~ 瑞応寺・えんとつ山・マイントピア別子 ~
先週17日の紅葉狩りウォーキング part 1に続いて、part 2は 新居浜市・瑞応寺から途中の「 えんとつ山 」ヘ登り、マイントピア別子までの距離をウォーキング登坂は凄~く疲れましたが、冬桜と紅葉の美しい風景を眺めながらとっても美味しくお弁当を戴きました。
7: 45 2号車大西支所 出発 ⇒ クアハウス今治へ。
8: 16 クアハウス今治 到着 ( トイレ休憩・不要の荷物は棚に置く )
8: 30 最初に乗ってきたバスに乗車・クアハウス今治出発。
8: 43 湯ノ浦IC ~ 9: 11 新居浜IC
9: 19 マイントピア別子駐車場到着 ( トイレ休憩・準備体操 )
準備体操。
9: 40 マイントピア別子 出発。 9: 56 ひかり幼稚園駐車場到着。
ひかり幼稚園 < 3km・5km スタート地点 >
① 瑞応寺 ( ずいおうじ )
瑞応寺は釈迦如来を本尊とする漕洞宗に属する寺で、鎌倉より月担和尚を招いて、
仏国山瑞応寺と名付けました。現在、漕洞宗最高の別格に位置しています。 本堂
近くにある樹齢800年をかぞえる大銀杏は、県指定天然記念物です。この老銀杏は
鎮守金毘羅大権現の奉祝にまつわる乳銀杏で、目通り8.5メートル、高さ27メートル
にもなります。
山門。瑞應寺専門僧堂
中門 ( 教體樓 )
本堂では法要が行われていました ( そ~っと静かに・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ )
今年の大銀杏は天候の所為でしょうか、色付きが遅いようです。
⇒ 2017年11月19日、ウォーキングで訪れた時は黄色い絨毯の上を歩きまた。
⇧ クリックして色付いた大銀杏を見てください。
大銀杏樹 ( 県指定天然記念物 )
瑞応寺は文安五年生子山城主松木越前の守景村公の建立によるものであるが、
天正十三年の役に生子山城落城の兵火にかかり戦後再建された、又 文政十一年
焼失の厄にあっている。明治三十年曹洞宗専門僧堂開設、禅門修行の名刹として
世に知られるに至った。
この銀杏樹は鎮守金毘羅大権現の奉祝にまつわる乳銀杏で、樹令八百年と推定され
目通り 八、五メートル、高さ 二十七メートル、の巨木で 昭和三十一年十一月三日
愛媛県の天然記念物に指定されている。
新居浜市 教育委員会 大銀杏樹 ( 県指定天然記念物 ) 説明板より
金毘羅大権現石段前の銀杏の木。
10 : 14 全員ゴール地点のマイントピア別子へ出発しま~す。
瑞応寺参道を下り・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
新居浜市立門野小学校裏の道へ。
内宮神社横に出る。正面に生子山 ( しょうじやま ) 煙突が覗いています。
国領川 ( 足谷川 ) を挟んだ向こう側の道路は県道47号線です。
内宮神社を右折し、(3kmコースは、直進しゴールのマイントピア別子へ )
( 5kmコースは、国領川に架かる生子橋 ( しょうじばし ) を渡り えんとつ山へ)
県道47号線を横断、「 えんとつ山 」入口へ。
坂道より、「えんとつ山」入口とその向こうに赤い「 生子橋 」
この辺りまで登ると足が中々前に進まない・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
お先にどうぞ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・と。
国登録有形文化財旧山根製鉄所煙突 145m地点 右折。
えんとつ山へ「行く道」と「帰る道」の合流地点です。
最後の階段を上る・・・・・・・・・・・。
えんとつ山 ( 旧山根精錬所と生子山 ) ⇒ 案内板拡大
長年、市民から「 えんとつ山 」の愛称で親しまれている「 生子山 ( 標高144.7m )
かって豊臣秀吉の四国攻めの舞台でもありました。明治21年 ( 1888 ) 住友家初代
総理人であった広瀬宰平は東京大学の教授であった岩佐巌 ( いわお ) を招き、この
地で湿式収銅法による収銅過程で、硫酸などの化学物質の抽出と更には、製鉄の試験
