無事満願3日目 ( 2012-07-10 )

遍路日記最終日、やっとまとまりました。  ・・・・・あとは1ヶ寺づつ コツコツと・・・・・・・
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             無事満願3日目 ( 2012-07-10 )
午前6時17分、お世話になった Takaya 家をあとに、四国霊場第八十四番 屋島寺へ。

    
高松東ICから高速に乗る心算だったのですが カーナビは さぬき三木ICへ誘導、
高松中央ICでで降り国道11号を八島方面へ、6時43分 屋島ドライブウェイ
( 有料道路 610円 ) を走り  6時50分、まだ ⇒ 人影のない 屋島寺駐車場に着く。
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           四国八十八ヶ所 第八十四番 札所 屋島寺


唐から仏教の戒律を伝えに来た 鑑真が開基した屋島寺。初代住職は弟子の恵雲律師。
後に南嶺に弘法大師が伽藍を開き 84番目の霊場として定め、今も巡礼の絶えない
四国巡礼の礎を築く。鎌倉以降は衰退したが、江戸時代に歴代の讃岐藩主に庇護され、
再興された

    
源平屋島合戦場の歓迎柱を入り ⇒ 「源平合戦絵図」よこを通り、
東門から ⇒ 境内に入る。

          


    
境内参道を通り、先ず ⇒ 仁王門まで下り、⇒ 四天門、    ⇒ 五重塔、  
宝物館、 蓑山大明神   ⇒ 熊野大権現、 ⇒ 千体堂等が配置良く並ぶ。   
本堂、   ⇒ 大師堂 と参拝、⇒ 納経所では 軽やかにサラサラと走る筆先、
ちょっと⇒ 1枚 お願いしました

   
ねむの木の下に咲くスイレンの花。東門を出たところに瑠璃宝の池 ( 血の池 ) が
あります。屋島寺伽藍草創の時弘法大師が「遍照金剛、三密行所、当都率天、
内院管門」と書き宝珠と共におさめ 周囲を池としました。ところが竜神が宝寿を
奪いに来ると伝えられ、瑠璃宝の池の名がある。源平合戦の時には壇ノ浦で戦った
兵士達が血刀を洗ったため、池の水が赤く染まり血の池とも呼ばれるようになりました
  池には小さな橋が架かっています、渡ると小さな祠がありました。
ハスの花の咲く瑠璃宝の池 ( 血の池 )
     
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            四国八十八ヶ所 第八十五番札所 八栗寺

    
屋島の東にそびえる五剣山の中腹に位置し、天長6年 (829) に弘法大師によって
創建された。大師が入唐前に埋めた八つの焼き栗が、帰国後すべて成長していたと
いう伝説から「八栗寺」と名付けられる。歓喜天霊場としても知られ、
「八栗のお聖天さん」と呼ばれています。

        
屋島寺駐車場でカーナビを 八栗寺にセット、ケーブルで登るつもりだったのですが、
狭い山道をくねくねと裏参道へ入ったようです。
午前7時50分、八栗寺の裏、参道辺りには、何台もの車が止めてありました
2年前はケーブルで登ったので、道に迷いそうです、兎に角参道を 歩く⇒ 歩く⇒。  
やっと見覚えのある 本坊前にでる。見覚えのある石標 もう大丈夫、石仏霊場下を、
更に進むとむと、  多宝塔前に、    その横には 大師堂、    地蔵堂、    
鳥居の向こうに、    聖天堂、 一段高い所に本堂。お参りを済ませ  納経所へ。
山門の先に  お迎え大師が建ち見晴らしのいい展望台 になっていると聞き行って
みました。

    
展望台からは 先程お参りを済ませた屋島を望み素晴らしい眺めです。
お迎え大師像から続く表参道は直線で結んだ様に、石の鳥居、  山門、  本堂
五剣山へと続いています。


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            四国八十八ヶ所 第八十六番札所 志度寺

    
寺伝によれば創建は推古天皇の時代で、1300年を優に超す歴史を持つ札所有数の
古刹。志度の裏は謡曲「海士 (あま)」の舞台にもなっており、志度寺境内には
藤原不比等と海女の玉取り伝説にも縁の深い「海女の墓」があります。

           
午前8時50分、志度湾に面した県道136号沿い駐車場に着く。仁王門から参拝するのが
順序なのですが・・・・駐車場傍の 弁財天堂、 駐車場横の海女の墓は高い丸太の柵
( 心ない人が荒らすため ) 囲まれていたので よく見えませんでした。
         海女の墓説明板。     生駒雅楽頭親正の墓説明板

