藤山公園周辺と妙見山古墳から3号墳を下りる
今日は Hinachan と二人でお留守番・・・・・・・・・・・・・・お家にいてもつまらないので
どこかへ遊びに行くことに、歩いて行けるところといったら 藤山健康文化公園 ?
冒険斜面園地の遊具は古くなり使用禁止の遊具が多くて、つまらなくなったと言う
そう言えば公園が設置されてもう25年に ・・・・・・・・・・ !! 適当な場所が見つからない
ので、午後13時15分旧道を歩き藤山健康文化公園へ16時7分帰宅。2時間52分間
約6.8km( 11233歩 ) を楽しく歩き回りました。
県道15号線 ( 昔の国道196号線 ) 井手家の大楠
クスノキ
根廻り 5.00メートル。 樹高 25メートル。 樹齢 350年以上。
この木のある旧大庄屋井手家は、天正13年 ( 1585 ) に初代井手清右衛門が
当地に居を構え、大屋根に置かれた天水瓶は、大阪の陣のとき徳川方に味方
した功績により、特別に認められたものだと言われています。当時は瓦葺きは
おろか、天水瓶を置くことは固く禁止され、城や代官所にも珍しいほどで、こ
の格式と権威の象徴は県内では、他に例がありません。 参勤交代のときには、
本陣になっていました。
このクスノキは樹齢350年と言われ、根本には、一字一石の経塚が祀られて
いました。現在の建物は、築200余年と見られ、建物と共に町の指定文化財に
なっています。
平成4年3月 大西町教育委員会
天水瓶のある旧大庄屋井手家
江戸の初期、徳川方に味方した大庄屋井手家は、その功績により 「 何ても望み
をかなえてやる 」 とのお達しで、わらぶきの屋根を瓦にかえ、防火用として屋根に
天水瓶を置く事を許された。
その後、松山藩主の参勤交代の時には、本陣 ( 定宿 ) となつていた。
昭和9年 ( 1934 ) に大井村が譲り受け、同18年内部や窓などを大改造し、役場と
して使用され、同50 ( 1975 ) 年まで続いた。その後農協や漁協にも利用されたこと
もある。 大西町史談会
県道15号線 ( 昔の国道196号線 ) 大西郵便の路地を入り国道196号線へ。
国道196号線へ出る。
大井八幡大神社前から法隆寺前の小道へ入り藤山健康文化公園へ。
藤山健康文化公園は平成7年 ( 1995年 ) に設置されました。
【 藤山健康文化公園 】
大西の中心にあるシンボル的な公園で、広さは 約 13.6ヘクタールあります。
国道196号線からは船のプロペラが目印になります。公園に入ると煉瓦の大きな
水道橋があり、正面の丘の上に妙見山古墳を見る事が出来ます。水道橋を入ると
全面芝の多目的広場、冒険斜面園地にはアスレチック遊具などがあります。
梅、桜、藤と季節の花が咲き花の名所になっています。また公園内には妙見山
古墳、藤山古墳があり、妙見山古墳の丘からは大西の町が一望できます。
これら古墳群からの出土品は園内の藤山歴史資料館に展示されています。
多目的芝生広場
Hinachan は冒険斜面園地へ・・・・・・・・・・・
現在冒険斜面園地に建つ塔の三角屋根は一つしか残っていません。
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平成22年 ( 2010年 ) 12月5日
孫達が一番楽しんだ遊具 ( 一番最初に壊れ撤去されました )
タイヤのロープウェイ ( 現在は立ち入り禁止 )
塔から塔へ渡り冒険を楽しみました。
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平成28年 ( 2016年 ) 2月28日
築21年 ( 4年前 ) には・・・・・・・・・・・・・・・ !! タイヤのロープウエイ
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令和2年 ( 2020年 ) 3月24日現在の様子
4年前と比べるとさらに少なくなりましたね・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ !!
