大西町 星浦地区 〜 ブルーベリー園

   大西町 星浦地区 〜 ブルーベリー園 ( 2018-08-11 )


       
 8月の歩こう会史跡巡りは、星の浦海浜公園に集合 ① 五郎兵衛大師、
② 碇掛天満宮、 ➂ 星神社、④ 越智岩太郎記念碑、⑤ 城道寺、⑥ 客神社、
⑦ いぼ石、等を巡り、ブルーベリー園へ行く予定を、熱中症対策として、
① 〜 ④ までに縮め こまめに水分補給に気をつけます。この猛暑の中 1人
で歩くのは困難です。皆さんとお喋りをしながら楽しく歩けることに感謝。
無事ゴールの星の浦海浜公園に到着後。ブルーベリー園へ車で移動、手作り
ピザやブルーベリージュースなどを美味しくいただきました。


  
  星の浦海浜公園は 国道196号線 ( 今治街道 ) 海岸沿いにあります。


  


   
  星の浦海浜公園は 平成六年に完成。美しい遠浅の海岸で、すぐ沖に
 新来島どっくの建造船が見えます。公園内には、上から見ると星の形に
 見えるビラミット型の石のモニュメントやタイル絵、遊歩道が整備され
 ています。昔、このあたりに星の神が天降ったという伝説があり、地名
 が星浦となったようです。 実際に星の神 ( 隕石 ) は近くの星神社の
 祭神となっています。     ⇒ 星の浦海浜公園案内図 拡大


 
      環界一錐の生成(空から星が降ってきた)

      大西町 星の浦海浜公園 モニュメントプロジェクト1993
  コンセプト 空から星が降ってきた

  海からの涼しい風に吹かれ 夜空を見上げる親子がいた
  子 あ、ひとでだ いっばいいるだろ
  父 あれは星だ
  子 ちがうよひとでだよ
  父 なぜ空にひとでがいるんだい
  子 空の海だからだよ
  父 空は空、海は海だ
  子 ひとでは夜になると上の海に行って 夜が終るころ下の海にもどるんだ
  父 おかしなことをいうやつだ
  子 だったらみててよ
  しばらくすると、黄色い糸を引いて無数の星が、ジャホジャボと音をたてて
  海に降ってきた、二人の目の前にも一つの星がつきささった。
  子 ほ一らね、もどってきただろ
  父 ・・・。

  計画 橋本清孝    アトリエ 香川県木田郡庵治町3210
                ( 星の浦海浜公園 モニュメント説明板より )


  
  9:00  星の浦海浜公園集合。  予定時間10分前に到着。


 
 海岸へ。 


 


  
  遊歩道。


  
  芝生広場から遊歩道をつなぐ木の橋。


  
  本日の参加者は 16名です。


   
   歩こう会 井手上先生の挨拶。
   本日の案内は、前大西史談会々長青井三郎さんです。


  
  9:04  其々が自由に準備体操を行います。


  


  
  熱中症対策として史跡巡りは7ヶ所の内4ヶ所に変更となりました。


  
  9:10  星の浦海浜公園バス停前 出発。


  
  星浦河口手前の横断歩道を渡り、正面山裾の 1 五郎兵衛大師へ。


   
   星の浦橋を渡る。



  
 道路側橋の欄干に「 星の浦橋 」の橋名板。歩道側に「 星之裏町道橋 」
 の橋名板がありました。


  
  国道196号線沿いの小さな祠の中にお大師さんともう一つの石像が
 祀られています。


   
   ① 五郎兵衛大師


     
     五郎兵衛大師は、悪病悪霊の侵入を防ぐお大師さんとして
    信仰されています。


  
  国道196号線を左に入り山沿いに碇掛天満宮参道口へ。


     


 
 JR 予讃線


  


  
  JR 予讃線 天神踏切りの手前が参道口になっています。


   
   石垣に沿ってのぼると。


  
 碇掛天満宮の大鳥居前にでる。鳥居の正面から下に降りる石段があり線路の
 手前で途切れています。鉄道が通ったことで参道が分断されたようです。


   


 鳥居前には「 菅金助君碑 ( かんきんすけくんひ ) 」が建っており、石碑には
 大きく不撓不屈 ( ふとうふくつ ) と刻まれています。あらゆる困難に立ち向か
 い様々な事業に成功しただけでなく、世のため人のために尽くした人です。
 特に昭和21年、前年の台風で破壊された平田池 ( 新池 ) を復興させた功
績は大きく、それらの功績をたたえ昭和25年記念碑を建立しました。


