納涼ウォーキング

       納涼ウォーキング・鞍瀬〜明河


   


   
 7月の納涼ウォーキングは、西条市来見ふれあい桜公園を出発、国道11号線
 ( 右に中山川 ) を眺めながら落合交差点で左折鞍瀬 ( くらせ道 ) へ鞍瀬川の
 せせらぎを聞きながら磐根神社上流の橋をUターン、旧鞍瀬小学校跡へゴール
 涼しそうな風景とは裏腹 ( すごーく暑かった・・・・ ) 爽やかな汗を流す。


    
     8:00  4号車大西支所出発。
     8:39  クアハウス今治到着。トイレ休憩。
     9:00  クアハウス今治出発。


    
     県道196号線から蛇越踏切 ( JR 予讃線 ) ・ 松山自動車道高架下を
     くぐり県道159号線へ。


    


    

   
    
    9:25  りんりんパーク― 到着。   トイレ休憩。


   


   
トイレの軒下に今年もツバメが巣をつくっています。


   
   どこからか人の行く方へ寄ってきま〜す。


   
   9:47  りんりんパーク― 出発。


   
じゃがいもの家の先にある湯谷口交差点を右折。来見ふれあい桜公園へ。


   
   9:55  来見 ( くるみ ) ふれあい桜公園 到着。
        来見地区公園の奉仕作業ご苦労様です。


   
   道路沿いに駐車。


  


  
  準備体操。


  
   5km スタート 来見ふれあい桜公園 ⇒ 旧鞍瀬小学校跡
   3km スタート バスでスタート地点明河キャンプ場前へ移動。


  
 10:08  5km スタート。県道327号 ( 一湯谷口河内線 )


  
  10:12  劈巌透水 ( へきがんとうすい ) 碑。
「伊予の青の洞門」としてその業績を讃えられている劈巌透水は安永九年
( 1780 ) 時の来見村の庄屋越智喜三左衛門によって起工され、資材を投じ
自身も、のみを振るい、岩を削り、九ヶ年の歳月をかけて、長さ一二間
( 21.6メートル ) の井堰と、二十間 ( 36メートル ) の隧道及び九十六間
( 172.8m ) の岩石掘割水路を設け、寛永元年 ( 1789 ) 完成したと伝え
られている。  
 その後、明治十九年 ( 1886 ) と大正十二年 ( 1913 ) 喜三左衛門の
後裔で当時の中川村長 越智茂登太翁が大改修を実地し、美田30町歩を
潤す水路を完成させた。 記念碑は、大正9年1920年)5月に願成寺
(大字北田野)の鳳快洲和尚が、来見村耕作組合員に請われて文を撰し
書写した。 喜三左衛門が農民の灌漑用水の不足による窮状を見かねて
起工し、苦労の末に完成した堰提が、風雨によって決壊し、その修復
工事の苦労と農民の喜びを託し、さらに茂登太翁の農民を思い、村を
愛する熱情によって二度にわたる大改修により、大いに水利の便を得た
ことが述べられている。

  
   


  
  10:15  松山自動車道の下を抜ける。


       
     上に、松山自動車道鞍瀬トンネル下り入り口が見えます。


  
  10:20  国道に出る小さな橋にさしかかる。


       
  中山川下流には劈巌透水の水路が見えるらしいのですが・・・・
  ウォーキング途中なので通り過ごす。


       
       上流には堰提が見えます。


  
  10:22  国道11号線 ( 小松街道 ) へ。


       
     10:25  国道沿いに中山川の堰提から落ちる水音が
          轟々と響いてきます。

       
       


  


  
  10:34  落合橋交差点へ。


   
落合橋交差点を左折。 中山川の流れは鞍瀬川と合流、再び落合橋 (国道下 ) を
流れ国道11号線 ( 小松街道 ) 沿いに流れてゆきます。


  


   


  


  
  鞍瀬橋。


         
         👈 くらせ道    松山道 👉
         明河入り口 バス乗り場。


  
  県道153号線へ。


   
   桜樹郵便局。


   
   桜樹公民館。


   
                   旧鞍瀬小学校下を通過。


  
左折し磐根神社上流の橋をUターン旧鞍瀬小学校跡へゴールします。


  
  橋を渡り向こう側へ。


   


   


  


   


  


   
   旧鞍瀬小学校発祥之地。


  