タイヤのロープウェイも立ち入り禁止になっています。
展望台へ
冒険斜面園地と陽だまりの丘を繋ぐ水道橋
冒険斜面園地の桜の蕾は固く咲くのはまだまだ先のようです。
水道橋を渡ります。
水道橋 より正面に妙見山古墳を眺める。
水道橋より北駐車場正面入り口を望む。
陽だまりの丘に 咲きかけた桜の花を見つけました。
陽だまりの丘 ( 頂上に藤山古墳があります )
ふるさと小道
この先の茂みは 尊真親王陵墓参考地
尊真親王 ( たかざねしんのう ) 陵墓参考地
藤山健康文化公園 陽だまりの丘 ( 藤山古墳 ) の横に木々が生い茂っている一画があります
ここは後醍醐天皇の皇子 「 尊真親王」 の墓とされており、宮内庁が管理しています。
南北朝時代の初期、延元元年 ( 1336 ) 11月、後醍醐天皇の皇子 尊真 ( たかざね ) ・
満良 ( みつなが ) ・ 懐良 ( かねなが ) の 三親王は南朝の勢力拡大のため、大館氏明、
篠塚伊賀守ら40人余りを従えて大井浦に着きました。 伊予の国司河野道政は これを
お迎えし、大井寺を御座所としました。 しかし同年12月に北朝方の不意打ちにあい、
多くの将兵は討ち死にし、尊真親王も負傷しました。 尊真親王は大井寺において阿波、
讃岐の北朝の勢力を除こうとしましたが果たせず、延元3 ( 1338 ) 年3月8日に亡くなり、
藤山へ埋葬、みたまは大井八幡神社へ合祀されたといわれています。
( 大井八幡大神社の宮司さんが毎日お掃除をされています )
忠霊塔
藤山健康文化公園に隣接する忠霊塔は 昭和33年に建立されました。
日清戦争、日露戦争、太平洋戦争で亡くなられた英霊285柱をお祀りしています。
今夜から提灯に明かりが灯されるそうです。
桜の園にはトイレがあります。
皆廻池と親水広場
皆廻池の水をボンプで恋の池へ汲み上げ 水路を流れた水は又皆廻池へと流れ込む
循環式になっています。
人工の滝
しょうぶ園からの眺め
菖蒲園
休憩所で水分補給。
水は恋の池から流れ落ちています。
皆廻池の水をボンプで汲み上げ 水路を流れた水は又皆廻池へと流れ込む循環式です。
恋の池から水路を流れ菖蒲園を潤し正面の水路を流れ人口の滝となって落ちる。
恋の池の廻りにあじさい園がありそのまわりに妙見山古墳への登道。
この斜面は雑木が鬱蒼とし何も見えなかったのですが古墳が見えています。
以前ここからが古墳への近道でしたが立ち入り禁止です。
2号墳の前に出る階段の上り口へ。
木の階段を登り詰めたところに2号墳
【 妙見山古墳4つの特徴 】
1、墳丘 : 前方後円墳だけど、前方部が短い。
2、埋葬施設 : 荒々しい竪穴式石郎 + くり
ぬき式木棺。
3、副葬品 : 銅鏡1枚、 ( 中国鏡 ) ← 儀式と
して割られる。
4、まつり : 墳丘からは飲食土器 + 伊予型
特殊器台 + 壷。
・ 妙見山古墳は瀬戸内に前方後円墳が広まった古墳初期のもの。
・ 伊予型特殊器台は、松山平野の大型器台にルーツ 当時の大西平野は、今治平野
以東の燧灘 ( 中部瀬戸内 ) ではなく、松山平野と同じ斎灘 ( 西部瀬戸内 ) の勢力
に含まれる。
愛媛県の古墳の見どころ ( 国史跡の古墳は愛媛では3ヶ所だけ ! )
妙見山古墳 ( 大西 ) : 古墳時代初期の前方後円墳 ( 竪穴 ) 2010-08-05、国史跡
葉佐池古墳 ( 松山 ) : 古墳時代後期の楕円形墳 ( 横穴 ) 2011-02-07、国史跡
宇摩向山古墳 ( 川之江 ) : 古墳時代終末期の長方形墳 ( 横穴 ) 2011-09-21、国史跡
藤山歴史資料館より徒歩約10分、藤山健康文化公園内の標高80mの丘陵上には、3基の古墳からなる妙見山古墳群があります。このうち妙見山1号墳は全長55.2mあり、古墳時代初期の貴重な前方後円墳です。保存のための発掘調査ののち復元整備を行っており古墳からは大西平野、瀬戸内海の斎灘(いつきなだ)が一望できます。
一号墳を下りて二号墳の前を通り・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
3号墳へ
3号墳
ヤマモモの3号墳より2号墳へ出て藤山公園へ下りるつもりでしたが・・・・・・・
Hinachan は3号墳下の道へと・・・・・・・・・・・ ( 見学で来たことがあるそうです )
道幅の狭い雑木林が・・・・・・・・・・・ その向こうに竹林が続き・・・・・・・・・・・
左にカーブすると・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
小さな溜池 ( 池の名前はわかりません ) に出ました。
溜池の淵を通り・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 竹藪を抜けると・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
明るい谷間に出ました。
右に行こうか、左に行こか !!
さて、どの道を行っていいのか 坂を下りて左に行くと段々道幅が細く・・・・・・・ !!
右側の道へ下りてゆきます。
左にキウイ畑
どこへ出るのでしようか・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
13 : 25 宮脇川に架かる小さな橋を渡り大西宮脇2号線へ出る。
15 : 32 皆廻橋を渡り藤山健康文化公園へ。
藤山健康文化公園西駐車場。
水道橋を出る。
15 : 45 北駐車場へ。
国道196号線前の大井八幡大神社から県道15号線 ( 昔の国道196号線 ) へ。昔はここが
大井八幡大神社の参道入口でした ( 大井八幡大神社の参道を国道196号線が横断 )