大西町歩こう会・大西町内歴史探訪 ( 九王地区 ) 

  
6月の大西町歩こう会は、先月28日大西町史談会・町内歴史探訪と同じコースを
歩くことになりました。


  
  九王集会所に集合、 9時出発の予定です。


    
 先ず 歩こう会、大西町内歴史探訪 ( 九王地区 ) の資料を見ながら説明を受ける。
 1 藤ヶ崎地蔵 〜 2 小坂大師堂 〜  3 金比羅さん 〜 4 本龍院 〜 
 4 五右衛門新田開拓碑 〜 6 富山八幡神社 〜 7 九王地蔵堂 〜 
 8 龍神社の8ヶ所が本日の歩くコースです。


   
   みんなで準備体操。


   
   9時5分、九王集会所を出発、最初は 1 藤ヶ崎地蔵へ・・・・・ 


     


     


     
     藤ヶ崎地蔵 ( ふじがさきじぞう )
 藤ヶ崎の人々の安全と健康を守ってくれるお地蔵んとして大事に祀られている。


        
 左右二体のお地蔵さん。左、享保年間 ( 1716 〜 1735 ) 、右、寛永 2 ( 1749 ) 年。


     
     六地蔵さんがお祀りされているので昔は墓地だったのでは。


   
 お堂の前のお地蔵さんは踏切の安全と列車事故で亡くなつた子供の霊を慰める
 厄除地蔵である。  
   主な植物は・・・トウオガタマ ( モクレン科 ) 4 〜 5月頃に咲く。


   
   藤ヶ崎地蔵堂裏。


   
   2番目の小坂大師堂へ。


     


     
     季節の花を眺めながら・・・・・・・・・・


   


   


   
   小坂大師堂 ( こさかだいしどう )
 子供の病気が大流行したとき、病気封じのためにお大師さんを勧請し、お祈りする
 ようになった。昔は土葬だつたので左下の倉庫には昔の葬式道具が保管されている。
 主な植物・・・ハクチョウゲ ( アカネ科 ) ・クロガネモチ・サンゴジュ・ムクゲ


     
     大師堂内。


      


      


        


   


   
   ここを真っ直ぐ県道に出ると、3 金比羅さん 〜 4 本龍院ですが・・・・・


   
   ひとつ手前の道を右に入る。昔はこの道が主要道路だったそうです。


   
   道路の向こうの金比羅さんと本龍院ですが今回は後回しに・・・・・


   
   五右衛門新田開拓碑 ( ごえもんしんでんかいたくひ )


   
 安芸の国広島藩の家老だった桧垣五右衛門は、あることにより藩主の怒りにふれ
国を追われ浪人となり、寛永15 ( 1638 ) 年に、妻子とともに波方村の庄屋で富豪の
長谷部家に寄居することになった。 五右衛門は前々から新田開発に関心を持ち、
よく研究もし、暇をみて新田開発の適地を求めた。そして、苦心の末、九王村に
開拓できる広い土地を見つけた。当時の九王村は農地が少なく、農民たちは貧しい
生活をしていた。 その後、九王村に居住を移し、なかなか村人の賛成と協力が
得られないなか、夜になると一軒一軒の家を訪ねて、開拓の目的や方法について、
熱意を込めて詳しく説明して廻った。そのうちに五右衛門の計画の正確さと熱意に
動かされ、村人の協力が得られることとなり、工事に着手した。機械の無い時代の
土木工事は大変な苦労と時間を要した。村人とともに、辛苦、惨憺、困苦、欠乏に
耐え、寛永17 ( 1640 ) 年、3年がかりの大工事は完成し、新田の開発に成功した。
 村人たちはこの開拓地を「 五右衛門新田 」 と名付け、その恩恵を受けてきた。
その偉業をたたえ、明治32 ( 1899 ) 年に記念碑を建立した。


     
     昔は、この道が主要道路でした。

     


   
   

   
   6 富山八幡神社へ。


    


   


   


   


        


   
   参道途中の 出雲社と荒神社。

   
   


