2020 年 元 旦
本年もみんな元気で大井八幡大神社・素鵞神社( 氏神様 ) に初詣に出掛けました。
藤山健康文化公園北駐車場で自動車をおりて大井八幡大神社にむかいます。
本当は大鳥居のある旧道から参拝するのですが !!
大井八幡大神社
御祭神 阿佐利命 ( あさりのみこと ) 岩弥尾命 ( いわやおのみこと ) 品陀和気命 ( ほむだわけのみこと)
帯仲津日子命 ( たらしなかつひこのみこと ) 息長帯比賣命 ( おきながたらしひめのみこと )
三筒之男命 ( さんつつのおのみこと ) 竹内宿祢 ( たけうちのすくね ) 玉依比賣命 ( たまより
ひめのみこと ) 尊眞親王 ( たかざねしんのう )
由 緒 沿 革
社伝によれば、文武( もんむ )天皇の詔勅により、大宝二年 ( 702 ) 乎智宿祢玉純 ( おちすくねたまずみ )
が奉行となって神殿を建営、風速野間の 国造 ( くにのみやつこ ) であった阿佐利命、怒麻の国造若弥尾
の命の2柱を崇祀して大井宮と称した。
後に清和天皇の貞観元年に宇佐八幡大神を山城国男山に勧請の時、航路にあたる当郷の弓津恵島 ( ゆず
えしま ) に船泊した時、八幡神の御神託があり、河野探躬 ( こうのたんきゅう ) が垂跡 ( すいじゃく ) の
地に八幡宮を勧請し、仮神殿を建立奉斎した。寛平二年大井宮に八幡宮を合祀し、大井八幡宮と称した。
延元三年後醍醐天皇の皇子尊真親王がこの郷で薨去され、御霊を当社に合祀した。
( 大井八幡大神社 由緒沿革より )
古神札納め所は石段の左側にあり。1月15日 ( 小正月 ) にお焚き上げの行事があります。
石段。
宮脇、新町、大井浜の氏神で旧村社。幅4m 弱の一枚石を使った八十五段の石段は
大井八幡大神社のシンボルになっており、五月の大祭には継ぎ獅子が行われ、獅子、
奴、神輿などが下りてきます。
大井八幡大神社に着いた時 ( 約4分くらい前 ) 白衣・緋袴姿の巫女さんが石段を
上って行きました。今度は 凛々しい白衣・水色袴姿の男の子が元気よく挨拶をして
社務所へ下りてゆきました。
手水舎
拝殿
大井八幡大神社の御札を戴きました。
おみくじ ( 百円 ) 左側・水みくじ ( 二百円 ) 右側
今年も水みくじにしました。
神殿
次々と参拝者が訪れます。
拝殿の左側を下りると・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
藤山健康文化公園北駐車場へ出ます。
素鵞神社へ。
素 鵞 神 社
祭神 素戔嗚尊 ( すさのうのみこと ) 稲田姫命 ( いなだひめのみこと )
大山積命 ( おおやまずみのみこと ) 弥津波能売命 ( みずはのめのみこと )
この神社は仲哀天皇 ( 即位一九二) の時代怒麻の国造若弥尾命が大山積命の神を祭りこの地を
神野原と呼んだ。
神亀五年 ( 七二八 ) 国司越智玉純が大三島より上津社、下津社を勧請して高龗神、雷神等を
合祀し、滝之宮と号した。
文禄三年 ( 一五九四 ) 八丁村の庄屋井手の次男藤左衛門が分家した時、牛頭天王宮 ( 楠本
神社 ) を分祀した。
明治四年 ( 一八七一 ) 滝の宮と牛頭天王宮は相殿に祀られ、素鵞神社と改号した。
以来紺原地区の神社として今日に至る。
本社の船みこしは二百年余りの伝統があり市の貴重な文化財である。
( 素鵞神社 社標よこの案内板より )
素鵞神社大鳥居
正月飾りの注連石 ( しめいし )
素鵞神社拝殿
手水舎
手水の使い方
一、先ず左手を清めます。
二、次に右手を清めます。
三、次に左手に水を受けて 口をすすぎます。
四、終わりに左手を清め 口・手をふきます。
今年もみんな元気で参拝するることが出来ました。
素鵞神社境内からは紺原部落が一望できます。
Hinacian は景色をデジカメで・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ みんなが下で待ってるよ。