          
五重の塔、   奪依婆堂、 その向こうに    本堂、と 回廊で繋がった     大師堂
三尊仏、   覚阿上人霊塔、   閻魔堂、     薬師堂、と駆け足でまわり、 
納経所へ  納経所はとっても広く 休憩所もあり接待のお茶も用意されているようでした

    
じいちゃんは、本堂と大師堂の参拝を終えると、次の札所のカーナビをセットすると
言ってさっさと駐車場へ引き上げてしまいました。
納経所を後に 1人で仁王門へ、 仁王門前参道左側に、さぬき観音霊場第五番圓通寺
右側には、 四国曼荼羅霊場第十番自性院   平賀源内さんの墓所がある。  
2010年1月の火災て焼けた本堂の修復工事がはじまっていました。    
昨年4月30日、 四国曼荼羅霊場第十番札所で参拝しました。

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        四国三十六不動霊場 第三十四番 繁昌院・厄除不動

    
略縁起によると、室町時代左近将鑑人道證雲の開山で当地の城主安富公の守り本尊
としてあるいは近郷衆生の心の糧、砦として信仰を永らく集めてきました。
不動明王はその本尊として、いちめい 一事 (ひとこと) 不動とも呼ばれ、方位厄難除け
学業向上、病気平癒等にことの他霊力顕著な仏様であり、そのお姿は木造の立像だ
そうです
  
           
石標を入ると、境内には、鐘楼、日本一体の石像「馬鳴菩薩 ( めみょうぼさつ ) 縁結び
衣類の仏様が祀られ参拝者を迎えてくれます。本堂でお参り、美しい天井絵等もあり
本堂の横に納経所があり、チャイム代わりの鐘を打ちます。  御住職に鐘を撞く時の
心得と 鐘を撞く前に唱えるようにと「一打鐘声 当願衆生 脱散皆苦 得見菩提」と書いた
唱書をいただく 

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         四国三十六不動霊場第三十三番 浄土寺・雷不動

    
略縁起によると、承平六年 ( 937年 ) 九月 現在地の東北に明海上人が和爾賀波神社の
別当として建立し、天下泰平、五穀成就、万民豊楽、郷内安全、諸人快楽を祈りました
不動明王は、一名雷不動とも証され、雨をもたらし落雷除け等の霊力の他に、
衆生に落雷の如く火急にふりかかる厄難を除きたまわらんとの厚い仏恩を内蔵された
仏様だそうです。

           


   
門前東側駐車場に車を止め横門を入るとちょっと怖いとっても大きい雷不動尊が立つ
まず最初に不動堂にお参り、あらためて 新しい山門から入ると右側にも真新しい鐘楼
納経所、  水子地蔵尊、左に進むと本堂、  回廊前の お手入れの行き届いた境内  
弘法大師像と稚児大師像が並ぶ。   午前10時14分に着き、10時35分、次の札所へ。

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            四国八十八ヶ所 第八十七番札所 長尾

寺伝によると、創建は天平11年 (739)、行基菩薩とされる。大同年間 (806〜810)、
入唐にあたって寺を訪れた弘法大師が年頭七夜の護摩祈願を行い、帰国後に入唐の
大願成就を感謝して大日経一字一石の供養塔を建て、堂宇を建立したといわれています

 
午前10時42分、第八十七番 長尾寺駐車場に着き 山門前の太鼓橋 ( 福聚橋 )を渡ると、

    
重要文化財指定の経憧が2基、東側には弘安九年五月、西側には弘安六年七月の
銘があります。 門の中に釣鐘が下がる 山門 からのびる石畳 ( 参道 ) の先には
 本堂 が建つ。 本堂、大師堂 と参拝のあと、じいちゃんは車へ。

    
興亜地蔵尊の横に常盤御前剃髪塚 、  護摩堂、   薬師堂、  長尾寺東門
  長尾寺東門説明板、  天神宮、   最後に納経所へ。  長尾寺の納経所では、
以前大失敗を !! 2009年6月14日、忘れられない事が ありました。 と言う訳で忘れ
ものは無いかと持ち物の確認をしていると、若いお坊さん が声をかけてくださいました。
あと2ヶ寺、八十八ヶ所結願所大窪寺と、別格二十霊場結願所 大瀧寺で遍路旅も段々
終りに近付いてきました。
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         四国八十八ヶ所 第八十八番札所 大窪寺 結願所

