おのぼりさん日記・2日目 ( 1 )   日光東照宮参拝 。

         日 光 東 照 宮 参 拝



天気予報は、東京を発つ時は雨の気配はありませんでしたが日光に到着
したころにポツポツと‥‥‥陽明門辺りで本降りになり、写真は大勢の人で
身動きが取れず傘と傘の隙間から写すので思ったように撮れず残念でしが、
バランス良く配置された社殿群が平成の大修理で漆や極彩色がほどこされた
美しく荘厳な空間を ( 本殿は改修工事中でした ) 参拝順路に沿って奥宮・
奥宮宝塔をぐるっと回ってUターン、約1時間足らずでしたが心に残る参拝
が出来ました。


  
6:10  ホテルのベランダより。  6:48  ホテルを出て朝食に。


  
   7:00  本館のレストランで朝食。


    
    今日は和食に。


  
  7:22  警視庁新宿警察署前


  
  新宿警察裏ロータリー



三井ビルディングの向こうに東京都庁が‥‥‥


      


  
  7:46  新宿センタービル前到着。


   
   8:07  新宿センタービル前出発。


   
   首都高速中央環状線


  
  左、隅田川と豊島橋


  


  


   
   この辺りから渋滞に・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


  


  
  救急車と消防車がなんだいも通り過ぎて行きます。


  
  9:16  何キロか前方に煙が見えます自動車は止まったままです。


  
  9:39  利根川橋入口辺りで事故があった様です
           ( 車が焼けて形が残っているだけでした )


  
  9:49  佐野サービスエリア到着 約10分間の休憩。


  


   
   10:35  


   
   10:54   


  
11:37  新宿を出発して3時間30分、やっと観光センター駐車場到着。


   
  
早速、ガイドさんの案内で日光東照宮へ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


  


   


  


  
  日光山輪王寺。時間があれば帰りに・・・・・・


 


  
  護摩


 


 


  
  石鳥居 ( いしとりい ) 重要文化財
 ご鎮座翌年の元和四年( 1618 )、九州筑前( 福岡県 )藩主黒田長政公に
よって奉納されました。 石材は、まず九州から船で小山まで運ばれ、その後
陸路人力でこの日光まで運ばれました。  ( 日光東照宮 社殿の概要・石鳥居より )


  
  11:50  石鳥居を入り境内へ。  


       
       五重塔 ( ごじゅうのとう ) 重要文化財
 慶安三年( 1650 )若狭の国( 福井県小浜藩酒井忠勝公によって
奉納されました。文化12年火災にあいましたが、その後文政元年(1818)
に同藩主酒井忠進公によって再建されました。
                  ( 日光東照宮 社殿の概要・五重塔より )



表門 ( 仁王門 )
東照宮最初の門で、左右に仁王像が安置されているところから仁王門とも
呼ばれています。          ( 日光東照宮 社殿の概要・表門より )


 
 とにかく大勢の人です。やっと仁王門の石段へ・・・・・・・・・・


  
仁王像 ( 吽形 ) 左側             仁王像 ( 阿形 ) 右側
右側の仁王像( 阿形 ) は正面から写すことが出来ませんでした。


  
 表門を入ると右に下神庫、正面に中神庫、その左に上神庫の三神庫が続く。


 
  三神庫(さんじんこ)重要文化財
上神庫・中神庫・下神庫を総称して三神庫と言い、この中には春秋渡御祭
「百物揃千人武者行列」で使用される馬具や装束類が収められています。


 


       


    
 上神庫の屋根下には「想像の象」( 狩野探幽下絵 ) の大きな彫刻が
 ほどこされています。


 
 上神庫正面。


 
 神厩舎・三猿( しんきゅうしゃ・さんざる )重要文化財
神厩舎は、ご神馬をつなぐ厩( うまや )です。昔から猿が馬を守るとされて
いるところから、長押上には猿の彫刻が8面あり、人間の一生が風刺されて
います。中でも「見ざる・言わざる・聞かざる」の三猿の彫刻が有名です。


  
   「見ざる・言わざる・聞かざる」の三猿の彫刻


 
神厩舎をぐるっとまわって彫刻をもっと見たかったけど時間の制限が・・・



青銅鳥居。

       
  
青銅鳥居越しに陽明門を入れかったけど何しろ人が多すぎて無理でした !!


