河津桜ウォーキング

         波方町・大角海浜公園〜

  


  
  今回のウォーキングコースは、波方町樋口・養老の史跡を巡ったあとは
 大角海浜公園で河津桜を眺めながらお弁当、足元にはつくしも顔をだして
 います。 大角海浜公園の美しい景色を楽しみながら散策しました。


    
    9:20  大西支所集合 ( 2号車は直接現地波方へ )


  
  9:27  今治市波方支所。


   
   9:27  駐車場 到着 ( トイレ休憩 ・ 庁舎裏にて準備体操 ) 


 
 9:57  準備体操。


  


  ウォーキングマップ  ⇒ 拡大 クリックしてください。


  
    ① 隠れキリシタン
    ② メバル
    ➂ 潮早神社・塚と古社
    ④ 東照寺の五輪塔
    ⑤ 別台と窯跡
    ⑥ 城主 ( しののさん )
    ⑦ 塚の谷1号古墳


  
  ( 3Kmコース・・・➂ ⑤ ⑦ の3ヶ所を巡るコース )
    出発地点の ➂ 潮早神社へ向かいます。 


  
  10:03  波方支所駐車場出発。
  ( 5Kmコース・・・① 〜 ⑦ の7ヶ所を巡るコース )


  


  
  多々良踏切り。


  


  
   かくれキリシタン
  江戸時代にキリシタン狩りが、幕府の命令により、各地で厳しく
  行われた。 キリシタンは隠れ ひそかに十字架石を信仰した。
  この二基の石は、その石で凝灰岩 ( 火山の噴火物が固まった物 )
  性の角柱型で 全形が十字架であり、教会の塔も見える。 そして
  正面にキリストやマリアの像が線書きで刻まれ、石の質、加工、
  大きさも各地で見られるものと同じである。凝灰岩の産地 ( 九州
  あたり ) で作られ、船で運搬されて来たものと考えられる。民家
  に近く、人目につかない場所で祀り 秘密は厳守されていた。この
  像は、この地方でも大変珍しく、当町ではここにしか発見されて
  いない。           ( かくれキリシタン案内板より )


  
キリシタン石像


  


  


   
    めばる岩
   このあたりは、今から千年ぐらい前は海になっており、当時の
   人々は、この岩で釣り糸を垂れ「 めばる 」を釣ったという。
   またある時、この岩が突然音をたて、真っ二つに割れ、二羽の
   鳩が跳び出した。そして一羽は村上水軍の本拠地来島へ、もう
   一羽は鑪鞴 ( 多々良 ) の八千矛大明神 ( 現在は無い ) に飛んで
   いった。そういうわけで来島の神と多々良の神が兄弟であると言う
   ことがわかった。その割れ目は今も残っている。この岩は御影石
   立派なものであり、下の方には最近まで かき殻が付着していた。
                       ( めばる岩 案内板より )


    


   


  
  多々良踏切り。


  


  


  


   
    潮早神社・塚と古社
  このあたりは、昔は海で潮の干潮の際、潮をなして流れていたので、
  潮早神社と呼ばれた。 この地方の有力者だった来島家と河野家は
  親戚だった。豊臣秀吉がこの地方を攻めて来た時、来島家は河野家
  ( 毛利家 ) の見方をせず秀吉の見方をした。来島家の家老で湊山
  城主 ( 今治市湊 ) の原四郎兵衛門は忠義一途の武士であったため
  河野家を裏切ってはいけないと何回も来島城主を諫めた。しかし、
  それがもとで来島城主の家臣に殺された。彼の遺体は、どういう
  わけか海上に流れ出てこのあたりに漂着したので、この地に墓を
  作り、その後古社に祀に祀った。現在は潮早神社に合祀されている。
                  ( 潮早神社・塚と古社 案内板より )


  


  


   


  


  
  道路へ出る。


  
  波方小学校手前を右折。


  


  [


  


  


  


  


  
  

