~ 新居浜・別子ライン ~
新居浜・別子ライン 「 紅葉狩りウォーキング 」は 5kmコース ( 遠登志渓谷 ) ・
3kmコース ( 県道47号線 大永山 ) を出発して、ゴール マイントピア別子本館へ
( 昼食休憩・自由行動 ) 5kmコースはここから更に 現在は石垣と長~く上に延び
る石段が残る鹿森住宅跡 へ、共同浴場跡で Uターン急いで「 マイントピア別子 」
へ戻りましたが 昼食を済ますと集合時間になり、観光坑道遊学行き列車の線路沿
いの冬桜ゃ泉寿亭 ( せんじゅてい) ・ 芝生広場の美しく紅葉したもみじ等を見る事
が出来ず残念 ( 今回は3kmコースにすればよかった !! )
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7 : 45 大西支所 集合。 7 : 48 2号車 大西支所 出発。
8 : 20 クアハウス今治 到着。( トイレ休憩・不要の物を設置された棚に置く )
8 : 40 2号車 クアハウス今治出発。
今治湯ノ浦 ICを入る。
今治小松自動車 ~ 松山自動車道へ。
小松自動車からの風景 ( 正面に石鎚山が薄っすらと覗いています )
9 : 10 新居浜 ICを出る。
新居浜別子山線 ( 県道47号 ) 山根公園前を道の駅マイントピア別子へ。
バスは国領川沿いを・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
国領川に架かる珍しい橋 川向うには何軒かのお家があります。
9 : 18 2号車は端出場大橋を入ります。
道の駅 マイントビア別子 ( トイレ休憩・準備体操 )
マイントピア別子 由 来 記
この地、端出場は、日本三大鉱産の一つで、かって世界一の産銅量を誇った別子
銅山の採鉱本部のあった所です。
別子銅山は、元禄四年 ( 1691年 ) の開坑、爾来、昭和四十八年 ( 1973 ) にその
歴史を閉じるまで、一貫して住友によって経営された鉱山です。
別子銅山は、今日の住友グループを育むと共に、新居浜市に工業を興し、四国屈指
の工業都市としての大きな礎となりました。
この別子銅山の歴史と文化を風化させることなく、永き将来にわたり、心の故郷
として蘇生を図ると共に、二十一世紀に向けた潤いと活力にみちた産業文化創造都市
にいはまの拠点として観光レクレーション開発事業の事業に取り組んでまいりまた。
この事業は、別子銅山開坑200年を記念すると共に、事業の推進にあたっては国の
指定を受けた『 ふるさとづくり特別対策事業 」( 自治省 ) による新居浜市の事業と、
「 産業基盤整備基金」( 通産省 ) や、住友グループ十一社等、地域経済団体二十三
団体の出資による第三セクターとの共同で、観光地「 マイントピア別子」として新し
く生まれ変わり、再び脚光を浴びようといたしております。
マインは「 鉱山 」を、トピアは「 ユートピア ( 理想郷 ) 」を意味し、栄光の歴史
を秘めた別子銅山遺跡が、いつまでも皆様に親しまれ愛され、心に残る地となります
ことを願って、マイントピア別子と命名いたしました。
平成三年六月
マイントピア別子本館
本館2階を出ると鉱山鉄道開運駅。
この鉱山鉄道、下部線は端出場貯蔵庫跡近く辺りで、その先に線路はありません。
9 : 40 全バス6台到着 ( トイレの関係で到着時間をずらしています )
準備体操 ( 朝日を受けて影が長~く伸びています )
5kmコース、スタート地点 遠登志渓谷 ( おとしけいこく )
3kmコース、スタート地点 県道47号線 大永山 ( だいえいやま )
10 : 22 道の駅マイントピ別子 出発、端出場大橋を右折。 新居浜別子山線 へ。
( 各コースの出発地点までバス移動 )
第1、第2清流橋を上り・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
10 : 33 5kmスタート地点新仙雲橋手前、遠登志渓谷 ( おとしけいこく ) 入口 到着。
10 : 34 遠登志橋へ 出発。
10 : 37 小女郎川に架かる「 遠登志橋 」へ。
遠 登 志 橋 ( おとしばし )
明治38年( 1905 ) 別子鉱業所臨時建設部が、排水路橋及び人道橋としてつくった鋼アーチ橋。
長さ48m、スパン37mで、現存する鋼アーチ橋としては、国内最古級のもの。鉱山の排水に
ついて、第三通洞の貫通(1902)とともにこれを総合的に処理するため、同通洞に側溝を切っ
て坑水路を設け、さらに第三通洞-端出場間と別子鉄道下部線沿いに端出場-山根-新居浜間に、
総延長約16kmの坑水路を設け、さらに第三通洞-端出場間と別子鉄道下部線沿いに端出場-
山根-新居浜間に、総延長約16kmの坑水路を設けることとし、明治38年( 1905 )11月に完成
した。遠登志橋もその役割を担っていた。平成5年(1993)、老朽化により、橋の通行が危険と
なったため、アーチ橋の上に新たに吊り橋を架けて人道とし、もとのアーチ橋を修復して当時の
