~ 新居浜市・ 瑞應寺 〜 マイントピア別子 ~
大銀杏の瑞應寺から、紅葉の美しい景色を眺めながらマイントピア別子
までの道程を楽しくウォーキング ( 疲れましたが‥‥ !! ) 無事完歩。
9:05 今治湯ノ浦 IC へ。
今治小松自動車から松山自動車へ。
9:35 新居浜 IC を出る。
9:36 山根公園前 ( 2号車 ) 到着。
※ マイントピア別子と山根公園に分かれてトイレ休憩。
山根公園前河川敷へ。
3 Km コース、ひかり幼稚園 よりスタート
5 Km コース、すみれ保育所 よりスタート
10:12 山根公園前河川敷 出発。
( 3 Km、5 Km それぞれのスタート地点へバス移動 )
10:18 5 Km コーススタート地点すみれ保育所駐車場 到着。
ひかり幼稚園よりスタート3 Km コースの方とすれ違います。
瑞應寺
瑞應寺は、釈迦如来を本尊とする曹洞宗に属する寺で、鎌倉より月旦和尚を
招いて、仏国山瑞應寺と名付けました。現在、曹洞宗最高の別格に位置して
います。本堂近くにある樹齢800年を数える大銀杏は、県指定天然記念物です。
この老銀杏樹は鎮守金比羅大権現の奉祝にまつわる乳銀杏で、
目通り 8.5 メートル、高さ 27 メートルにもなります。
大銀杏樹 ( 県指定天然記念物 )
瑞応寺は文安五年生子山城主松木越前の守景村公の建立によるもので
あるが、天正十三年の役に生子山城落城の兵火にかかり戦後再建されたが、
又 文政十一年焼失の厄にあっている。明治三十年曹洞宗専門僧堂開設、
禅門修行の名刹として世に知られるに至った。
この銀杏樹は鎮守金毘羅大権現の奉祝にまつわる乳銀杏で、樹令八百年と
推定され目通り 八、五メートル、高さ 二十七メートル、の巨木で
昭和三十一年十一月三日愛媛県の天然記念物に指定されている。
新居浜市 教育委員会 大銀杏樹 ( 県指定天然記念物 ) 説明板より
裏にまわってもデッカ過ぎてレンズからはみ出してしまいました。
山門横の池です。
⇒ 2013年12月2日、はじめて瑞應寺を訪れました。
新居浜市立角野小学校裏に出る。
10:56 内宮神社横に出る。
足谷川 ( 国領川 ) を挟んだ向こう側の道路は県道47号線です。
川下の風景、足谷川 ( 国領川 ) に架かる新田橋 ( 県道47号線 ) 右に山根公園。
内宮神社 ( ウチノミヤジンジャ ) 10月の太鼓祭りの「お宮入り」の時に、
この参道 ( 石段 ) を太鼓台が駆け登るそうです。
左の赤い橋 ( 生子橋 ) は渡らないで直進・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
生子橋 ( しょうじばし )
生子橋由来
生子山には南北朝時代南朝の忠臣越智俊村が、砦を設けて北朝側の細川軍と
戦い、室町末期には松木三河守がここに拠って小早川隆景の大軍と戦った。
明治二十一年現在の別子銅山記念館前広場に山湿式製錬所が設けられ、それと
同時に両岸を結ぶための生子橋が架設され、山頂には大煙突が建設されたこと
により、人々は以来煙突山と呼称し、昭和三年五月製錬所跡に大山積神社を
奉斎し、昭和四十八年別子銅山閉山後、神社境内の一角に別子銅山記念館を
設立した。 この橋下の立川溪谷の流れは別子ラインの関門として甌穴群が
ならび、美しい碧潭には、龍神伝説とちぎり淵の物語が伝えられてている。
昭和58年1月吉日 新居浜市長 泉 敬太郎”
県道47号線側の説明板より
川向こう県道47号線沿いにえんとつ山がみえます。
えんとつ山 ( 旧山根精錬所と生子山 ) ⇒ 拡大
長年、市民から「 えんとつ山 」の愛称で親しまれている「 生子山 」
( 標高144.7m ) かって豊臣秀吉の四国攻めの舞台でもありました。
