栗林公園の紅葉
国の特別名勝に指定されている文化財庭園の中で、最大の広さを持つ栗林公園は、緑深い紫雲山を
背景に六つの池と十三の築山を巧みに配し、四百年近い歴史を誇る江戸初期の回遊式大名庭園として、
すぐれた地割り、石組みを有し、木石の雅趣に富んでいます。
春夏秋冬と四季折々の風物にも恵まれ、ここに咲く花々は、一千本もの見事な手入れ松とともに、
一歩一景といわれる変化に富んだ美しさを醸しだします。
長い年月をかけ、多くの人たちによって受け継がれてきた、栗林公園はかけがえのない文化遺産です。
( 特別名勝 栗林公園パンフレットより )
10:42 国道11号線沿いの常盤橋を入る。
栗林公園の沿革
栗林公園の起こりは、16世紀後半、当地の豪族佐藤氏によって、西南地区に築庭されたことに始まると
いわれ、1625年頃に当時の讃岐国領主・生駒高俊公によって紫雲山を背景に南湖一帯が造園され、現在の
原型が形づくられました。
その後、1642年に生駒氏に代わって高松に入封した初代高松藩主・松平頼重公 ( 水戸光圀公の兄 ) に
引き継がれ、1745年5代頼恭の時に園内六十景命名をもって完成し、明治維新に至るまでの228年間、
明治8年に県立公園として一般に公開されるようになり、昭和28年には文化財保護法による「 特別名勝」
に指定され、今に至っています。
( 東門前 栗林公園の沿革説明板より )
東門 ( 切手御門 )
券売所・入り口 ( 一般・団体 )
讃岐民芸館
ここはトイレの入り口です。
商工奨励館
正面の山は紫雲山
お手植松
芙蓉沼 ( ふようしよう ) に架かる 石梁を渡ります。
潺湲池 ( せんかんち )
裏側の道へ
枕柳亭
潺湲池 ( せんかんち )
紫雲山麓の清水が潺湲と流れるさまを意味して名付けられた潺湲池。
明治末期の改修で狭くなったが、小石にあたる水流で水面の輝きが
感じられる。池泉で本園の六大水源の一つとなっている。
( 潺湲池 ( せんかんち ) 前の駒札より )
日暮亭
かって江戸時代に「 日暮亭 」と称する茶屋があり、その後撤去された跡地に、明治31 ( 1898 ) 年、
石州流の茶室として再建されたものである。
平成11 ( 1999 ) 年、保存修理、腰掛待合及び路地の再整備等一連の復元整備工事により、往時の
姿を取り戻した草庵の茶質である。
( 日暮亭前 駒札より )
石壁 ( 赤壁 )
野趣に富んだ西湖の景を支えている石壁は、" 赤壁 " とも呼ばれ中国の揚子江左岸にある景勝地で、
詩人蘇軾が「 赤壁賦 」を読んだことで有名な赤壁に因んで名づけられたとも言われている。
自然の岩盤を巧みに取り込んだスケールの大きい庭景を造り出している。
旧日暮亭 ( 高槃亭 ) について
松平2代藩主頼常のこ頃、南庭の東南隅に高槃亭という官休庵流の茶亭があったが、その後、5代
藩主頼恭のときに園内の中央に移築され「日暮亭」と改称されていました。明治4年に園外の私人宅へ
移築されるなど、この建物は、様々な変遷を経てきたものですが、昭和20年、関係者の尽力により
再び園内に「新日暮亭」として甦った由緒ある茶室です。平成23年に歴史的経緯を踏まえ、現在は
「旧日暮亭」と改称しています。なお、建物の名(日暮亭)を記した扁額が屋外にかかっていましたが、
経年劣化を防ぐため防虫処理を施し平成28年より暗所にて室内保存しています。建物の構成は、茶室と
水屋及び腰掛待合であり、茶室内部に土間を持つ珍しいものです。三畳の畳と三畳の広さの土間があり
大名茶席らしく大きな開口部である貴人口が西面にあります。天井は杉皮を貼っており田舎屋風の造り
となっています。外周りは、茶庭では珍しく藤棚が設けられており、豊島石を用いた灯篭や流れの中の
「 降り蹲踞 」などが配置され、趣のある風情を醸し出しています。
旧日暮亭は12月1日現在公開中止でした。
中止期間は 平成30年3月11日 ( 日 ) ~ 平成30年12月28日 ( 金 ) 迄です。
降蹲踞 地形のやや低いところに蹲踞 をおいて、手水を使う形式いう。
戞玉亭跡の降蹲踞
この水流の北に沿って、茶亭(戞玉亭跡(かつぎょくてい))があったが、松平5代藩主頼恭公