を開始しました。官宮八幡製鉄所の操業より、7年前のことです。
今では、高さ 20m の精錬所の煙突だけが残り、世界で短期間に追いついた、明治の
近代文化を、今日に伝えています。 旧山根精錬所煙突は、平成21年 ( 2009 ) に国の
登録有形文化財として登録されています。
えんとつ山より新居浜市街の風景。
えんとつ山を下りて、県道47号線 ( 新居浜別子山線 ) を横断、生子橋へ。
製錬夫像
「 製錬扶 」とは、砕かれた鉱石を焼き、その焼鉱を一番吹き更に
二番吹きと「 吹床 」で吹きわけ、実に2ヶ月間もの時間をかけて、
製品の一歩手前り「 あらどう 」の状態にする仕事に従事していた
人たちです。 ( 生子山の煙突は山根湿式精錬所用のものです )
生子橋 ( しょうじばし ) をわたり左折。
生子橋由来
生子山には南北朝時代南朝の忠臣越智俊村が、砦を設けて北朝側の細川軍と
戦い、室町末期には松木三河守がここに拠って小早川隆景の大軍と戦った。
明治二十一年現在の別子銅山記念館前広場に山湿式製錬所が設けられ、それと
同時に両岸を結ぶための生子橋が架設され、山頂には大煙突が建設されたこと
により、人々は以来煙突山と呼称し、昭和三年五月製錬所跡に大山積神社を
奉斎し、昭和四十八年別子銅山閉山後、神社境内の一角に別子銅山記念館を
設立した。 この橋下の立川溪谷の流れは別子ラインの関門として甌穴群が
ならび、美しい碧潭には、龍神伝説とちぎり淵の物語が伝えられてている。
昭和58年1月吉日 新居浜市長 泉 敬太郎” ( 生子橋横の説明板より )
生子橋より国領川 ( 足谷川 ) 上流の眺め 。
左側、県道47号線。ウォーキングは最初右側の道を歩きます。
国領川を挟んで県道47号線と「 えんとつ山 ( 生子山 ) 」
立川大師堂 からえんとつ山を眺める。
左、生子山トンネルと松山自動車道
崖の上は鉱山鉄道跡。
立川橋を渡り県道47号線へ。
立川橋より下流の風景。
別子山地域バス 立川橋バス停
左前方に龍河神社
やっと 端出場 ( はでば ) 大橋 が、もう一息。
やっと端出場 大橋へ着きました。
「 端出場 ( ハデバ ) 大橋 」。 ゼッケン確認。
マイントピア別子
道の駅マイントピア別子は、愛媛県新居浜市にある愛媛県道47号新居浜別子山線の
道の駅で。第1回の道の駅として1993年に登録。
マイントピア別子本館
泉寿亭 ( せんじゅてい)
昭和12年、住友各企業の迎賓館として建てられた京風数寄屋造りの純和風の建物
住友由緒の「 泉 屋 」を 「 寿 ( ことほ ) ぐ館 」として、泉寿亭と名付けられた。
この地に移されているのは、泉寿亭の客室用の玄関と客室の一部で、名板は 織田
子青の筆によるものです。
鉱山観光列車【 蒸気機関車別子1号 】車両編成 全長31.2mの鉱山観光列車は、平成31年3月1日にリニューアルしたそうです。
橋の上で待っていると鉱山列車が橋の下をくぐり端出場隧道 ( 中尾トンネル ) へ ・・・・・
【 マイントピアの冬桜 】
冬桜とは、山桜 ( ヤマザクラ ) と豆桜 ( マメザクラ ) が
交配して生まれた雑種のことです。 最近では名前の通り
冬 ( 10~1月頃 ) に咲く桜の愛称としても使われるように
なりました。花は中輪サイズで、白から淡いピンク色の小
さな花びらを咲かせます。葉っぱが小さいことから、小葉
桜 ( コバザクラ ) 、10~12月と4月の2回開花期があるこ
とから、四季桜 ( シキザクラ ) と呼ばれます。
どこからか、小さな虫が飛んできて蜜を吸っていま~す。
12 : 27 12時40分、マイントピア別子出発予定 ( 駐車場には観光バス・自
家用車で満車の為マイクロバスを止めるスペースがありません )
12 : 34 最初に乗ってきたバス2号車に乗車 マイントピア別子前を出発。
温泉で汗を流し休憩 ( 入浴中に雨が降ったようです )
15 : 30 市内循環送迎バス出発。
16 : 05 大西支所到着。
本日の歩いた距離・・・・・・・8.2km。 歩いた歩数・・・・・・・11.494歩でした。