        
        富山八幡神社 ( とみやまはちまんじんじゃ )
 九王富山にあり、旧村社である。 文武天皇慶雲4 ( 707 ) 年、国司越智玉澄が
勅を奉じて、安芸の国厳島大明神を、伊予国八ヶ所に勧請した中の一社である。
 後醍醐天皇の延元 元 ( 923 ) 年、国司伊予の守が勅を奉じて、豊前国宇佐八幡宮
勧請し合祀したことにより、富山八幡宮と改号した。
   主な植物・・・ヤマモモ・クロガネモチ・ネズミモチ・ヤツデ・ソメイヨシノ・コナラ
            ヒサカキ・スギ・サザンカ・モツコク・シロダモ等。


   
   日陰で一休み、水分補給。


   
   拝殿横の参道を下ります。


   


   


   


        


   
   九王第一踏切を渡り・・・・・
   

   
   7 九王地蔵堂へ。
   


 野間郡四国八十八ヶ所 第二十六番札所です。


   
   九王地蔵堂 ( くおうじぞうどう ) 今治市指定文化財
 享保6 ( 1721 ) 年、左甚五郎の流れを汲む阿波の大工 ( 弟子 ) によって、建て
られたと伝えられている。建築様式は唐様で、斗栱 ( ときょう・軒を支える組み物 ) の
組立て構造も その各々が相調和し、木鼻の龍、唐獅子をはじめ、頭貫 ( かんぬき ) 等
に施された彫刻も素晴らしく、そりのある屋根の勾配の美しさを中心に、堂全体の調和
も見事である。正面の梁の彫刻、格子天井など、非常に手の込んだ作りとなつている。
 昭和51年から解体大修理に取りかかり、52年春に完成した。
  主な植物・・・イヌマキ・ツルウメモドキ・ヤブウツキ・イヌツゲ・モミ・ ツガ等。
 

     


   


   


   


   


   
   九王海岸へ。



漁から帰って小舟を砂浜へ・・・・・・・・・・・獲物は。


     
     袋の中では生きの良い鯵 ( アジ ) が跳ねていま〜す。


   
   山沿いの道を龍神社へ。


   


   


   


   
   潮が引いて鳥居の足元近くまで見えています。


   
  伝説によると、昔 神武天皇の砌、このあたりで激しい嵐にあったが、
 龍神の助けで無事九王の浜ヘ難を避けることができたため、八王龍王
 海神を この地に祀ったのが龍神社の始まりとされる。
 その後、天皇も合わせ祀ったので、八王に一王を加え、九王の地が誕生した。
  雨の神、海の神、農業の神として、農民の信仰が厚く、松山藩の雨乞いの
 祈祷所として、霊験を顕わしている。
  5月の春祭りに行われる船上継ぎ獅子は、宮出しをした神輿が船で対岸へ
 渡る間に、お供しながら船上で行われるものでね江戸時代に始まり、現在まで
 200年以上も受け継がれており、大変有名で、多くの見物客で賑わう。
 主な植物・・・ウバメガシワ別名バベ ( ブナ科 ) ・タラノキ ( ウコギ科 )
          トラベ ( トラベ科 ) ・カクレミノ ( ウコギ科 ) 等。


          
          神殿。


   
神殿のすぐ下は岩場がひろがり引き潮の時は牡蠣やワカメが採れるそうです。


   


   


   
   潮の引いた砂浜では子供達が楽しそうに水遊び。


     


   
ブルーベリーの実が見事に・・・・・・色付く前もきれいですね。


  
  10時52分、最後になりましたが、3 金比羅さん ・ 4 本龍院 へ。



本龍院 ( ほんりゅういん )
 向かって右が本龍院で、野間郡四国八十八ヶ所二十五番札所です。
 天台宗門派で、本山は近江 ( 滋賀県 ) 園城寺である。
 本尊は十一面観世音菩薩で、河野通清の嫡子道信が、船軍大将として
 出兵する際に、船魂十一面観世音菩薩像を彫刻し、戦勝の祈願をして
 当寺に安置し、崇拝したといわれる。


   


  
   金比羅山 ( こんぴらさん )
   元は、向山の金比羅山にあった。
   また金毘羅神社の裏には小さな小山があったそうです。
 

   
   金毘羅神社内陣。
   絵馬は幕末、元治元 ( 1864 ) 年、慶應 4 ( 1868 ) 年奉納。


   
この灯籠は 明治元年のものです。


    


   


   


   


   
 11時5分、九王集会所に全員無事到着、約2時間 九王地区の 歴史探訪でした。
 歩いた距離・・・5km。  歩いた歩数・・・7750 歩。