八十八ヶ所 結願 ( けちがん ) の霊場 大窪寺は、徳島県の県境に近い矢筈山 標高
(782m) の東賀を側中腹に位置します。寺伝によると、養老年間 ( 717〜724年 ) に
行基が開基し、弘仁年間 ( 510〜823年 ) に空海 ( 弘法大師 ) が奥の院の岩窟で
虚空藏求聞持を修し、薬師如来を刻んで安置したとされる。この時に空海が納めたと
される錫杖は 唐から持ち帰った三国 ( 日本、唐、天竺 ) 伝来のものと伝え、
本尊とともに祀られているそうです。

    
11時30分、大窪寺 前駐車場に着き。 左「四国霊場 結願所」右「醫王山 大窪寺」 石門
を入る。 扁額「醫」「王」「山」の掛かる 仁王門をくぐると すぐそば左側に 鐘楼あります。
あらためて 本堂正面二天門下 「八十八番 結願所」石標のある石段を上る。  二天門
で一礼をして 門をくぐる 石段を上りつめた先に 胎蔵ヶ岳を背にした本堂 が建つ。
 
    
本堂。  拝殿にて参拝。 本堂右側に 阿弥陀堂阿弥陀堂内陣には優しいお顔の
阿弥陀像が安置されています。本堂の石段横に 厄除不動尊像。 本堂左に納経所
巳王大明神。  結願修行大師像と続き。 境内には 香川の保存木 大銀杏 (秋になる
と美しいでしょうね)   その傍らの石像仏 。 心経塔の横に、結願をしたお遍路の
金剛杖や菅笠が奉納されている寛枝堂。大師堂へと続きます。     
それから3年前に長尾寺へ忘れたカメラはちゃんと届けてくれました。
  
    
大師堂で 2人一緒に参拝。 その隣の修行大師像に手を合わせ 「お砂踏み道場
( 大師堂地下内陣)」前にでる、時間の余裕も無いのでお砂踏みは断念。
二天門から下に降りる。12時20分、うどん茶屋 八十八庵の駐車場へ止めたのが失敗、
ここで食べないと駐車料金2,000円だそうで、まあ良いかと 冷やしうどんを注文する。
向かいの野田屋さんで Hina と Riku と ママの お守りを購入。 見た目より店内は広く 
奥には 木彫りの不動明王像

    
12時45分、八十八ヶ所結願寺 ( 連名で結願証もいただきました) 大窪寺 を後に
最後は 別格二十霊場の結願寺 大瀧寺へ、カーナビは山深く 狭く細い急カーブで
遠回りの道を選ぶ。
この山奥に人家でしょうか、拡大 ガイドブックに ( ※お願い 大瀧寺には トイレが
ありません「道の駅しおのえ」または「夏子ダム休憩所」に有ります )と。
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   別格二十霊場 第二十番札所 大瀧寺 結願所 四国霊場奥の院

略縁起によると奈良時代神亀3年 行基が塩江より登山、阿讃山脈秀峰に一宇を建立し
阿陀三尊を安置されました。平安時代の初期 延暦10年(789)弘法大師も「求聞持修法」
をされ、弘仁6年(806年) 弘法大師 42才、2度目の登山の時に、現世の男女厄難消除、
万民安楽の為に、西照大権現の尊像を安置し、法華経を一石毎に書き、男女厄流しの
秘法を修される。又、天安2年(858年) 聖宝尊師 (理源大師) が登山され、高野槇
お手植えになり 男女厄難厄流しの大護摩を修法。その法が今に伝わり厄流しの寺と
して有名。

    
午後1時30分、やっと大瀧寺本堂下駐車場に着く。

   
最後の札所、鐘を撞こうと・・・使用不能でした。  こちらは 不動尊? でしょうか。拡大

    
    大瀧寺石碑。

    
本堂の横に、 新築の大師堂が建つ。   大師堂正面。   大師堂内陣。   納経所
大師堂右側の納経所で御住職に納経と二十ヶ寺の確認をして、満願証をいただく。

    
    大瀧寺境内からの眺め。

    


    
午後1時58分、 最後の札所 (四国八十八ヶ所四国三十六不動霊場四国別格二十霊場
144ヶ寺 ) を後に 徳島県脇町方面に下る
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2時27分、見上げると、参拝中何度か目にした風景です。 2時28分、脇町ICより 高速に。

    
午後3時、吉野川オアシスで休憩、運転で疲れたじいちゃんの肩揉たたき。

    


   


       


  

  

  


       


    


    


    
    午後3時40分、吉野川オアシスを出る。

    
    午後4時25分、伊予西条飯岡トンネルにさしかかる。

    
午後4時40分、今治湯ノ浦IC着。年金暮らし貧乏遍路の苦肉の策は、せかせかと忙しい
高速を利用しての旅でした。