〜 朝倉 ・ 志島ヶ原 〜
今回の梅香るウォーキングは、お天気にも恵まれ朝倉支所を出発し
野々瀬古墳を巡った後、志島ヶ原へバス移動、可憐な梅の花の下で
みんなで楽しくお弁当をいただきました。
9:23 クアハウス今治到着。 ( トイレ休憩 )
9:30 受付開始 ( 直接クワハウス今治に来られた方のみ )
国道196号線 ( 今治バイパス ) から県道162号へ左折 朝倉へ。
野々瀬古墳群
野々瀬古墳群は、瀬戸内海国立公園笠松山のふもとに点在する県下最大
規模の群集墳といわれており、確認できる古墳はいずれも円墳で、6世紀
後半から7世紀前半に造られたものです。
昭和初期には松林の中に100基以上の古墳が確認されていましたが、戦後
食料増産のために林を切り開き開墾されました。そのため多くの古墳が破壊
され現在墳丘や石室が残っているものは20基程度です。
古墳は私達の祖先の墳墓であり、重要な文化遺産です。大切に保存し、
後世に伝えることは私達の責務です。
平成25年2月 今治市教育委員会 ( 野々瀬古墳群 説明板より )
説明板の向こうに13号墳、その奥に14号墳 ( 14号墳はここからは見えません )
今治市指定 史跡 五間塚古墳 ( ごけんづかこふん ) 野々瀬12号墳
野々瀬古墳群の中では、七間塚古墳に次いで二番目に大きく、地元では
王塚とも呼ばれています。墳丘形態は円墳、直径15〜16mと推測され
ます。石室形態は両袖式の横穴式石棺を採用し、羨道 ( 石室入り口道 )と
玄室 ( 石室本体 ) との境に、立派な玄門立柱石 ( 袖石 ) を両側に構え、
框石で入り口を区別し、玄室が一段下がる構造としています。 玄室内は
高さ約2.6m、最大幅約2.05m、奥行約6m、使用石材も大型の花崗岩を
用いており、当時の築造技術の高さをうかがい知る買ことができます。
平成元年 ( 1989年 ) にトレンチ検査を行った結果、首飾り ( 切子玉、
管玉、土玉 )、耳環 ( 耳飾 ) などの装飾類や、鉄製品 ( 鉄鏃、刀子、鉄鎌
など ) といった副葬品が出土しています。また周辺には陪塚 ( ばいづか ) と
思われる石棺墓が新たに確認され、人骨などが出土しています。 構築され
た年代は、石室構造や出土遺物から7世紀前半と考えられています。
昭和48年10月15日指定 今治市教育委員会
( 五間塚古墳 説明板より )
右側の道路は笠松山への道です。
水大師堂。
江戸時代の安円年間 ( 1772〜1781 ) に宮ヶ崎の円久寺の大安自海という
弟子僧が病身のため、寺を出て各地を歩き養生していたところ、鶴ヶ巣の
地に霊水を発見。そこにお堂を建て、弘法大師を祀った。霊水のおかげで
壮健となった大安自海は、水大師堂の開祖となり、多くの信仰を集めた。
七間塚古墳
野々瀬古墳群の中で最大の積室を有する。
巨石を用いて見事に築造された典型的な横穴式円墳
として県下でも有名である。特に天井石は素晴らしい。
墳丘・・・・・・直径 18m ・ 高さ 6m。
石室・・・・・・奥行 9m ・ 高さ 2.2m。
( 昭和25年 県文化財指定)
11:30 志島ヶ原駐車場 到着 ( 昼食休憩 ・ 自由行動 )
網敷天満宮側の梅園では、土壌を改良し若木を植え育てています。
波止浜の廻船問屋奉納常夜燈。
網敷天満神社 西鳥居
絵馬堂。 2月25日 ( 日 ) 網敷天満宮 梅林観梅会があり
絵馬堂では あめ湯のお接待があります。
こちらは ⇒ 2017年2月19日 ( 日 ) 網敷天満宮梅林観梅会の様子です。
↑ クリックして見てください。
網敷天満宮
網敷天満宮東鳥居
外国船の来航に備え松山藩が築造した砲台場である。 築造当時は3ヶ所
あったが道路の拡幅のために現在一つが残っている。文永3年 ( 1863 ) 3月
今治藩では総社川裾、天保山脇、城下の浜、浅川裾に同じく築かれ、台場砲
鋳造のために胴や錫の供出が行われ、お城の神子森移転も考えられた。
海岸線の桜井総合公園入り口よりクワハウス今治へ。
16:05 大西支所 到着。
本日の歩いた距離・・・8.9Km。 歩いた歩数・・・11425歩。