明治21年 ( 1888 ) 住友家初代総理人であった広瀬宰平は東京大学
の教授であった岩佐巌 ( いわお ) を招き、この地で湿式収銅法による
収銅過程で、硫酸などの化学物質の抽出と更には、製鉄の試験を開始
しました。官宮八幡製鉄所の操業より、7年前のことです。
今では、高さ 20m の精錬所の煙突だけが残り、世界で短期間に追い
ついた、明治の近代文化を、今日に伝えています。
旧山根精錬所煙突は、平成21年 ( 2009 ) に国の登録有形文化財として
登録されています。
11:15 お気に入りの橋の前まで
( 一度向こう側へ渡ってみたいのですが ・・・・・ !! )
マイペース、マイペース・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
やつと 真っ白い 端出場大橋が ・・・‥・・・・・・・・・・・・。
この辺りはお猿さんを見かけるところですが‥‥‥今日はいない様です。
おしゃべりをしながら「 端出場 ( ハデバ ) 大橋 」へ。
11:30 端出場 ( ハデバ ) 大橋 到着 ( ゼッケン確認 )
道の駅マイントピア別子は、愛媛県新居浜市にある愛媛県道47号新居浜
別子山線の道の駅で。第1回の道の駅として1993年に登録。
【 マイントピアの冬桜 】
冬桜とは、山桜 ( ヤマザクラ ) と豆桜( マメザクラ )
が交配して生まれた雑種のことです。最近では名前
の通り、冬 ( 10〜1月頃 ) に咲く桜の総称として
も使われるようになりました。 花は中輪サイズで、
白から淡いピンク色の小さな花びらを咲かせます。
葉っぱがちいさいことから、小葉桜 ( コバザクラ )、
10〜12月と4月の2回開花期がある事から、四季桜 ( シキザクラ ) と呼ばれます。
11:36 さっそく鉄橋の上で観光坑道遊学行き列車が来るのを
待つことにします。
あっという間にトンネルの中へと・・・・・・・・・・・・‥・・・
泉寿亭 ( せんじゅてい)
昭和12年、住友各企業の迎賓館として建てられた京風数寄屋造りの純和風
の建物。住友由緒の「 泉 屋 」を 「 寿 ( ことほ ) ぐ館 」として、泉寿亭と
名付けられた。この地に移されているのは、泉寿亭の客室用の玄関と客室の
一部で、名板は 織田子青の筆によるものです。
あちらこちらとお弁当を食べる場所を探して・・・・・・・・・‥・・
歩いている時はあまり感じなかったのですが、寒くてきれいな紅葉の
下は人影がまばらです。
お弁当を食べかけましたが、冷えるので暖かい
ところを探して移動・・・・・・・
旧端出場水力発電所 :明治45年完成。
煉瓦造平屋建て、切妻屋根の巨大な建物(登録有形文化財 平成23年1月26日指定)
鉱山機械の動力が機力から電力へ移行する明治中期、別子銅山では自前の
発電所を設けていましたが増大する電力需要を賄う為、明治45年に大規模な
発電施設を竣工させます。銅山川から取水し第三通洞を経て導水した用水に
よる水路式水力発電所で、当時日本一の出力3000kWと有効落差560mを
誇りました。 発電施設はその後最大4800kWに増強され、周辺地域のみな
らず沖合い20キロメートルの四阪島精錬所まで送られました。この時に敷設
された海底ケーブルは当時世界一の長さとなりました。
昭和48年まで使用された後閉鎖されました。 発電機などがそのまま残って
いますが内部は非公開です。
何か暖かいものでも食べようかと思いましたが、お弁当があるので・・・‥・・
11:55 駐車場に戻り景色を眺めながらバスの中でいただきました。
12:43 新居浜 ICへ。
13:12 今治湯ノ浦 IC を出る。
13:16 クアハウス今治 到着。
温泉で疲れを癒した後休憩。