       
              不 撓 不 屈
  菅金助君碑
 君ハ明治廿九年六月一日小西村星浦ニ生ル幼時家貧具サニ 艱苦 ( かんく ) ヲ嘗 ( な )ム
十六才 決然備後因島 ( けつぜんびんごいんのしま )ニ赴 ( おもむ )キ 三庄造船所ノ徒弟ト
ナリ 後播磨造船所 鳥羽造船所の組長ニ進ム 大正九年 独力菅組ヲ 創立ス 翌年 名勝伊勢
二見浦 名勝夫婦岩復旧ノ難工事ヲ完成ス 齢時ニ 廿六 同十二年東京ニ出テ 関東大震災
復興事業ニ従ヒ 夙 ( つと )ニ 盛名ヲ馳ス 昭和ニ 至リ 鉄骨建築物ノ組立及諸機械ノ運搬据     
付ノ技術ハ 君ノ右ニ出ズル者ナシト称セラル 秩父葛生ニ於ケル四轉釜及室蘭小樽釜 石廣畑
尾道 佐世保清津等ニ林立セル大起重機及ニ船橋ニ聳列セル 元海軍ノ大無線電信鉄塔ハ今尚
君ノ偉功ヲ窺フニ足ル 昭和九年君出郷後 廿四年ニシテ錦衣帰国スルヤ厚ク親戚故旧ヲ犒ヒ
氏神菩提寺 出身小学校ニ謝恩ノ誠ヲ捧グ 同十二年以降多年ニ亘リ毎年 牛数頭ヲ村ニ寄付  
シ以テ貧農ヲ潤す同廿年九月ノ台風ハ星浦ノ新池ヲ破潰シ惨害名状ス可ラズ修理ニ要スル
村民ノ負担実ニ莫大ナリ君深ク之ヲ憂ヒ自ラ星浦復興団長トナリ進ンデ青年男女ヲ督励シ
君一流ノ工夫ヲ凝シ其復興ニ全力ヲ傾注ス 同廿一年五月竣工一村漸ク蘇生ス 又東京ニ於テハ
住居ノ大島町其他ニ多大ノ金品ヲ喜捨シ 慈善ノ挙ニ出デタルコト数フルニ遑ナシ 同廿二年夏
丗一日逝ク享年五十二君ハ一介ノ徒弟ヨリ身ヲ起シ刻苦研鑽 其間卓越シタル技能ト含蓄深キ
徳性ヲ涵養シ任侠ニ富ミ然諾ヲ重ンジ常ニ部下ヲ愛育シテ倦 ( う )マズ 又自ラ持スルコト最モ
薄ク只菅公共ニ尽瘁 ( じんすい )ス 真ニ當代稀ニ見ル偉人ナリ滋ニ君ヲ慕フ者相謀リ記念碑ヲ
建テ言行録ヲ編ミ君ノ遺徳ヲ不朽ニ傳ヘントシ碑誌ヲ余ニ嘱ス余ハ多年君ト莫逆ノ友タリ乃チ
敢テ斯ノ文ヲ撰ス
   昭和二十五年四月     従三位勲二等 池田敬八題額並選    埜本白雲書  


  
  ② 碇掛天満宮  星浦村旧村社
 祭神:菅原道真公・天穂日命・白大夫
 相殿:大山祇命猿田彦神等十二柱
 宇多天皇の仁和四年 ( 888 ) 三月讃岐の国の国守であった菅原道真公が
伊豫の国を視察して帰る途中、大しけにあわれ、星浦に碇を止めて上陸、
カゴノキ大木の傍らの津の神に安隠を祈りました。その後、天慶五年 ( 942 )
大宰府より菅原道真公の御神霊を請勧しました。 難を逃れた碇石が残された
ことにより、碇掛天満宮と呼ばれるようになりました。
 碇石は讃岐で採取されるサヌカイトでできていて、境内に祀られています。


   
   9:26  大鳥居を入る。


  
参道には幾つもの石段があります・・・・・・・・・・・・・・


   
   注連石 ( しめいし )


   
   石段の脇には歩道もあります。


   
   寶来荒神社 ・大山祇神社 前の鳥居。


   
   左、国造りの神 寶来荒神社。 右、 山の守護神 大山祇神社


  
  狛犬


  
  燈籠。


  
  参道を横切っているのは碇掛天満宮境内裏に通じる車道です。


  
  石段を上った左側に若宮神社 ( 地鎮の守護神 )


 


  


   


  
  拝殿。


   


  


   
  

   
   天神様と牛
  天神さまと牛にまつわる説話はいろいろありますが、一般的には菅公が
 自分の遺骸を車に乗せて人にひかせずその牛の行く所に止めよと自らご遺言
 されその牛は黙々とひいて大宰府の四堂のほとりでにわかにうづくまり動か
 なくなりその地に埋葬した道真公がいかに深く牛を愛しておられたかがわか
 ると思います
  いつの頃からか自分の患部と同じ牛のところを交互に撫でると全快する
 頭を撫でると知恵がつくとの信仰があります
                      ( 台座の天神様と牛説明文より )


  


   
   海上の守護神、保志崎神社・教導の神、御先神社


  
  境内の裏側の車道を下ります。


  
  車道が参道を横切っています。


  


  


  


       


  


  


   


   
  少し歩いて右折、この辺りには伝説のカゴノキを見ることができます。
  昔この辺りまで海だったそうです。

  
  


