令和6年 元旦
大晦日の強風が嘘のよう、穏やかな新年を迎えました。素鵞神社( 氏神様 ) からお詣り
大井八幡大神社へ、何といっても嬉しかったのは 、 2021年からコロナビールス感染
予防のため拝殿前に下がっていた鈴尾 ( すずお ) は、巻き上げられて 2021年~2023年
の約3年間 見る事もさわることも出来ませんでした ( 神社にある鈴緒は、神様のい
る向う側の世界と、私たちの生きるこちら側の世界を繋いでいるという意味があり
鈴と鈴緒はお払い・身を清めてくれる効果があるそうです。
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素鵞神社 ( 氏神様 )
素鵞神社
祭神 素戔嗚尊 ( すさのうのみこと ) 稲田姫命 ( いなだひめのみこと )
大山積命 ( おおやまずみのみこと ) 弥津波能売命 ( みずはのめのみこと )
高龗神 ( たかおかみのかみ ) 雷 神 ( らいしん )
この神社は仲哀天皇 ( 即位一九二 ) の時代怒麻の国造若弥尾命が大山積命の神を
祭りこの地を神野原と呼んだ。
神亀五年 ( 七二八 ) 国司純が大三島より上津社、下津社を勧請して高龗神、雷神等
を合祀し、滝之宮と号した。
文禄三年 ( 一五九四 ) 八丁村の庄屋井手の次男藤左衛が分家した時、牛頭天王宮 ( 楠
本神社 ) を分祀した。
明治四年 ( 一八七一 ) 滝之宮と牛頭天王宮は相殿に祀られ、素鵞神社と改号した。
以来紺原地区の神社として今日に至る。
本社の船みこしは二百年余りの伝統があり市の貴重な文化財である。
曽我神社拝殿 鈴尾 ( すずお ) が元に戻っていました。
神殿横を通り、昔の古い鳥居をくぐり、石段を下り大鳥居を出ます。
次は、車で大井八幡神社へ。
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大井八幡大神社
大井八幡大神社
御祭神 阿佐利命 ( あさりのみこと ) 岩弥尾命 ( いわやおのみこと ) 品陀和気命 ( ほむだわけのみこと)
帯仲津日子命 ( たらしなかつひこのみこと ) 息長帯比賣命 ( おきながたらしひめのみこと )
三筒之男命 ( さんつつのおのみこと ) 竹内宿祢 ( たけうちのすくね ) 玉依比賣命 ( たまより
ひめのみこと ) 尊眞親王 ( たかざねしんのう )
由 緒 沿 革
社伝によれば、文武( もんむ )天皇の詔勅により、大宝二年 ( 702 ) 乎智宿祢玉純 ( おちすくねたまずみ )
が奉行となって神殿を建営、風速野間の 国造 ( くにのみやつこ ) であった阿佐利命、怒麻の国造若弥尾
の命の2柱を崇祀して大井宮と称した。
後に清和天皇の貞観元年に宇佐八幡大神を山城国男山に勧請の時、航路にあたる当郷の弓津恵島 ( ゆず
えしま ) に船泊した時、八幡神の御神託があり、河野探躬 ( こうのたんきゅう ) が垂跡 ( すいじゃく ) の
地に八幡宮を勧請し、仮神殿を建立奉斎した。寛平二年大井宮に八幡宮を合祀し、大井八幡宮と称した。
延元三年後醍醐天皇の皇子尊真親王がこの郷で薨去され、御霊を当社に合祀した。
( 大井八幡大神社 由緒沿革より )
大井八幡大神社の石段
宮脇、新町、大井浜の氏神様で旧村社。幅4m弱の一枚石を使った八十五段の
石段は、大井八幡神社のシンボルになっています。
拝殿前でお詣り ( 3年ぶりに鈴尾を振ってお詣りが出来ました。 )
大きな鈴尾 ( すずお ) を持って・・・・・・・・
大井八幡宮のお札をいただきました。
ことしも鯛みくじとその向こうにみずみくじ。
皆さん好きな色の鯛がつれたようです。
大井八幡大神社拝殿左側を奥へ・・・
境内を出て
神殿裏の稲荷神社へお詣り
大井八幡大神社拝殿裏側
藤山健康文化公園北駐車場