  
   東照寺の五輪塔
   このあたり一帯、今は一面の田畑になっているが 昔、養老館の
  祈祷所であった東照寺の跡と言われている。ここには西宝院という
  坊さんが広い屋敷に住んでいた。この五輪の塔は、その人の塚とし
  て波方町唯一の完全な室町時代の五輪の塔である。 なお東照寺は
  来島家の祈祷所であったが、元禄16年 ( 1703 ) 波止浜に移し
  西宝院として □の祈とう所になっている。
                     ( 東照寺の五輪塔 案内板より )


  


       


   


  
  正面に厳島神社。左は皇子八幡神社


   
   厳島神社拝殿。


  
   別台 ( べだい ) と窯跡
 養老館 ( がようろうのたち ) があったという所所は現在別台と呼ばれる
 この地である。別台は来島家の居館 ( 住居 ) 波方館 (はがたのたち ) の
 別館が置かれていたところからきた名だと言われている。この館は遠見
 山を背にして側面を堀で固め、ここから山麓に向けて丘陵上にいくつか
 の曲輪 ( 土や石の囲い ) を配置するという館と詰の城 ( 山岳城郭 ) を
 兼ねた珍しい形態である。館跡は現在厳島神社になつており、養老中の
 小宮が集められ合祀されている。またこの下の石垣の上に窯跡 ( 登り窯・
 山麓の傾斜に沿って階段状に築き、下の方から焼き上げる ) がある。
 付近に東照寺の跡もあるので、瓦を焼いた跡か、土器を焼いた跡か分か
 らないが数少ない珍しいものである。   
                       ( 別台と窯跡 案内板より )


   
    登り窯跡。


  
  10:45  別台と窯跡を後にする。


  
   城主( しののさん ) へ。


   


  


   
    城主( しののさん )
  この塚は、伝説では源平の合戦に負けた平家の落人が多数の家来を
  連れて、波方に上陸しこの地に住みついたその城主の墓と言われて
  いる。近くには家来の墓と言われるものが多く残っている。
  

  


  
  11:58  道路まで下り向こう側へ横断。


   
   橋を渡って遊歩道へ。


   
   12:02  塚の谷1号古墳へ。


  


   


     


   塚の谷古墳群
 この古墳は塚の谷1号古墳と呼ばれ、古墳時代 ( 6世紀〜7世紀 ) に
 作られたもので円墳であり、この地方の勢力のある人の墓である。
 円墳を大別すると、竪穴式石室と横穴式石室があるが、この古墳は横
 穴式である。墓室の一方の壁面に設けられた通路によって、出入り口が
 開かれている。副葬品は須恵器などの日常の容器、祭器類、太刀などの
 武器類、馬具類、装身具の玉類など多くのものが副葬されていたが、今
 は、盗掘されてなくなっている。この他にも塚の谷2号古墳、3号古墳、
 細谷古墳、湯の谷古墳と円墳がいくつもあり、塚の谷という名称は古墳
 が多いのでそう呼ばれたのではないかと言われている。
                      ( 塚の谷古墳群 案内板より )


  


  
  11:06  越智商工会前空地 ゴール。
  11:10  越智商工会前空地 出発。


  
  大角海浜公園へ。


  


  
  11:23  大角海浜公園駐車場 到着。


   


  
  大角海浜公園で ( 昼食・自由行動 )


  
  大角海浜公園ヒラメ広場キャンプ場でお昼のお弁当。


       
       この斜面にはつくしがいっぱい‥‥・・・


  
  川津桜をパックに。


  


  


  
  大角海浜公園クジラキャンプ場に下りる。


   
   クジラのモニュメント。


  
  ここは風が強いので誰もいません。


 


  


  
  私は公園をぐるりっとまわって桜の下でお弁当をいただきました。


  
  そろそろ集合時間です。


  
  12:10  駐車場へ。 


  
  12:20  2号車出発。


  
  2号車は延喜まわりでクアハウス今治へ。


   


   
   12:57  2号車到着。


  
  次々とバスが到着。


  
   温泉で疲れを癒し休憩。


   
   15:30  市内循環送迎バス 出発。
   15:57  大西支所到着。
   本日の歩いた距離・・・7.9km。 歩いた歩数・・・10789歩。