のころ、扇屋原(講武榭(こうぶしゃ))に移築された。この茶庭に使われた「降蹲踞(おりつく
ばい)」がその後も残り、現在もおの水流の中にある。 これは茶道上、また本園の歴史の上より
貴重なものである。また、蹲踞(つくばい)の手前にある円形の井筒内の水は、上の池(涵翠池
(かんすいち))から送水され、水が沸き上がるように仕掛けられている。
桶樋滝 ( おけどいのたき )
西湖(せいこ)の石壁(いしかべ)を流れるこの滝は、藩主の観賞用としてつくられた。紫雲山
(しうんざん)の中腹に置いた桶まで人力で水を汲み上げたことから桶樋滝(おけどいのたき)と
いう名前がついたと言われている。現在は、西湖(せいこ)の水をポンプアップし流水している。
この池は「睡竜潭(すいりゅうたん)」といい、ジグザクの橋は津筏梁、
向こう側の島を「慈航嶼(じこうしょ)」と言うそうです。
慈航嶼の向こう側の橋「 到岸梁 ( とうがんりょう ) 」で和服の女性に・・・・・・
外国の可愛いお嬢さんです。
南湖
南湖は和船で遊覧することができる。和船は以下3つの島、楓嶼(ふうしょ)、天女嶋(てんにょとう)
杜鵑嶼(とけんしょ)、偃月橋(えんげつきょう)と4つの岩を組み合わせた石組みの仙磯(せんぎ)を
遊覧する。3つの島には不老不死の薬があり、仙磯(せんぎ)には仙人が住んでいるという言い伝えを
表したもの。
掬月亭(きくげつてい)
涵翠池(かんすいち)
掬月亭(きくげつてい)西の池。涵翠池(かんすいち)は、翠(みどり)を涵(ひた)すと
いう意で、石組の素晴らしい中島の揺島(ようとう)の木々だけでなく、背景となっている紫雲山
(しうんざん)の自然を含めた意図で命名したものである。
11:46 どこからか松の木にアオサギが飛んで来ました・・・・・・・・・・・・・!!
誰かを待っているアオサギさん。
掬月亭(きくげつてい)
江戸初期の頃(1640年頃)に建てられた回遊式大名庭園の中心的建物であり、歴代藩主が大茶屋と
呼び最も愛用した建物である。1745年に、松平5代藩主頼恭公が、中国の詩人于良史(うりょうし)の
詩の一句「水を掬すれば月手にあり」からとって、掬月亭(きくげつてい)と命名したものである。
掬月亭のお弁当を景色を眺めながら戴きました。
とっても上品なお味でした。
アオサギは飛び立つ様子もないのでまた写真を撮りに・・・・・・・・・・・
根上り五葉松 ( ねあがりごようまつ )
天保4(1833)年、徳川11代将軍家斉公より松平9代藩主頼恕(よりひろ)公が参勤交代の時
拝領した盆栽を地に下ろしたものが成長したといわれる。
渚山(しょざん)
一三大三坡(じゅうさんだいさんぱ)のひとつ、渚山(しょざん)には美しい松が植えられ
ており、汀線は優美な曲線を描いて伸びている。ここから南湖を望むと、右には掬月亭(きく
げつてい)、左は飛来峰(ひらいほう)と偃月橋(えんげつきょう)ほか、多彩な南庭の見ど
ころを一望できる景勝地となっている。
渚山(しょざん)から 掬月亭(きくげつてい)を望む。
根上り五葉松 ( ねあがりごようまつ ) もよく見えます。
古理兵衛九重塔 ( こりへえくじゅうのとう )
松平初代藩主頼重公の「お庭焼」として正保4(1647)年に京都から招いた紀太理兵衛重利
(きたりへいしげとし)が焼いた九重塔である。
偃月橋(えんげつきょう)
園内で名のある14橋のうちの一つで最も大きい橋であり、その名は弓張り月が湖面に影を映す姿に
似ていることからこの名があり、反りをもった美しい大円橋である。
小松亭( こまつてい ) へおりる。
偃月橋(えんげつきょう)の上から Kengisan がてを振ってるよ。
和船乗り場から迎春橋の方へ観光船が・・・・・・
船頭さんは ポーランド人のレシエックさんです。
ちょっと一枚撮らせていただきました。
もう渡し船は飛猿巌 ( ひえんがん) 前に。
和船は南湖を一周して迎春橋へ。
迎春橋をくぐり抜けて船着き場へ。
飛猿巌 ( ひえんがん)
荒々しさが印象的な飛猿巌の石組。本園の中で最も大きな石組みで、このような