 
 陽明門下石段。


 


  
  鐘楼


 
  廻廊( かいろう )国宝
陽明門の左右に延びる建物で、外壁には我が国最大級の花鳥の彫刻が飾られ
ています。いずれも一枚板の透かし彫りには、極彩色がほどこされています。



陽明門( ようめいもん )国宝
日本を代表する最も美しい門で、宮中正門の名をいただいたと伝えられて
います。いつまで見ていても見飽きないところから「日暮の門」ともよばれ、
故事逸話や子供の遊び、聖人賢人など500以上の彫刻がほどこされています。


      
      後水尾天皇の直筆による「 東照大権現 」の扁額
      ( 東照大権現とは後陽成天皇より送られた徳川家康公 死後の別名 )


   
 陽明門の門内部の天井には狩野探幽作の昇り龍と降龍が描かれています。
 昇り龍は別名で「八方睨みの龍」降龍は別名で「四方睨みの龍」と呼称。
 人の波に押されて画像は昇り龍のみに・・・・・・・・・‥‥。


        
        日光東照・宮陽明門の随身像 「右大臣」
        「左大臣」は写すことが出来ませんでした。



陽明門を入ると正面に唐門・透塀・拝殿が・・・‥‥・・・‥‥傘が邪魔をして !!


  
  唐門( からもん )国宝
全体が胡粉 ( ごふん )で白く塗られ、「 許由と巣父( きょゆうとそうほ )」や
舜帝朝見の儀( しゅんていちょうけんのぎ )」など細かい彫刻がほどこされて
います。

 
  


   
   坂下門・廻廊へ 眠り猫を見物に。


       
       眠り猫 ・ 左甚五郎作
  寛永十二年(1635 )に建てられた廻廊の欄間に彫られたもので、
 名工左甚五郎が彫刻したと言われています。天敵である猫が居眠りを
 して雀が踊っている姿から江戸幕府が開府し平和になった事を象徴し
 ていますが、場所によっては猫が薄め目を開け爪を立てているように
 見え、この奥に徳川家康を埋葬した奥宮があることから侵入者には断固
 として拒否する姿勢が窺えます。


   
   正面の眠り猫。


   
   裏側に踊つている雀の彫刻。


   
   見方によって表情が変わって見えます。


       
       坂下門を出て奥宮へ。


 


       


  
坂下門からの207段の石段を昇った先には奥社の入口となり銅鳥居が建って
います。この銅鳥居は 天和三年 ( 1683 )に5代目将軍徳川綱吉公が奉納
した鳥居であり、鳥居の扁額(へんがく)は後水尾天皇の勅筆になります。


  
  御宝蔵・奥宮銅神庫 ( 国指定重要文化財 )
 御宝蔵は承応三年(1654)に建てられた、桁行3間、梁間2間、寄棟、
銅瓦葺きの建物です。 ここにはかつて家康公の甲冑や刀剣などのご愛用の
品々や、位記(いき=天皇から授けられた官位を証明する書状)などの書物が
収められていました。かつては「宝蔵(ほうぞう)」と呼ばれていました。
現在、これらの品々のほとんどは日光東照宮宝物館などへ移されています。


  
狛犬 ( こまいぬ )
 御宝蔵の前に建立されている狛犬は「 松平右門大夫正綱、秋元但馬守泰朝
両氏の寄進。二氏は家康公の遺臣であり、寛永年間当宮造営の功により特に
奉納を許された。」とあります。松平正綱は家康の側近で玉縄藩初代藩主。
当時は駿府城詰めで家康の死後は久能山の埋葬や日光改装にも関わり、日光
東照宮の造営や参道の整備などに尽力しています。秋元泰朝も家康の側近で
総社藩主、寛永十三年(1636 )の日光東照宮の造営では総奉行を務めてい
ます。


 
 石段を上り奥宮へ。


  
  拝殿 ( 重要文化財 )
 かっては歴代将軍のみしか昇段が許されなかった場所です。
拝殿は奥の宝塔に眠る「神となった家康公」に祈りを捧げるための場所です。
拝殿を表側から観ると黒漆が基調として塗られ、細部には金の装飾が施され
正面には蔀戸( しとみど )が見え、まるで貴族の邸宅を偲ばせますがすが、
内部は打って変わり、金色柱や極彩色で彩られています。殿舎の入口は重厚な
造りの桟唐戸、壁面は上下に開閉式の蔀戸が設けられ殿舎を取り巻いています。


  
  鋳抜門 ( いぬきもん )
 鋳抜門 ( いぬきもん )は扉部分以外を唐銅の鋳造によって製造された門です。
「鋳抜門」の「鋳抜」の由来とは、鋳型による製造工程の技法のことで基礎
となる扉部分以外の屋根・柱・桟などの部分を鋳型で制作し「鋳抜」で型を
取り出した事からこの名前が付されています。「鋳抜」とは、鋳型に溶かし
た金属を流し込んで、冷めて固まった金属を取り出す際、鋳型後部の穴から
棒状のもので突いて鋳型を取り出すことから「 鋳抜 」の呼称が付されてい
ます。創建当初は石造りの門であったと伝えられ、当時の石造りの門は現在、
日光東照宮宝物館の横に展示されています。ちなみに唐銅とは「金・銀・銅」
を溶かして造られた合成金属(合金)になります。