  
  磐根神社へ。


  
 神社名   磐根神社 ( いわねじんじゃ )
 宮司名   佐伯 淳彦
 電話番号  0898-68-6972
 神社主な祭礼  10月10日 例祭
 神社主祭神  素盞鳴尊(すさのをのみこと)大己貴命(おほなむちのみこと)
        稲田姫命(いなだひめのみこと)
 神社境内社  総氏神社(鞍瀬氏祖)  佐伯霊社(佐伯氏祖)
 神社由緒   毛利元就の家臣佐伯小太夫行忠が天文12年芸州より
 帰って牛頭天皇の神主となり、兼ねて鞍瀬村を領有したと佐伯家譜に
 記載があるが、創祀の年代など未詳。
 神社鎮座地  西条市丹原町鞍瀬甲862
         磐根神社の秋まつりは、市の無形民俗文化財に指定  

されている『赤坂流道中投奴行列』です。
江戸時代に始まったとされ、先頭は舞獅子でその後
「奴行列」が続きます。奴の先頭は、おはこ、なぎ
なたで、続いて投げ奴が垂直に立った毛槍を宙に
投げ飛ばしながら進みます。厳かな中にも緊張感が
漂う華麗なお祭りです。

  
        
        牛頭天皇の扁額


  


   


   
  この石段を降りると早いのですが元の道へUターン。


       
       こちらが磐根神社正面上り口です。


  


  


  


   
   橋を ( 橋の名前は解りませんが ) 渡り


  
  県道153号線へUターン5kmゴールの旧鞍瀬小学校へ。


  


  


  
  先ほど歩いた向こう側をながめながら歩きます。


  
  木々の間から磐根神社 ( いわねじんじゃ ) も見えます。


  


   
   宮成バス停近くのタバコ屋さんの中から、こんにちは!と
   おばあちゃんの明るい声が返ってきます。


  


   
5Kmコースゴール地点 旧鞍瀬小学校は直ぐそこですが、通過して
あじさいの綺麗なところへ。


  
国道近くまで下り、アジサイを眺めながら旧鞍瀬小学校へ引き返す。


  


   


    


  


   
新田塚(通称梅之木さん)の案内板があり、水道管の手摺が付いた階段が。


       
   上の方に祠らしきものが見えましたが危険 ( 本当は恐いので )
   登ることが出来ませんでした。



「新田塚(通称梅之木さん)
 興国元年(一三四〇年)、新田義貞の弟・脇屋刑部卿
義助、今張(今治)に上陸、国分城(こくぶじょう)
に入り五月四日急死す。
 新田の一族に義光と云う武将あり、再起を図って
この地に隠れ住しも志(こころざし)なかばにして
病のため死亡。 臨終は白梅の古木の側(そば)で
あったと云う。文化十一年(一八一四年)里人武将の死を悼み、佛塔を建てて
供養を行う。爾来(じらい)誰言うとなくこの祠(ほこら)を梅之木さんと
稱(とな)えるようになった。
 毎年旧暦十一月五日、臘梅(ろうばい)ようやくふくらむ頃、里人相集
(あいつど)い在りし日の武将を偲(しの)び懇(ねんごろ)なる供養を
続けている。
  注 興国は南朝の年号である。
    北朝の年号は暦応で、興国元年は暦応3年である。
    昭和59年7月 丹原町文化協会・丹原町観光協会  「 案内板より 」


   
 旧鞍瀬小学校跡 ( トイレは小学校跡にしかありません ) とバス駐車場を
 ピストン輸送の救護車に便乗、先にバス駐車へ。


  
  3km コースの方がお昼のお弁当を・・・・・


   
 道草をしましたが車で3km コースのゴール地点、旧鞍瀬小学校跡へ。


  
  木陰でお弁当をいただきます。


   
   創立110周年記念碑に鞍瀬小学校校歌が刻まれています。


  
  トイレはここにしかありません。


  
  12:15  最後の車でバス駐車場へ。


  
  12:18  バスが待つ駐車場へ。

   
   
   12:22  出発。


   
   12:24  旧鞍瀬小学校跡・桜樹公民館・桜樹郵便局通過し、
         鞍瀬橋を渡る。


   
   12:25  落合橋交差点を右折国道11号線へ。


   
 あの松山自動車道高架下先の来見ふれあい桜公園から歩いたんですね。


   
   国道11号線から湯谷口交差点を左折県道48号線へ。


   
   県道48号線を信号で左折広域農道へ。
   この辺りはかなり雨が降ったようです。


   


   
   12:43  周ちゃん広 場到着、約30分間の自由行動。


   


    


  


  
  石鎚山は雲に隠れています、残念。


   
   13:12  周ちゃん広場 出発。


   
   13:27  クアハウス今治 到着。
 本日の歩いた距離・・・7.5Km。 歩いた歩数・・・10888歩でした。