四国カルスト・大野ヶ原
何の予備知識もなく18年前のカーナビ ( 自動車購入時点のカーナビ ) と携帯のマップで
大野ヶ原高原を入力・・・・・・・・・・・・・・・・行ったり戻ったりしながら着たいたところが
通称「 日本のスイス 」と呼ばれる 日本三大カル
ストの一つで四国カルスト西部に位置する酷農地
帯でした。 12時59分 ミルク園へ、お店を閉めた
ところでしたが「 西予市・大野ヶ原周辺マップ」
を見ながら天狗高原へ行く道をご夫婦で教えて下
さり、お陰様で無事に星降るヴィレッジに到着し
ハイキングコースを散策することが出来ました。
カーナビに右往左往!紅葉を楽しみなから四国カルストへ
自動車が一台やっと通れるところに迷い込んだりしながら・・・・・・・見晴らしの良い場所辺りでカーナビは目的地に周に着きましたと・・・・・! 思っていた場所と違う ?
通称「 日本のスイス 」と呼ばれる 日本三大カルストの一つで四国カルスト西部に
位置する酷農地帯でした。
大野ヶ原をグルグルと廻りながら天狗高原へ行く道を探します・・・・・・・・・・
八代龍王大神鳥居
大野ヶ原の開拓
源平時代の落人伝説や木地師 ( 木工職人 ) の存在から、大野ヶ原は昔から合戦や
植林が行われていたと考えられます。明治時代に陸軍の演習場になり、第2次世界
大戦中は、軍馬の練習場になっていましたが、昭和25年から正式に開拓地として入
植がはじまり現在の集落の礎となりました。平均高度が 1,150mもあり、年平均の
気温は 8.9℃と冷涼な気候であるため、農作物の栽培が難しく、当時の人々は苦労
をしました。その後、酷農を中心に開拓され、現在では、なだらかな丘陵地と豊富
な草を利用して、牛乳の生産地として有名です。
12 : 49 買物をしようとミルク園へ自動車を止めましたが、お店を閉めて帰る
ところでした。道を尋ねると「 西予市・大野ヶ原周辺マップ」を持っ
て来てご夫婦で天狗高原へ行く道を教えて下さいました。
ここ大野ヶ原から一番近いのはカルスト横断へ入り地芳峠を越え、鶴姫平・五段高原
・天狗高原へ行くことが出来ますが、今時間の規制中で待っていると遅くなるとか・・・
梼原まで下り、高野から東津野城川線を上り天狗高原への道は遠回りになるそうですが
待ち時間を入れるとこちらの方が確実だと言う事ででした。
ご夫婦にお礼を言って、天狗高原へ向かいます。
ミルク園から、野村柳谷線 ( 県道36号 ) ⇒東津野城川林道 ( 西線 ) ⇒野村柳谷線へ
ミルク園から、野村柳谷線 ( 県道36号 ) ⇒東津野城川林道 ( 西線 ) ⇒野村柳谷線右側<
を下りると伊豫国 ( 愛媛県 ) と 土佐国 ( 高知県 ) の県境の石標が建っています。
坂本龍馬脱藩の地 伊豫国 ━土佐国 我ら再び生きて故国土洲の土を踏まず!!
坂本 龍馬 澤村 惣之丞
韮ヶ峠 ( にらがとうげ ) の左側、龍馬が登ってきたであろう道を下りてゆきます。
太陽を背に韮ヶ峠 に立つ坂本龍馬像
龍馬像が見つめる脱藩の門に書かれた文字「 土佐国 韮ヶ峠 」・「 坂本龍馬脱藩の
地」の門柱は風化し文字が消えかけていました。
右側の歌碑は 「坂本龍馬脱藩百五十年記念歌」
又あふと 思う心を しるべにて 道なき世にも 出ずる旅かな
龍馬
文久二年三月二十六日土佐国韮ヶ峠脱藩
歌碑の内容は元治元年 ( 1864年 ) 京都伏見から江戸に向かう前、お龍と別れの盃を
交わした時に詠んだ歌です文字の揮毫は、全国龍馬社中 橋本邦健氏です。
維新の道 坂本龍馬脱藩の道 を下りて行きます・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ちょっと河原で一休み