姿を残した。平成17年(2005)12月26日に国の登録有形文化財となった。
橋の途中で Uターン。
恐々、遠登志橋から見た遠登志渓谷です。
遠登志橋を出て県道へ向かいます。
※ ここまでしか入力できていませんでした。
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遠登志渓谷 ( おとしけいこく ) をでる。
道路を横断歩道側へ。
鹿森ダム
とどろきはし
鹿 森 堰 提 昭和三十七年六月 施工
第二清龍橋
第一清龍橋
マイントピア別子へ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
旧端出場水力発電所跡
新居浜別子山線を左折
端出場大橋を入り
5kmコースは右折、鹿森住宅跡地登り口前の駐車場へ。
端出場貯蔵庫跡
鹿森住宅への登り口にある 大正8年 ( 1919 ) 完成。鉱石を貯めるための設置。
貯蔵庫の上には第4通道からの線路があり上から鉱石を落として貯蔵庫にあつめる
仕組みになっていた。
鹿森住宅跡入口
鹿森住宅跡
マイントピア駐車場の北側にある。ここは下部鉄道が二段に分かれているところで
レールは残っていないが下部の線路を横断して上段の線路の下のトンネルをくぐる
仕組みになっている。
鹿森の矢印に向かって・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
上段線路の下をくぐります。
トンネルを抜けると・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
空に向かって石段が続きます。
右、上部鉄道跡 ( 現在線路はありません )
続く石段 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
曲がりくねり石段は続きます。
いしがきが見えてきました
蛇かと想ったら !! 大きなミミズでした。
キケン ! 踏むなのプレートが。
危険な場所が何ヶ所かありました。
曲がりくねった斜面を登る。
鹿森索道終点。
鉄塔をくぐって入ります。
現在も残るタンク
鹿森住宅の施設見学をすでに終えた人とすれ違う。
頑張って、もうすぐよとすれ違う・・・・・・・・・・
鹿森半世紀皆記念
大正5年建設 鹿 森 昭和45年3月 閉鎖 2000年9月 建立
銅盤で作られた「 鹿森社宅 」のレリーフ
鹿森社宅跡
別子山最大級石のメインストリート
鹿森社宅の建設は大正5年 ( 1916 ) 7月からはじまりました。その翌年には270戸
の社宅がありました。全盛期には300戸、1300余りの人々がせいかつしていました。
鹿森には別子銅山の社宅最大の石づくりの階段があります。総延長は1,800メートル
にも及びます。鹿森の住人の約8割が通っていました。
鹿森の休日 昭和33年 ( 1958 ) 日和佐初太郎氏撮影
当寺、賑わいをみせていた鹿森社宅も、別子銅山の閉山に伴い、昭和48年 ( 1973 )に
55年の幕を閉じ、今では静かに緑の森へ戻ろうとしています。
鉄橋
日用品を運搬した貨車が走行していたそうです。
浴場跡。
共同浴場は、鹿森にたったひとつしかなく大変込み合っていたそうです。
現在ではしかりと組まれた石垣の中に、社宅のカマド、生協、倶楽部、共同浴場、
貯水タンク、小学校、神社など数多くの生活跡が残されているそうです。
この辺りでひきかえします。
昼食 ( 紅葉の下で、お弁当をいただきます )
昼食を済ませて、大急ぎで「はでば駅」へ
列車を撮りたかったのですが・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
バスの時間が近ずいたので・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
端出場大橋を渡り・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
路側帯で待っているマイクロバスへ。
12 : 30 1号車からクワハウス今治へ向かって出発。
13 : 20 クワハウス今治到着。
ウォーキング完歩承認印を押してもらいます。
13 : 28 市内循環送迎バス出発
13 : 50 大西支所 到着。
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お知らせ
2018年10月中頃から11月のブログは、新規アップロードの機能の終了予定に伴い
代替えサービスへ移管中で、新しいブログの入力の仕方等、分からないことが多く
完成していません。 時間のある時にゆっくりと入れてゆこうと思っています。
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上のような状況で時間もなく「 紅葉狩りウォーキング ( part 1 )」も、中々完成することが出来ませんでしたが、長引くコロナビールス感染拡大防止の為外出自粛により時間の余裕出来、最後までボツボツと入力することが出来ました。