  
  ➂ 星神社
 星浦幟立にある星神社は隕石を祭ったお宮です。昭和十二年創立六百年祭を
行っているので創建は南北朝時代になります。そして隕石が落ちてきたのも
その頃と想像できる。昭和九年旧八月の神社再建の棟札に当時の神主、世話人
の名が挙げられている。 それより百年余り前の弘化三年 ( 1846 ) の棟札に
よると野間郡星浦星浦村星大明神拝殿社を再興し奉るとあり神主、小池備前
藤原篤忠、庄屋越智為之助、組頭五右衛門、同七左衛門の名が記され、裏には
産子村中繁栄を祷ると書かれ建築にあたった宮脇村大工栄治の名もみえている。


   
   隕石は大切にお祀りされています。


  


  


  
  川沿いの広い道路に出ます。


  
  

  
  越智岩太郎翁記念碑前へ。
 干害に苦しんでいた農民の為に弘化四年 ( 1847 ) に一身を捧げて平田池
 ( 新池 ) を普請しました。その功績をたたえ大正十二年 ( 1923 ) 記念碑を
 建立しました。


        
        ④ 越智岩太郎翁記績碑
  越智岩太郎翁為星浦庄屋人也。夙憂下此地無潅水途加早魃瀕々農民困憊有
 不可名状物。弘化四年遂起役設溜池於字有木。以備用水。池積九段貯水豊而
 得能養共稲田使後人免災禍於永遠矣。乃部落民相議叙其偉績以伝諸不朽矣。
 大正十二年四月建立
  読み下し文
 越智岩太郎は星浦の庄屋の人也。夙に下此の地潅水の途( みち ) なく加えて
 旱魃 ( かんばつ ) 瀕々 ( ひんひん ) 、農民の困憊 ( こんぱい ) すべからざる物
 あるを憂う。
  弘化四年 ( 1847 ) 遂に役を起し、溜め池を字有木に設ける。以て養水を
 備える。池積九段、貯水豊かにして能 ( よ ) く共に稲田を養い使後人災禍を
 永遠に免れるかな。よって部落民相議しその偉績を叙し以て諸不朽に伝うかな。
 大正十二年四月建立              ( 大西の文化財より )


  
  この先には ? 城道寺、? 客神社、? いぼ石がありますが今日は
  ここまで、星浦海浜公園へ戻り、ブルーベリー園へ車で移動します。


  
  

  
  星浦に新しく芝桜の名所が生まれました。


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    今治・大西 住民丹精シバザクラ見頃 2000株が満開


 愛媛県今治市大西町星浦の農道のり面
約150メートル区間に地域住民でつく
る「星浦保全会」( 越智正直代表 )が
植えたシバザクラ約2000株が満開を迎え
帯状に咲き広がるピンクの花がのどかな
田園地帯に彩りを添えています。
 ( 2018年4月14日 愛媛新聞より )  
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  星浦踏切。


  


  


  


   


  
  10:20  星浦海浜公園の芝生広場、藤棚したのベンチで休憩。


   
  来月9月8日の歩こう会は別府地区です。集合の別府集会所の説明。
  一応ここで解散。ブルーベリー園行きは何台かの車に乗り合わせて。   


  
  10:29  それぞれ自動車に乗り合わせ星の浦海浜公園を出発。


  
  国道196号線から星浦橋手前、天満川沿いの道路を ④ 越智岩太郎記念
 碑前を通過、中止になった ⑤ 城道寺を右に、⑥ 客神社石段を左に眺め
 天満川に架かる「 ドンド橋 」を渡り右側に ⑦ いぼ石を眺めながら
 更に上り………


   
   農免道路へ出て菊間方面へ向かいます。   


  


    
  10:42  白石農園到着。


  
  ハウス奥の輪投げに挑戦・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


  


  


    
    先ずブルーベリージュースを。


  


    
    11:30  最初のピザが焼きあがりました。
     大きいので幸子さんと半分個にして美味しく戴きました。


  
歩こう会の皆さんはピザのトッピングを全部お任せしたので農園のご夫婦は
てんてこ舞いの忙しさ !! ( ※ 自分でトッピンクをすると100円安くなります ) 


  
  こちらはピザ体験、先ずガス抜きめん棒を使って生地を丸く平らに
  のばします。


  
のばした生地の上にトマトソースを塗り、容器に入った具材 ( トマト・ナス・
カボチャ・キノコ・オクラ・ピーマン・タマネギ・ハム・ソーセージ・ベー
コン ) 等の好きな具材をトッピングします。


  
最後にチーズをまんべんなくのせると出来上がりです。


  
   窯に入れて約5分で美味しいピザが焼きあがります。


  ⇒ 2016年8月17日、孫達もここブルーベリー園でピザ体験をしました。
        クリックして見てください。


        
      カラフルなレインボーシャーベットの出来上がり。

  
   
   
   注文は、虹色シャーベットがよく似合う可愛い少女でした。



  


  


  
  12:13  現地解散 ( 大西以外の方はここで解散 )


  
  12:25  御手洗先生の車に便乗、星浦海浜公園到着。
        私は原付バイクを左の木の陰に止めています。


   本日の歩いた距離 ・・・ 4Km。   歩いた歩数 ・・・ 4168 歩。