鵞神社正面下の新しい大鳥居から入りますが今日は神社横の駐車場へ。
昔の小さな鳥居から入ります。
石垣沿いに石段へ。
石段の途中から境内へ。
現在の素鵞神社参道
素鵞神社
祭神 素戔嗚尊 ( すさのうのみこと ) 稲田姫命 ( いなだひめのみこと )
大山積命 ( おおやまずみのみこと ) 弥津波能売命 ( みずはのめのみこと )
高龗神 ( たかおかみのかみ ) 雷 神 ( らいしん )
この神社は仲哀天皇 ( 即位一九二 ) の時代怒麻の国造若弥尾命が大山積命の神を祭り
この地を神野原と呼んだ。
神亀五年 ( 七二八 ) 国司純が大三島より上津社、下津社を勧請して高龗神、雷神等を
合祀し、滝之宮と号した。
文禄三年 ( 一五九四 ) 八丁村の庄屋井手の次男藤左衛が分家した時、牛頭天王宮 ( 楠本
神社 ) を分祀した。
明治四年 ( 一八七一 ) 滝之宮と牛頭天王宮は相殿に祀られ、素鵞神社と改号した。
以来紺原地区の神社として今日に至る。
本社の船みこしは二百年余りの伝統があり市の貴重な文化財である。
新しい大鳥居
注連石と注連飾り
山道 ( 石段 )
手水舎 ( 今年は柄杓が用意されていました )
今年もコロナ過で鈴尾は上げられたままに・・・・・・・・・・・・はやく終息しますように。
神殿
拝殿
賽銭箱の投入口が狭いので履物を脱いで1人ずつお詣りします。
最後はお母さんてす。外でお賽銭の用意をしています。
お詣りを済ませ駐車場へ。
素鵞神社を後に大井八幡大神社へ向かいます。
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大井八幡大神社へ
大井八幡大神社
御祭神 阿佐利命 ( あさりのみこと ) 岩弥尾命 ( いわやおのみこと ) 品陀和気命 ( ほむだわけのみこと)
帯仲津日子命 ( たらしなかつひこのみこと ) 息長帯比賣命 ( おきながたらしひめのみこと )
三筒之男命 ( さんつつのおのみこと ) 竹内宿祢 ( たけうちのすくね ) 玉依比賣命 ( たまより
ひめのみこと ) 尊眞親王 ( たかざねしんのう )
由 緒 沿 革
社伝によれば、文武( もんむ )天皇の詔勅により、大宝二年 ( 702 ) 乎智宿祢玉純 ( おちすくねたまずみ )
が奉行となって神殿を建営、風速野間の 国造 ( くにのみやつこ ) であった阿佐利命、怒麻の国造若弥尾
の命の2柱を崇祀して大井宮と称した。
後に清和天皇の貞観元年に宇佐八幡大神を山城国男山に勧請の時、航路にあたる当郷の弓津恵島 ( ゆず
えしま ) に船泊した時、八幡神の御神託があり、河野探躬 ( こうのたんきゅう ) が垂跡 ( すいじゃく ) の
地に八幡宮を勧請し、仮神殿を建立奉斎した。寛平二年大井宮に八幡宮を合祀し、大井八幡宮と称した。
延元三年後醍醐天皇の皇子尊真親王がこの郷で薨去され、御霊を当社に合祀した。
( 大井八幡大神社 由緒沿革より )
大井八幡大神社の石段
宮脇、新町、大井浜の氏神様で旧村社。幅4m弱の一枚石を使った八十五段の
石段は、大井八幡神社のシンボルになっています。
今年もちょっとさびしい拝殿前、コロナ過で鈴尾が下りていません。
今年も鈴尾は上がったまま頭の上に鈴だけが見えています。
大井八幡大神社の御神札をHinacanにお願いしました。
お母さんは子供たちのお守りを選んでいます。
お兄ちゃんは100円のおみくじ 良かったね今年は大吉でした。
早速、今年の運勢をスマホに取り込んでいます。
Hinacan は今年も鯛みくじに挑戦・・・・・・・・・・・・
狙いは金の鯛 上手く釣れるかな。
金の鯛ゲット。 おみくじは大吉でした。
境内のおみくじ掛けに結びます。
境内で、今年2022年の干支 「 寅年 」のトラさんに変身のワンちゃんに出会いました。
お利口でとっても可愛いワンちゃんでした。
大井八幡大神社神殿裏の稲荷神社へ。
ひとりひとり、ゆっくりとお詣りします。
稲荷神社を左に下りると藤山公園北駐車場に直通していますが。
拝殿横手水舎前を左に下ります。
右へ入ると拝殿前から石段を下りますが遠回りになるので。
薄暗い石段を下り
駐車場へ。
藤山健康文化公園の駐車場を出て帰宅。
孫達のお守りは、大井八幡大神社オリジナルの「 手まり守り 」に。