梅は咲いているかと今治城へ ( 2018-02-20 )
歯医者さんへ定期検診に行った後、梅は咲いているかと今治城まで足を
延ばしましたが、今年は寒かったので梅の開花は まだまだ先の様です。
お堀の周りをウォーキング ・・・・・・・・・ 100m地点 ( 左上の写真 ) 辺りで
シャッターを切った感触が何時もと違うと思ったら「 カメラエラー 」の
表示が出て上の写真のように ・・・‥‥・・・ ( 昨年4月15日 藤山公園で桜の
花を撮っている時と同じ状態に ) あの時は5年保証がギリギリセーフで
修理、 10ヶ月後に、とうとう壊れてしまいました !!
史跡 今治城跡 石標 ( 昭和二十八年十月九日 県指定 )
碑 文
藤堂高虎公は 弘治二年 ( 一五五六 ) 近江の国に生れた
羽柴秀長秀長 豊臣秀吉などに仕えて宇和島・大洲八万石の大名となり
慶長五年 ( 一六〇〇 ) には関ヶ原の戦功によって 徳川家康から今治二十万石を
加増され 伊豫半国二十万三千石の領主となつた
今治城は高虎公により慶長九年( 一六〇四 ) に竣工を見た 三重の堀に海水を
引き入れ 舟入りを持つ日本有数の海城である 五層の天守は層塔式で白漆喰が
映え 近世城郭のモデルとされた 築城に合わせて城下に町割りを行い 地名を
今張から今治に改め 現代の今治市の原型がつくられた
築城の名人と称された高虎公は 多くの天下普請の城を築き 慶長十三年
( 一六〇八 ) 伊勢・伊賀に転封された そして大阪陣の後 朝廷と幕府間の斡旋
役を務めるなど徳川幕府体制の基礎固めに大きく貢献し 寛永七年 ( 一六三〇 )
七十五年の波乱の生涯を閉じた 築城四〇〇年にあたり この像を建て高虎公の
業績を子々孫々まで伝えるものである
像の制作は 文化功労者・芸術院会員の中村晋也先生
題字は 文化勲章受賞者 村上三島先生の揮毫による
平成十六年九月吉日
今治城築城・開町 四〇〇年祭実行委員会 今治市
( 藤堂高虎公像台座の 碑文 より )
今治城鉄御門・武具櫓外壁改修工事 ( 板張および戸・扉部分の塗装工事 ) 中
でした。 期間:2017年10月11日〜2018年3月2日
2月20日現在 白梅の様子です。
こちらは ⇒ 昨年 2017年02月27日、梅の花とメジロの写真です。
↑ クリックして見てください。
鳥の鳴き声はするのですが‥‥・・・いくら待つても鳥は現れませんてした。
天守閣へとおもったのですが時間がかかるので次の機会に。
吹上小学校 ( 旧美須賀中学校跡地 ) とその向こうに今治国際ホテルが見えます。
〔 今治城の堀のふしぎ 〕
今治城の堀は海に隣接しており、水路で今治港につながっています。潮の満ち引き
に応じて海水が出入りして水位が変わり、海水魚がたくさん泳いでいます。
また、堀底から真水が染み出している場所があり、そこには淡水魚のミナミメダカが
泳いでいます。今治城の堀は、海と川の生き物が同居する全国的にも大変珍しい環境
になっています。
今治城の堀のふしぎ 説明板より
天守閣が山里櫓に隠れる。
100m地点でシャッターを切ると液晶画面に「 カメラエラー 」と
表示され作動しなくなるスイッチを入れ直し再生すると上のような
白っぽい画像に !! 使い過ぎて寿命が来たのかも。
〜 これからどうしたものか思案中 〜