大きな石組みを高く積み上げたような組み方は、江戸時代に発達した築城の手法を
取入れたものといわれている。
飛来峰(ひらいほう)
飛来峰から眺める南湖を中心とした奥行きのある景観は、本園を代表する絶景の一つ。
藩主が江戸を懐かしみ、富士を模して造らせたと伝えられる築山で、”飛来峰 ”という名称は、
吹上亭 ( ふきあげてい )
石の間から吹き上げるように吹き出る噴泉の吹上は、本園の東南端に位置する当園の水源地であり、
曲水の宴が行われたともいわれている。
ここから飛来峰(ひらいほう)へ。
飛来峰(ひらいほう)からの眺め。
偃月橋(えんげつきょう)
池に沿って歩いていると若いカップルに写してくださいと、
二つのカメラで写しました。
偃月橋を渡ろうと・・・・・・・ !! 写真を撮っているので引き返す。
揚橋 ( あげはし )
園内で名のある14橋の一つである。かつて和船(わせん)で北湖と南湖を往来する時には、橋の
敷板を揚げて船を通したことから名付けられた橋名といわれている。 現在は、規模も大きくなり
敷板を揚げることはできない。
写真右側が北湖、左側が南湖へ通じている。和船は左側から迎春橋(をくぐって南湖に出る。
和船乗場(わせんのりば)
和船乗り場から向こうに見える迎春橋をくぐり抜けて南湖を一周しここに帰ってきます。
北湖 ( ほっこ )
芙蓉峰 ( ふようほう ) へ
芙蓉峰 ( ふようほう ) からの眺め。
梅林橋あたりから見ると富士山の形をしているので、富士の別名である”芙蓉”の名がついたとされ
ている。芙蓉峰から望む北湖は、紫雲山を背景として、右に前嶼(ぜんしょ)、後嶼(こうしょ)が
あり、中央の紅一点である梅林橋が、緑一色の景観を引き締める。また右には箱松、屏風松が重なる
ように見え、景観をさらに厚く演出している。
梅林橋 と皐月亭
花園亭 ( はなぞのてい )
和松
商工奨励館
本館二階には、世界的家具デザイナーであるジョージナカシマのテーブルや椅子を展示。
香川漆器
江戸時代に高松藩主である松平家が、書道に付随して振興・保護したのが始まりです。
江戸後期には、香川漆器の開祖と言われる玉楮象谷 ( たまかじぞうこく ) が、中国伝来の
漆技法に独自の技を加えて新しい手法を創案。現在まで受け継がれ、蒟醤、存清、彫漆、
象谷塗、後藤塗りの5つの技法は、国の伝統的工芸品に指定されています。
讃岐民芸館
最後は鴨場へ。
鴨引き堀と小覘
江戸時代の北庭は、群鴨地を中心として藩主が鴨猟をするための鴨場として使われていた。
明治末期からの北庭大改修の際、鴨場の施設はほとんどなくなったが、平成5 ( 1993 ) 年に
鴨引き堀、小覘 ( このぞき ) 等が復元された。
復元した鴨場の小覘は覘き小屋とも呼ばれ、鴨場の様子をうかがうためのものである。
小覘 ( このぞき ) 小さな々穴が空いていました。
瞰鴨閣 ( かんおうかく )
池に張り出し群鴨池(ぐんおうち)が見渡せる瞰鴨閣(かんおうかく)。群鴨池(ぐんおうち)
は鴨場であったことから、ここは冬に集まってくる鴨の様子をうかがう建物である。
⇐ 商工奨励館 北門 ⇒
商工奨励館から東門へ。
香風亭
芙蓉沼 ( ふようしょう )
芙蓉沼の枯れた蓮と石梁
東門へ向かいます。
14:38 東門到着。約4時間楽しく栗林公園を歩き回りました。
欲張って写真を撮り過ぎたので整理が大変 !!
徳島へ帰る前にちょっと寄り道・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
15:20 高田夫妻が徳島の実家へ移る前に住んでいた懐かしいお家
です ( 四国八十八ヶ所参拝の時に主人共々大変お世話になりました)
15:32 さぬき三木IC
15:40 津田の松原SAで休憩。
15:52 津田の松原SA 出発。
16:07 幾つかのトンネルを抜けると徳島県へ。
16:25 徳島料金所
16:28 もう眉山の向こうに夕日が沈みかけています。
この3日間 Kengisan ・Takakosan のお蔭で夢のような楽しい観光を
させていただきました幸せな気持ちでっばいです有難うございました。