 
 奥社宝塔・重要文化財
 塔の下には8角形で9段の石が積まれて基檀とし、その上に宝塔が建て
られています。この宝塔の下で家康公は永眠され、つまり家康公の遺骨が
あることになります。ただし、創建以来誰も掘り出したことがないので、
現在までも本当に家康公の遺骨が実在するのかは不明とされています。
尚、家康公の遺骨は「 神柩(しんきゅう)」と呼称される柩の中に収められ
ていると伝えられています。創建当初の宝塔は木造であったとされ、後に
石造りとなり、1683年(天和3年)に現在の唐銅製に造り替えられています。
実は1683年に東照宮で大規模な地震があり、その際、奥社の一部の建造物が
損壊しています。 その後に奥社建造物は再建され、現在見ることのできる
ような唐銅製に造り替えられています。


       
 実はこの奥社宝塔には日光東照宮でもっとも強いパワーがある場所として
有名になっているそうです。家康公が眠っていたことや、江戸時代は誰も立ち
入ることすら叶わなかったことから、パワーがこの空間に閉じ込められ、逃げ
ることなく蓄積され続けていたことが理由として挙げられます。
パワーの源泉である家康公が眠るというだけでも、相当なパワーを放っている
よ筈ですから、計り知れないパワーが蓄積されているそうですよ。


 
 奥社宝塔の脇の叶え杉


       
       叶杉・樹齢約六百年
諸所の願い事を、この杉の祠に向かって、唱えると願い事が叶うと伝えられ
ている   御参拝の皆様には叶杉の御霊わけとして叶鈴守りを特別に授与しております。
                       ( 叶杉前の駒札より )


  
  御朱印の授与場所は奥社(奥宮)の社務所になります。


  


     
  拝殿前社務所にて御朱印をいただく。


  


 


  


       


  
  まだまだ大勢の人が奥宮へと・・・・・・・・・・・・・・・



  


  


  


  
  御本社の拝観は大勢の人で諦めました残念。


 
 12:35  陽明門を出ます。


  
陽明門裏側「 獅子の像 」


 
 陽明門前からの風景です。


  
  鼓楼と陽明門の回廊の間を通り、薬師堂 (本地堂 ) へ。


     
   日光東照宮の拝観券に「 鳴龍 」の半券がくっついています。
  お坊さんの誘導で最後尾に並びましたが前に進む気配なし・・・‥‥
  早くて15分〜20分位かかるそうです。集合時間に間に合わなく
  なるので残念「 鳴龍 」も諦める。


  
  本地堂 ・ 薬師堂 ( 国指定重要文化財 )
 寛永十二年本(1635)創建。桁行7間、梁間5間、入母屋、銅瓦葺き、
平入、3間向拝付き、規模としては東照宮最大の建物です。神仏習合時代は
東照宮の祭神である東照大権現徳川家康の御霊)の本地仏薬師如来だっ
た事から本尊として薬師瑠璃光如来像が祀られ薬師堂とも言われていました。
天井には狩野派の狩野永真安信が描いた8mの竜がありその下で手を打つと
鳴き竜現象が起こりましたが、昭和三十六年(1961)に火災により焼失し、
その後再建、現在見ることが出来るのは日本画家 堅山南風の手で昭和42年
( 1968 ) に描かれた復元画です。


   
   「 鳴龍 」          ( 鳴き龍の画像お借りしました )


  


   
   輪蔵(国指定重要文化財
 輪蔵は寛永十二年(1635)に建てられ、桁行3間、梁間3間、宝形造り、
銅瓦葺き、裳階付きです。朱色と金が基調で組物と彫刻が極彩色で彩られ、
内部には八角形の回転式の書架があり、一切経1635456部、6325巻が納め
られていました。


  


  
  表門 ( 仁王門 ) 裏側、獅子の像も、写したかったのですが・・・‥‥


 


  
  集合時間が過ぎてしまいました大急ぎで 富士屋観光センターへ。


  
  12:51  富士屋観光センター2階食堂へ。


   


  
  ご馳走さま美味しく戴きました。


  
  13:23  富士屋観光センター駐車場 出発。


  


  
  これより観光バスは「 紅葉巡り華厳の滝散策 」へと・・・・・・・・・・・・・。